山田洋次さん、寅さんと落語 ― 2022/10/23 07:29
山田洋次さんが渥美清と最初に出会ったのは、ハナ肇主演の『馬鹿まるだし』(1964年)、『運がよけりゃ』(1966年)に脇役として特別出演してもらったときで、「山田さん、今度は『長いの』やりましょうね」と言われた。 後で、「長いの」が「主演」を意味すると知った。 しばらくしてフジテレビから渥美清を主人公にしたドラマの脚本の依頼がきた。 今振り返ると、渥美清が山田さんを選んだと思うという。 渥美清は、執筆中の仕事場、赤坂の旅館に来て、子どもの頃の思い出話を中心にいろんな話をしてくれた。
その面白いことといったらない、山田さんは驚愕した。 鋭い観察力、おそるべき記憶力、豊かな表現力。 山田さんの聞きたいことを的確にとらえて、落語名人の話芸を聴くようだった。 彼が少年時代に憧れていたテキ屋の流麗な啖呵売も朗々と披露してくれた。 「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ち小便……」 「男はつらいよ」のフーテンの寅こと車寅次郎はそんな渥美清の話を聞くうちに湧いてきたイメージだ。 それは山田さんが幼い頃から憧れ、親しんできた落語の熊さんそのものだった。
満州で山田洋次さんの家は、敗戦によって預金も株券もゼロに、土地も家もすべて失った。 明日、引き揚げ船に乗るというとき、なけなしの家財から何を持っていくか、家族で大議論になった。 洋次さんは宝のようにしていた落語全集を持って行きたかったけれど、父にどうしてもダメだと言われた。 どっしり重い上下二巻だったから。
落語好きになったのは小学校2年の頃。 毎週土曜夜8時、ラジオの前に正座して「寄席中継」を聞きながら一人でケタケタ笑っていた。 柳家金語楼や六代目春風亭柳橋がお気に入りだった。 小学校4年のときに病気になって、ちょっと危険な状態だった。 病院で父が「欲しいものはないか」と言うので、行きつけの古本屋にあった落語全集が欲しいと思い切って言ったら、買ってきてくれた。
ずっと大事にしていた、その落語全集だったのである。 結局、洋次さんのリュックの中は衣料と辞書、文房具、そして食べ物でいっぱいになった。 一家が家を出るなり、待機していた中国人の貧しい少年たちがわーっと中に入って家具類を奪い出すのが見えた。 あぁ、僕の宝物の落語全集が……日本語を読めないからストーブで焚くに決まっている。 涙が出るほど悔しかった。
(『山田洋次 夢をつくる』(6)8月27日、(4)7月2日)
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