私が「馬場文耕」の名を知っていたのは… ― 2022/10/11 07:02
『広辞苑』が満三十五歳になった1990(平成2)年、岩波書店の『図書』が一月号から、各分野で活躍している方々の「『広辞苑』と私」というコラムを連載した。 八月号は劇作家の木下順二さんで、「遊び」の本として『広辞苑』を楽しむ、と書いていた。 馬に感心を持っている木下さんは、馬についての見出し語を、ぶうぶういうセクレタリに手伝ってもらいながら、総点検したのだそうだ。 たとえば「下馬」を含む見出し語だけでも、「下馬売」「下馬将軍」「下馬雀」「下馬牌」「下馬評」などがあり、それら馬用語の解説と関連項目の解説などを読み合わせてみていると、「室町から江戸期へかけての社寺や貴人の門前で主人とそのお供がつくりだす光景や、正月初乗(はつのり)からその他武家の乗馬万端の光景を、ちょっと気取っていえば、髣髴と浮び上らせてくれるようなのである」という。 武家の正月乗初(のりぞめ)では、「馬場始(はじめ)」などという、個人的に興味をひかれる項目があるのを知った。
そこで私は、さっそく『広辞苑』で「馬場」を引いたのだった。 出るは出るは、「馬場――退(の)け」「馬場金埒(きんらち)」「馬場孤蝶」「馬場先」「馬場先門」「馬場佐十郎」「馬場三郎兵衛」「馬場末」「馬場辰猪」「馬場恒吾」「馬場殿」「馬場の舎(や)」「馬場乗」「馬場文耕」「馬場見せ」「馬場本(もと)」と出た。
<等々力短信 第547号 1990.10.25.>に「それぞれの『広辞苑』」を書き、「これらの解説を読んで、『広辞苑』の関連項目を、あちこちひっくりかえしているだけでも、秋の夜長を楽しめそうだ。 『広辞苑』の、ふところは、まことに深い。」としていた。
「馬場文耕」は、この時、その名を覚えたのだが、残念ながら、この日本にただひとりだけ、その芸によって死刑(獄門)に処せられた芸人だというところまでは、調べなかった。
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