原武史大学院生の会った渡辺京二さんと石牟礼道子さん2023/01/28 06:59

 23日にアップした「名もなき小さきものの視点で」<等々力短信 第1163号 2023(令和5).1.25.>では、スペースの関係でふれられなかったが、原武史さんの朝日新聞土曜be連載『歴史のダイヤグラム』に、渡辺京二さんと石牟礼道子さんのことを書いた回があった(2022年10月1日)。

 原武史さんは、大学を出てから1年ほど、国立国会図書館で働いていたことがあり、納入される地方出版や自費出版の本の書誌情報をカードに書き込む作業をしていて、一冊の本にめぐりあった。 渡辺京二著『なぜいま人類史か』(葦書房)、熊本在住、福岡の予備校で教えながら近代日本思想史に関する本をいくつも出している、「あとがき」の文章にひかれ、いつかお会いしたいと思ったという。 大学院の博士課程に属していた1991(平成3)年6月、念願がかなった。 岩波書店の月刊誌に連載していたコラムで、渡辺さんを取り上げることになったのだ。

 熊本市郊外の家を訪ねると、還暦を過ぎたばかりで若々しかった(写真があった)渡辺さんは、ひとしきり話したあと、「あなたに会わせたい人がいる」と、私塾を開いていた真宗寺に連れて行った。 まもなく、花柄の服を着た小柄の女性が現れた。 石牟礼道子さんだった(上の写真はお二人)。 その名は、『苦海浄土』とともに記憶していたので、ご本人を目の前にして言葉が出なかった。

 二人の付き合いは、もう30年近く、編集者と著者の関係から、水俣病闘争が本格化するにつれ、同志的なものになってゆく。

 石牟礼さんが「文字というものを持たなかったいにしえの人は、この風のゆらめきをどのように感じとったのでしょうね」と言うと、渡辺さんが「この人はね、文化人類学の用語でいう無文字文化にずっと関心を持っているのですよ」と解説する。 そんなやりとりが続いて、ずっと聞いていたかったが、帰りの寝台特急「はやぶさ」の時間が迫っていた。

 後日、月刊誌を送ると、石牟礼さんから原稿用紙の升目を無視した伸びやかな字の返事が来た。 「お若いあなたの思考のゆく奥の方を、かいま見たと思いました。ますますのご精進をお祈りいたします。」

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