英国、今度は「局外中立」撤廃を提案2022/11/13 07:06

 榎本武揚が開陽丸を旗艦にして箱館五稜郭を占領、新政府軍と対峙した。 ロシアは、日本との国境が未確定だった樺太(サハリン)に住民を移住させ、「ロシア化」に着手する。 イギリスは、ロシアと榎本が結びつき、蝦夷に南下してくることを警戒した。

 パークスは、横浜に停泊していた新型艦ストーンウォール、幕府がアメリカから購入したが、「局外中立」で引き渡しが凍結されていた、14センチの鉄板、不沈艦に注目する。 1969年1月18日、外国代表の会議で、パークスが「局外中立」の撤廃を提案。 プロイセンなどは、まだ榎本の抵抗中だとして反対。 パークスは、徳川将軍が降伏した以上、家臣も降伏すべきで、榎本は反乱分子に過ぎない、内戦を終結した新政府こそ唯一の合法政府だと主張。 2月、「局外中立」は撤廃される。

 6月、ストーンウォールを旗艦とする新政府艦隊が箱館を攻撃。 ストーンウォールには、イギリス人が乗りこんでいた。 6月27日、榎本降伏。 「我らは薩長に敗けたのではない。イギリスに敗けたのだ」(1969年、榎本がアメリカ領事に語った記録)。 戊辰戦争は、イギリスの思惑通り、新政府の勝利に終わった。

 シカゴ大学のケネス・ポメランツ教授(グローバル経済史)、「戊辰戦争を乗り越えたからこそ、日本は変化を遂げ、前に進むことが出来た。次の時代、日本は独立したプレーヤーになる。そして世界のグレートゲームを動かしてゆくのだ。」

 幕末日本。 地球規模の覇権争いに直面しながら、新たな道を切り開いた。 私たちは幕末につながる時代を歩み続けている。 と、「新・幕末史 グローバル・ヒストリー」第二集は、終わった。

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