立川龍志の「小言幸兵衛」 ― 2022/10/06 07:21
立川龍志は白髪だが、初めて聴いた。 落語研究会は二度目、前回は師匠のお供の前座で来て、ちょうど先の文楽が「大仏餅」で絶句して、「勉強をし直して参ります」と下りた時、楽屋は大騒ぎだった。 談志は「謝るんじゃねえ、客なんかに」と言っていた。 それ以来、五十年目で初めて、半世紀ぶり。
若い時は、よく小言を言われた。 まず、着物の畳み方。 師匠は談志で、談志をもう知らないでしょうが……、「あいつは人間じゃない、着物に触らせるな」、と。 円生が出て、「めくり」が「三球・照代」になっていた。 浅草演芸ホール、客席がざわざわしたので、円生がちらりと見て、「手前が三球・照代と申しまして」。 下りてきて、「無礼者ーーッ」と怒鳴った。 無礼者、ほかに聞いたことがない。 正蔵(彦六の)は、ずっーーと楽屋にいた。 前座が、肉屋に惣菜を買いに行って、ポテトフライ500円。 「近頃の若い衆は、洋食なんぞ食ってる」。
婆さん、今、帰ったよ。 この婆ア、居眠りしている。 起きなよ、食っちゃ寝、食っちゃ寝したのが、食い散らかってる。 片付けなよ。 釜の蓋が、曲がっている。 風で、布巾が落ちそうだ。 畳の上に土瓶を置くな。 天井見てるから、蹴飛ばすんだ。 布巾で拭くんじゃない、雑巾で拭け。
マッピラゴメンネー。 足で戸を開けたよ。 二間半間口の長屋、タナチンはいくら? 誰がお前に貸すと言った、言葉の順序というものがある。 貸家の札が貼ってある。 商売は何だ? 豆腐屋だ。 豆腐屋か、一升の豆で、二升のかすが出る。 ご家内は、何人? かかあが一人。 家内がいますで、済む。 子供衆は何人? いい塩梅に、今んとこ一匹もひりださねえ。 一緒になって何年だ? 十年。 十年も一緒にいて、子供が出来ないのか、三年添って子なきは去るべし、という。 別れちゃえ、實母散や命の母を飲まないような、四季に孕むような、ケツの大きな女を世話してやる。 婆ア、薪ザッポ持って来い。
少々、ものを伺いますが…、お家主様で、田中様は、こちらで。 丁寧なのは怪しい、手癖が悪い。 通行の者ですが、貸家の札を拝見しまして、この段伺いたい。 この段を伺いたいなんぞはいいね、九段なら靖国神社。 婆さん、布団を。 寝る布団を持ってきて、どうする。 手前のような者にも、ご拝借できましょうか。 言葉が行き届いている、商売は? 仕立屋を営んでおります。 仕立屋だから営む、飴屋ならベトナム、お茶を淹れて。 ご家内は、何人? 手前に妻、倅、以上三名。 息子は二十で商売は同じ、腕が立ち最近は倅と名指しの注文が来る。 造作の配置、面構えは? 手前に似ず、トンビが鷹と言われる。 それで独り者か、家は貸すわけにいかない、騒動が起きて、心中が出来る。
婆さん、長屋に女の独り者は? 花屋のおきんさん。 六十九だ。 古着屋の一人娘、お花、十九。 年回りがよくない、十九、たちまち二十日宵闇、月夜の晩にくっつくな。 お前の倅も、たまには酒を飲む。 お向かいのお嬢さんに、清元を謡ってもらおうとなる。 さわりのいいところに、都々逸、ご順で、倅の番になる。 若旦那、テケレッツ、テケレッツ。 歌わなくちゃならない。 「竹ならば割ってみせたい私の心 先に届かぬこの思い これほど思うにもしそわれずば いつも宝のもちぐされ」
翌日、倅がお礼に行き、両親が出かけていて、お花が一人、おぶでもとなる。 倅は色魔の本性を現し、ずうずうしい。 一、二度が、三、四度、ポコラン、ポコラン、ポンポコランとなる。 腸満の病気、食い過ぎか何かで? 母親の目にとまる。 倅を古着屋にやんな。 やれ! 一人娘だ。 一人息子です。
生木を裂くように、別れさせると、この世で一緒になれないなら、心中ということになる。 幕が開く。 家主が出て来る、私の役どころだ。 浅葱の幕が落ちると、向島の土手。 お花が倒れる。 お前んとこの倅が飛び出す。 鮫鞘の刀はあるか。 家宝の青龍刀ならある。 海賊だ。 「そこにいるのは、お花じゃないか」「そういうお前は」。 倅の名前を聞いてなかった、何ていうんだ? 「鷲塚…与太三郎」、手前は「与太左衛門」。 もっと乙な名前はなかったのか。 今鳴る鐘は…、覚悟はよいか。 南無阿弥陀。 古着屋の宗旨は? 法華、「南無妙法連華経、一貫三百はどうでもよい」。 仕立屋は? 天理教、「あしきをはらうてたすけたまえ てんりわうのみこと」。 帰えれ、帰えれ!
家主はいないか、死に絶えたか。 今、荷物を運び込んでる。 おれんとこは山の神に道六神にカッパ野郎だ。 商売は、花火屋。 道理で、ポンポンいい通しだ。
柳家蝠丸の「ほうじの茶」 ― 2022/10/07 07:00
今日は自分一人だけ芸協、落語芸術協会、ちゃんとした噺をしない方の協会で。 キンキラキンの着物で「文七元結」をやったり、「時そば」にベートーベンが流れたりする。 落語研究会は久しぶりで、30年は出ていなかった。 真打になる4年前に出た。 ある方に言われた、あの会は若手には反応しないので、がっかりするな、外にいて入ってこない客もいる、と。 そこまでではなかったが、ひどかった、シーーンとしていた。 それから何度か出た。 今日も、当時の雰囲気は変わっていない、懐かしい。
初めてのことは、覚えている。 50年くらい前、新宿末広の昼席の一番初め、お客が後ろにパラパラ。 和服のおじさんが入ってきた、うちの師匠、十代目桂文治(八十まで元気だった)目と声の大きい。 夜席の遅い出番なのに、後ろを行ったり来たりしている。 寝ているお客さんを、起こして歩いていた。 ありがたいような、迷惑のような思い出だ。
もう一人、今の文治の初高座。 真ん前に、師匠が座っていた。 紙と鉛筆を持っていて、悪い所を直してやろう、と。 書きっぱなし、悪い所だらけ。 「子ほめ」のピークで絶句した、「承りますれば」が出て来ず、「ウッ、ウッ、ウッ…」。 師匠が「承りますれば」と教えている。 それで何とか、思い出して、続けることが出来た。 楽屋に戻って、お前よかったなあ、俺がいなかったら、大変なことになっていた。
問題は、今日の演目。 落語研究会で一ぺんも出ていない噺。 短かめの噺。 八っつあん、何か用かい。 隠居のところに来ると、珍しいものがある。 見てもらおう。 掛軸の絵が変わったね、前は太田道灌だった。 白いものがとぐろを巻いている。 白蛇だ、縁起がいい、金運がつく。 田舎へ行って、共同便所に入ったら、大きな蛇が入ってきた。 小の方ですか? 大蛇。
お茶の話をしてやろう。 地味な話で、笑う所が少ない、何か所かのチャンスを逃さないように、聞いてもらいたい。 チベットに知り合いがいて、珍しいお茶を送って来てくれた。 見て、楽しいお茶だ。 三分間よく焙じる(火であぶる)。 大きなカップに茶を入れ、お湯を入れて、待つ。 三分間待つ、といっても即席ラーメンじゃない。
あぶくが出てきて、あぶくの中から、いいもんが出る。 裸の女で、カップヌードなんていうんじゃないでしょうね。 木が生える、花が二つ開く、紅白の梅の花。 鳥が飛んできて、ホーホケキョ。 面白い。
見て楽しむお茶、分けてくれませんか、カカアに見せる。 ほんのチベットだけ、差し上げましょう。 ひょっとして、チャンスの時ですか? 三分間、焙じるんだよ。
カカア、戻ったよ。 隠居さんの馬鹿な話を聞いてきたんでしょう、首長鳥の話とか。 いいものもらってきた、珍しいものだ。 お金かい。 カップがないから、丼でやろう。 あぶくが消えると、木が生える。 柳の木だ。 気(木)が変わったのか、飛んで来るのは……。 アラ、木の下の方から出て来た、気持悪い、と、目を回す。 幽霊が立っている。
隠居に文句を言って来よう。 さっきのお茶で、カカアが目を回した。 丼の中を覗いて、おかみさんの顔が映ったのか。 男の幽霊だった。 知っている人かい? 三年前に死んだ親父の幽霊で。 何か言っていたかい? やい、倅、一周忌も三回忌もしないで、この親不孝者! ちゃんと焙ったかい? カカアに早く見せたくて、一分くらいしか焙ってない。 それでわかった、法事が足りなかった。
柳家さん喬の「鴻池の犬」前半 ― 2022/10/08 07:16
さん喬は、東京駅新幹線ホームの立ち食い蕎麦が9月30日になくなったと始めた。 昔は京都が都で、東下りといい、江戸からの品は「下らない」と言った。 前座の頃、名古屋は日帰り圏ではなかった、と。 なお、さん喬の「鴻池の犬」は、2009年11月26日の、第497回落語研究会で聴いていた(<小人閑居日記 2009. 12.4.>)。
貞吉、いつまで寝ているんだよ、早く店を開けなさい。 旦那、大変です、捨て子です、三匹も。 犬です、白、黒、ブチ、かわいいな。 捨てて来なさい。 ウチで飼いましょうよ。 ウチは乾物屋だよ。 私が面倒見ます。 餌は、私のを……、私は旦那のを。 私は? 旦那は我慢するんです。 しかたがないな、欲しい人がいたら差し上げるから。 貞吉は三匹の面倒を見て、特に黒を可愛がった。 可愛い犬がいて、店が繁昌するようなことになる。
ごめん下さい。 黒いお犬様は、こちらのお犬様ですか? 黒いお犬様を頂きたい。 はい、面倒をみている小僧には、私が因果を含めておきますから。 改めて、頂きに参ります。 黒を欲しいという方が現れた。 約束だ、差し上げるよ。
紋付き袴、扇子を持った先日の人、些少ですがとお椀代、角樽一つ、酒の切手、反物を持ってやって来る。 角屋の主人が、ちょっと、お待ちなさい、犬をやるのにそれは貰えない、持って帰ってくれと、断わる。 言葉が少なくて申し訳ない、私は大坂船場、鴻池善右衛門の江戸の出店の差配で六兵衛と申します。 坊ちゃまの黒犬が近所の火事で死に、似たのはイヤ、焼けた犬でなければと、言う事を聞かない、首に月の輪の差し毛がある黒犬でなければ駄目なのです。 そういうことならわかりました、反物だけ頂いて、小僧が一番出世の時に仕立ててやります。 黒は友禅の座布団の上に座り、駕籠に乗せられて、大坂へ行った。
若ぼんは、黒が戻ったと大喜び。 二人の警備に、医者もつき、ぶっくぶくの大きな犬に育つ。 もともと江戸の犬で、気っぷがいい、船場界隈で犬のもめ事があると仲裁を頼まれるようになった。
一方、江戸の弟、白とブチは、小僧の世話が間遠になり、餌ももらえず、表で餌探しに行く。 往来に芋が転がっていたのを、弟のために拾ってやろうとしたブチが「キャーン」、大八車に撥ねられて死ぬ。 「ブチ兄ちゃん…」、白一匹になってしまった。 餌もくれない、拾い食いで毛も抜けて、哀れな姿、そうだ、大坂の兄ちゃんの所へ行こう。 月が煌々として、これから大坂だ、飛脚でも足の速い方だが、十日かかる、と話していた。 あの人に、付いて行こう。 エイホー、エイホー、エイホー…、速いなあ、行っちまった。 それではと、旅人の後を付いて行く。 お嬢さんが、餌をあげよう、白い犬は毛が抜けると、人間になるというから。 落語の聞き過ぎですよ、あっちへお行き。 キャン。
柳家さん喬の「鴻池の犬」後半 ― 2022/10/09 07:31
おう、お前、どこへ行くんだ。 おいら、大坂へ行く。 江戸本所の角屋で育った、黒兄(あん)ちゃんが船場にもらわれて行って、小僧さんがだんだん餌をくれなくなった。 人間なんて、そんなもんさ、大坂を知っているのか? 知らないのに行く。 俺は、お伊勢さんよ、江戸の衆は一生に一度おかげ参りに行く。 旦那が体を壊して、俺が代わりに行く。 首から下げた、この札で、みんな餌をくれる、銭をくれる人間もいる。 一緒に旅をしないか。 お前、名前は? 白、ただ白。 俺はハチ、二人で行こう。
珍念、おかげ参りのお犬さんに、餌をおやり。 とっとこ、とことこ、とっとこ、とことこ。 箱根の山だ(三味線「箱根山」)。 気をつけろよ。 とっとこ、とことこ、とっとこ、とことこ。 雲の上から、山が見える、富士の山だ(三味線「♪頭を雲の上に出し…」)。 とっとこ、とことこ、とっとこ、とことこ。 海だ!(三味線「元禄花見踊」) ハチ、大きな松の木だな、松原だ、笠をかぶった清水の次郎長だ(三味線「旅姿三人男」)。 とっとこ、とことこ、とっとこ、とことこ。 いい匂いだな、桑名の焼き蛤だ(三味線「毬と殿様」)。 フワッ、フワッ、熱いけど、美味いな。 白、見ろ、大きなお城だろ、てっぺんに金の魚が逆立ちしてる。 お伊勢さんは、こっちで、大坂はあっちだ。 お別れだ、道中楽しかったね。 お別れか、ありがとう。
とっとこ、とことこ、とっとこ、とことこ。 どこ、行くんじゃ? これから船場や。 船場、船場、船場、黒兄ちゃんのいる所だ、この人に付いて行こう。 黒は、颯爽と裏の木戸までやって来た。 世の中、変ったことはないようだな。 一丁目と三丁目がまた喧嘩か、犬力(けんりょく)争いなんて、つまらない、仲直りしろ、旦那の下さった饅頭がある。 見慣れぬ汚い犬だな、あっち行け。 見慣れぬ犬、どっから来た? 江戸。 江戸はどこだ? 本所。 黒兄ちゃんに会いたくて。 隣は酒屋、向かいは荒物屋。 弟の白や。 黒兄ちゃんだ。 みんな、俺の弟や。 弟はんでしたか、えらいことしたなあ、あっち行けなんて。 よく来たな、白。 みんな、可愛がってやってくれ。
こーい、こいこい。 これ、お食べ。 これ、食え、てえ(鯛)の浜焼きだ、骨に気を付けろ。 旨かったか。 こんな旨いもの、初めて食べました、来てよかった。 兄ちゃん。 来てよかったな、白。 大丈夫か、死んじゃ駄目だ、寝てな。 これは、何? 鰻巻よ。 俺なんか、ここんとこさ、さっぱりしたものが食いたくなった。 柴漬けで、お茶漬けなんぞ。 これは? カステーラよ。 また「しーい、こいこい」の声。 黒が飛んで行く。 今度は、何? 下のぼんのおしっこだった。
沢木耕太郎『暦のしずく』、ただ一人その芸で死刑になった芸人 ― 2022/10/10 07:04
馬場咲希さん(17)が8月全米女子アマチュアゴルフ選手権で優勝した時、もしかしたら親戚ですか、と訊かれた。 まったく、関係がない。 福澤諭吉協会の会合に行くと、福沢関連で聞いたことのある苗字の方がいらっしゃって、ご子孫だろうと、思う。 当方もあるいは馬場辰猪の末裔か何かのように、思われる方がいるかもしれないが、これも、まったく、関係がない。
10月1日からの朝日新聞朝刊土曜 beの連載小説、沢木耕太郎さんの『暦のしずく』第1回「序章 獄門」を読んで、驚いた。 去年の秋、落語の柳家小三治と歌舞伎の中村吉右衛門、二人の「人間国宝」が死んだ、と始まる。
「人間国宝」は、文化財保護法の「重要無形文化財」の保持者で、大きく芸能と工芸技術の二つの分野から選ばれる。 中でも、芸能は、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、組踊、音楽、舞踊、演芸、演劇といった幅広いジャンルから選ばれている。 例外はあるが、そのほとんどが近世、江戸時代に興隆した芸能だ。 芸能はその時代に生きる人々に強く支持されることで興隆する。 だが、逆に、その支持の強烈さによって、時の権力にとっては、危険なものに映ることがある。
実際、江戸時代にも幕府によっていくつかの芸能が弾圧されることになった。 たとえば、歌舞伎は、現在の形になるまで何度となく禁止される憂き目に遭っている。 女歌舞伎だけでなく若衆歌舞伎もまた、江戸前期、承応年間に、風俗紊乱を理由に禁止されている。 音楽の部の浄瑠璃では、常磐津節や清元節や新内節のルーツともいえる豊後節が、あまりにも扇情的過ぎるということで江戸中期の元文年間に禁止されている。 一説によれば、豊後節の流行によって心中事件が激増したからだという。
沢木耕太郎さんの関心は、この日本の芸能史の中で、その芸のために時の権力によって個人として罰せられた芸人が存在するのだろうか、さらには命を代償にしてまで芸を貫くというような芸人はいただろうか、に移る。 そして、この日本にただひとりだけ、その芸によって死刑に処せられた芸人がいることを発見した。
時代は江戸中期、宝暦八年十二月、南町奉行土屋越前守により獄門に処せられた芸人がいた。 獄門という罰は、こうだ。 見せしめのため江戸の市内を引き廻しの上、伝馬町の牢屋敷で斬首し、その首を浅草にある小塚原の刑場で晒す。 その芸人の名は、「馬場文耕」、講釈師だった。
私は、馬場文耕の名前だけは知っていた。 それは、また明日。
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