余談、星新一さんの学んだ学校と、星製薬の整理2022/09/17 07:08

 最近、年間の学費が1千万円とかいうハロウインターナショナルスクール安比ジャパンが、岩手県安比に開校したというニュースを見たが、星新一さんの学んだ学校の話を『星新一 一〇〇一話をつくった人』で読んで、興味深かった。 東京女子高等師範附属小学校(現在のお茶の水女子大附属小学校←男子校だった私の高校の同級生にもここを出た男がいて、同窓会というと女性の多いそちらの方が熱心だった)、イギリスのイートン校をモデルにしたリベラルな雰囲気の東京高等師範附属中学校(高師中)、一高に次ぐエリート校だった旧制高校の東京高等学校(東高)である。 東高も大正10年、ドイツのギムナジウムやイギリスのパブリックスクールをモデルに、自由主義教育を目指す日本初の官立七年校(尋常科と高等科)として創設された学校だった。 星さんが入学した昭和18年は、尋常科の募集が中止されて、東高が急速に崩壊に向う年ではあったが…。

 星新一さんは23歳の昭和24年12月、登記簿では星製薬の取締役営業部長に就任する。 取締役としての事務的な活動を始めたのは、翌25年の夏からで、11月に渡米した父・星一社長が1月18日にロサンゼルスで亡くなってしまう。 昭和26年に25歳で社長に就任した星新一さんは、再建のために乗り込んで来た大谷重工業社長の大谷米太郎が社長になった27年6月に副社長になり、32年いっぱいで取締役を辞任、会社の経営から一切手を引くことになった。 父親の会社を手放した御曹司の無念や悲哀はなく、新聞記者にはあとはもう知らない、足を洗ってさばさばしたという態度に見えたという。 ちょうど、ものを書き始めた時期であった。 比較にならぬほど小さくて、兄と一緒だったけれど、父親の創業した工場を畳んだ私には、そのあたり少し沁みるものがあった。

(星新一さんの父星一と星製薬の歴史については、星一と星製薬のこと<小人閑居日記 2009.1.19.>、「星印モルヒネ」と満州<小人閑居日記 2009.1.20.>参照のこと)

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