入船亭扇遊の「木乃伊取り」後半 ― 2022/11/06 07:39
吉原の角海老、昼間はひっそりとしている。 ちょっくら、ごめんなせえ。 誰か、いねえのかい。 どちら様で。 喜太郎頭、佐兵衛番頭、若旦那のお三方が、おるだろう。 マルボウのお客様、またお迎えで、ご苦労様です、ヘッヘッヘ、ヘッヘッヘ。 何だ、喜助か。 お人がみえてます。 上げちまいな。 変わった方で、手織り木綿に、熊の皮の煙草入れを下げて。 わかった、台所の清造、ウチの飯炊きだ。 上げちまいな。
話があって、参りました。 番頭さん、あんたウチの白鼠だね。 頭、踊ってる、奴さんどちらへ、なんて。 一杯、やんな、大将! 大将なんて、戦さに行ったことはねえ、三味線、五月蠅い。 若旦那に、お願いがあります。 お袋様は心配なさって、夜も眠れずに一晩中泣いている。 見るに見かねて参りました。 この通りです、お帰り下さい。 帰る、帰る……、帰る心持になったら帰るよ。
変な声で歌うな、天帝の祟りがある。 あばらの三枚目から声を出せ。 見てもらいたいものがある、これを見れば…、お袋様のお巾着だ、勘定足りなければ、これで払って、と。 巾着だけ、置いて行きな。 子供の使いではねえ、帰っておくんなせえ、若旦那。 うるせえな。 首に縄をつけてでも、若旦那をしょっぴいて来るって言ったんだ。 犬ころじゃねえ、うるせえから帰んな、暇出すぞ。 お前は奉公人だ、親父に代わって暇を出す、出てけ! 暇、もらうべえ、もらえば、主人でも家来でもない、この馬鹿野郎、腕づくでもしょっぴいて行く、田舎相撲の大関まで取ったところだ。
帰るよ、帰るよ、と若旦那。 ひとまず帰ったほうがいい。 清造、謝ってんだ。 手ぇついて頼んでいなさるお袋様が可哀そうで、お願いだ。 女郎屋の二階で泣くな、この家が嫌がる。 一杯飲んで、ざっと騒いで、帰ろう。 みんなで飲んで下さい。 お前が飲まなければ、駄目だ。 こんな、大きなもので。 一杯だけ、頂きますで。 駄目だ、もっと小っけえものでなきゃ、まねごとだ、半分で。 こうだに、ついじゃって。 (くいくい飲む)フーーッ! これで、もう一杯行きな。 そうかね、すいませんね、半分でええから、ああ何をする、口からお迎え、お迎え。 ハハハ、うめえ酒だね、飲んだことがねえ、てえしたものだ、一合どのくらいするかね。 聞いちゃならない、見栄の場所なんだ。 ハイ、ごっとさんで。 駆け付け三杯っていう、もう一杯。 昔の人はいいことを言う。 空きっ腹に飲んだ、もういっぱいです。 すみませんね。 ええで、ええで、飲んだら帰るから、一緒に。 ちょっくら足しな、てんだ、一杯はいっぱいねえと心持が悪い。 ありがてえ。 勘当できることはねえ、お袋様は喜ぶだ。 番頭さん、頭、勘弁してくだせえ。
肴を下さる。 空き腹だ、早く出したらいい。 えかく、きれいなものだね。 アンズだ。 酸っぱい、骨がねえ。 太鼓、叩きなせえ、齢は? 十二。 人が悪くなる、無理はねえ。 鈴木主水? 知らねえ。 小栗判官照手姫。 知らねえ。
かしく、酌しなさい。 バッキャロ、このアマ、何すんだ。 すみませんね、きれいなアマっ子だね、名主の娘っ子と、くらべものにならない。 敵娼(あいかた)、お前の女房だ。 芯から堅い方のそばにいられて。 初回惚れしてしまったか。 馬鹿なことを。 頼もしい方が好き、手も毛だらけモクゾウガニみたい。 オラ堅え、何でも手も豆だらけ、爪で弾けば音がする。 握ってくださいよ。 ええかね、若旦那。 似合いの夫婦だ。 握るから、手え出せ、痛えぞ。 握るで。 よすべえ、こっぱずかしくって。 くすぐるな。 そろそろ、帰ろうか。 帰ぇーれってか、おらの方は、あと二、三日ここにいるので、先に帰ぇーって下せえ。
晩秋の枇杷の会、自然教育園吟行・三田句会 ― 2022/11/07 07:08
秋晴や白金長者の気分にて
強さうなぬすびとはぎも末枯て
歳古りし椎の巨木に共鳴し
ニョキニョキと八手の蕾精溢れ
倒木の蛇穴にかと目を凝らし
水鳥や木漏れ日拾ひ滑りゆく
早慶戦勝つぞと欅色づきて
私が選句したのは、つぎの七句。
園内のベンチやあきつ先にをり 善兵衛
もみじ葉の小道歩かば志木の翳 章良
小休止団栗ひとつ椅子の上 文比古
丘の上又その上のうろこ雲 夏樹
団栗のふとっちょが好きちびが好き 次郎
日当りて芒は風を待つ構へ 洋太
末枯に優しき光届きけり 孝治
私の結果。 <強さうなぬすびとはぎも末枯て>を英先生、孝治さん、文比古さん、祥三さん、恭輔さんが、<秋晴や白金長者の気分にて>を次郎さんが、<歳古りし椎の巨木に共鳴し>を章良さんが、<ニョキニョキと八手の蕾精溢れ>を孝治さん、誠さんが、<水鳥や木漏れ日拾ひ滑りゆく>を祥三さんが採ってくれた。 英先生選1句、互選9票、計10票。 まずまずの結果だった。 <早慶戦勝つぞと欅色づきて>を誰も採ってくれなかったのは残念、最初「銀杏」のつもりだったが、丘の上の銀杏はまだほとんど黄葉してなかったので、色づいていた「欅」にしたのだったが…。
本井英先生の総評。 上手く見えるよりも、本当のものを。 星野立子さんは、「上手く見える句は、恐い」と言っていた。 虚子先生は、「十年黙って作りなさい」と。 俳句が上手くなるには、長生きすること。 長く生きていくと、授かる、季題と出合う。
<強さうなぬすびとはぎも末枯て>の選評。 ちょっと、おどけ。 「ぬすびと」というクラシックな言葉。 ロマンチックな言い回し。 面白がっている。
『鎌倉殿の13人』と、まじない(呪術) ― 2022/11/08 07:13
大竹しのぶは、『鎌倉殿の13人』で、よく「歩き巫女」の役を引き受けたものだと思う。 ものすごい顔をしている。 宮沢りえの「りく」も悪役だが、こちらはきれいな役で、『江~姫たちの戦国』(2011年)の茶々の時より年相応で、無理がなかった。
早い段階で、頼朝の弟、(阿野)全成(ぜんじょう)が鎌倉に駆けつけ、占いをし、暦をみる。 口寄せや呪詛もやる。 木曾義仲のところから人質で来て命を落とした冠者殿・源義高のことが忘れられない大姫に、全成・実衣夫婦は口寄せで義高を出すが、義高と三島の祭礼に行っていないと見破られて、全成が慌てて紫式部を出したところが、三谷幸喜らしかった。 北条と比企の対立が激しくなって、全成は、りくと北条時政に、次の鎌倉殿にと説得され、二人の依頼で頼家を呪詛するが、これが露見して頼家の怒りを買い常陸に幽閉となる。 比企能員が、実衣の命が危ないとの偽情報を流して頼家に対する呪詛を再び行わせる。 回収漏れの呪詛人形が見つかり、全成は謀叛の罪で八田知家に討ち取られることになるのだ。
第37回は「オンベレブンビンバ」という題だった。 りくは、時政を唆し、実朝に出家して、鎌倉殿を平賀朝雅に譲るよう迫ることを計画。 北条一族が集まって、仲良く「オンダラグソワカ」と唱えたのは、実はお別れ、時政はうまくいかないことを見越していた。
山本みなみさん(中世史研究家)のコラム『鎌倉からの史(ふみ)』「まじないに託した願い」(8月25日朝日新聞朝刊)によると、鎌倉で本格的に陰陽道が広まるのは、三代将軍実朝の時代だそうだ。 京から官人陰陽師が下向し、吉凶を占い、呪符や形代を用いる祭祀を行うことで、災いから将軍を守った。
突然、わが身に降りかかる災害や病、こうした自らの力の及ばない現象を目のあたりにした時、昔の人々はまじない(呪術)を使って対処した。 呪符を身につけたり、形代に罪や穢れを移して水に流したりすることで、邪気を祓ったのである。 まじないは、今日の医療や科学に代わって、あらゆる階層の人々を救済するために必要とされた。
実朝をはじめ、多くの人々を悩ませた疫病は古来、鬼や魔物の仕業と考えられていた。 鎌倉市内からは、「鬼」の文字や絵、呪文の記された木札がみつかっている。
呪文には「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」という二種類の定型がある。 蘇民将来は『備後国風土記』逸文にみえる伝説上の人物で、神に宿を貸した見返りに彼とその子孫は疫病の難を免れると約束されたという説話に基づく。 「急々如律令」は「速やかに鬼よ去れ」という意味だそうだ。
鎌倉では、人や鳥、舟などを模した形代や土地の神を鎮める地鎮埋納物も出土している。 これらは、鎌倉に仏教が広がる一方で、人々がまじないの世界にも生きていたことを示すものに他ならない。 まじないの成就を願う人々の思いを今に伝えている、と山本みなみさんは書いている。
わが家にも、以前京都の方に送っていただいた、赤い「蘇民将来之子孫也」のお札がついた八坂神社の「厄除け御粽(ちまき)」が、部屋の隅に架けてある。 そのためか、今のところ、コロナとは縁がない。
NHKスペシャル「新・幕末史 グローバル・ヒストリー」 ― 2022/11/09 07:12
NHKスペシャル「新・幕末史 グローバル・ヒストリー」の第一集、第二集を見た(10月16日、23日放送)。 必修「歴史総合」から「日本史探究」「世界史探究」に進む<小人閑居日記 2022.4.13.>に書いたように、高校では今年度から「歴史総合」を必修科目として学んだ後、選択科目の「日本史探究」「世界史探究」に進むことになる。 「歴史総合」の教科書の記述は、テーマ史の形で3編、「近代化と私たち」「国際秩序の変化や大衆化と私たち」「グローバル化と私たち」となっていて、これまでの日本史の教科書のような一国だけの歴史(ナショナルヒストリー)ではない、日本と世界をグローバルヒストリーとして学ぶことに主眼がある。 このNHKスペシャルは、その観点から、幕末史を当時の世界情勢の中で、捉えなおしたものだ。
幕末史に西洋列強の大きな影響があったことは、私の学生時代から1960(昭和35)年のアーネスト・サトウ(坂田精一訳)『一外交官の見た明治維新』上下(岩波文庫)や、1975(昭和50)年の石井孝さんの『明治維新の舞台裏』第二版(岩波新書)を皮切りに、目を見開かせられ、その後の福沢研究に関連しても、いろいろ知ってきたところであった。
今回の番組は、米、英、独、蘭の公文書館や大学図書館などで、各国の外交官や軍人の報告書や書翰など機密文書を取材して、産業革命が起こり、蒸気船が世界を駆け巡ることになったこの時代、列強がその軍事、経済、外交で日本を重要な場所と考えていたことを浮かび上がらせる。 1853(嘉永6)年のペリー黒船来航、1858(安政5)年の米、英、仏、露、蘭と通商条約が、開国か攘夷か、国内の争いを激化させ、そこにつけこむ列強、日本は世界の渦に巻き込まれる。
第一集は「幕府vs.列強 全面戦争の危機」。 イギリス、大英帝国は、世界の1/4の地域を支配下にし、「日本は植民地と同様に重要」と考えていた。 1840(天保11)年のアヘン戦争で、巨大市場・中国の権益を獲得、その中国市場を確保するために重要だったのが制海権。 横浜に艦隊を駐留させようと考えていた。 「日本は中国市場を保護する盾になる」(1860(万延元)年イギリス外務省機密文書)
1861(文久元)年の英外務省の機密文書、ロシアの脅威をラッセル外相に報告。 1854(安政元)年にクリミア戦争に破れたロシアは、この時、極東への進出をもくろみ、ニコラエヴィチ海軍大臣とアレクサンドロ2世は対馬に拠点をつくることを計画した。 対馬は、ロシアが中国へ向かうルート上にあり、地政学上の重要拠点だった。 1861年2月、ロシアは軍艦を対馬へ送り、修理を名目に停泊は半年に及んだ。 実は、その間、司令部、砲台、見張り台などの軍事施設を建設し、対馬を支配しようとしていたのだ。 (ロシア軍艦対馬占拠事件、ポサドニック号(艦長ニコライ・ビリリョフ)事件として知られる。)
ロシア軍艦の対馬占拠に対して、外国奉行の小栗忠順が立ち向かい、退去を要求したが、ロシアは英国が対馬を狙っているので、それを防いでいると主張した。 小栗は、対馬を幕府の直轄領にし、対馬を開港することを考えたが、老中・安藤信正はその策を採用せず、英国に頼る。 幕府の同意を得た英国は、軍艦を対馬に派遣し、ロシア艦を退去させる。 幕府は危機を脱出することができたが、英国は日本への干渉を強めることになる。
英国の対日全面戦争計画 ― 2022/11/10 07:05
ヴィクトリア女王のもと、世界を制したイギリスは、アームストロング砲(砲身にライフリングし、軌道安定、速度二倍、飛距離4キロ超)を有していた。 英国が1864(元治元)年に対日全面戦争を計画立案していたことが、英国公文書館の文書で確認された。 全面戦争を想定し、(1)海上封鎖…瀬戸内海。(2)京都の制圧…大坂を砲撃で無力化、陸軍部隊を送り込む、京都御所を掌握、(3)江戸城攻撃…江戸湾の砲台撃破、建物が木造なので城郭を焼き、侍を一掃する、江戸城は大砲の長距離射撃で落城させる。 そうしたシナリオで、他の列強の先手を取るのが目的だった。
攘夷派の事件が、口実を与えていた。 1863(文久3)年の長州藩外国船砲撃事件で、英国(仏、蘭、米の4か国)は1864(元治元)年14隻の大艦隊で下関戦争、沖合2キロからアームストロング砲で攻撃、2時間で長州の砲台を占拠した。 幕府は、巨額の賠償金を支払った。
幕府はオランダを通じて、列強の機密情報を得ていた。 国際情勢を分析する研究機関をつくり、不測の事態に備えていた。 海軍力の増強を図り、長崎海軍伝習所でオランダ士官に学び、開陽丸(射程4キロのクルップ砲を搭載)をオランダに発注、近代海軍の建設に努めていた。
英国の対日全面戦争計画は、ジョン・ラッセル外相が検討。 日本との戦争は負担が大きい、コストに見合うか、国会の承認が必要などで、戦争計画を放棄した。 富国強兵に努めていた幕府は、戦争の危機を回避できたのであった。
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