志ん輔のマクラ、志ん生師匠の娘さん、美津子さん2022/12/10 07:07

 志ん生師匠の娘さん、美津子さん、お子さんで唯一ご存命、志ん朝師匠の命日の一日(十月)に墓参に行くと、毎月お会いする。 90歳よりだいぶ上、今は100歳にいってんのか、当時毎月会ってると、あんたデートしない、日暮里のルノアール、コーヒーがなくなると、昆布茶淹れてくれる、何杯でも…。 周りを見ると、美津子姉さんみたいな人ばっかりで。

 志ん生師匠、家にお金をまともに入れない。 業平の「なめくじ長屋」に住んでいた頃、長女の美津子さんと妹、清少年(馬生)、お母さんに言われて、三人で手をつないで、曳舟の肉屋に使いに行く。 コロッケ二つ、ソースをザアーーッとかけてもらう。 走って帰って、四つに分けて四人で食べる、たいへんなご馳走だった。

 お母さんのおりんさん、絵が得意だった。 馬生師匠は、その血筋で、美津子姉さんが歩いていると、人が大勢たかっている。 清少年がロウセキで、道一杯にチャップリンの絵を描いていた。 お母さんは、清が絵を描くのに、叱言は言わなかった。 絵の具のチューブに、紙を巻く内職をしていた。 志ん生が手伝うと、黒に白を巻いたりするから、あんた、あっちへ行ってて。 不良品の絵の具がある。 おりんさんが、端切れに絵を描いたのが、何冊かあった。 きれいなので、貸してくれという人がいて、貸したら帰りに夕立にあって、みんな流れてしまった。 おっ母さんが、悲しそうな顔をしてた。