星野道夫、慶應の高校・大学から自然写真家へ2023/01/30 07:08

 学生時代のクラブの仲間で、長い等々力短信の読者から、珍しく手紙をもらって、写真展を勧められた。 たまたま、家内がNHKテレビの『ダーウィンが来た』で、その写真家のことと、写真を見ていた。 それで恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館の『星野道夫 悠久の時を旅する』展に行ってきた。 会期が22日までと迫っていたので、ウエブで予約すると21日土曜日午後4時からが取れた。 地下1階の会場への階段は入場を待つ人の行列で、見終わって出る人がいると5人とか10人とか入場させる、ウエブ予約はそれと別に時間で入場できる。 予想以上の人気、混雑だった。

 星野道夫の写真は、家内が気に入ったタテゴトアザラシの赤ん坊の写真を家に飾っていたことがあった。 しかし、慶應の経済卒だとは知らなかった。 1952(昭和27)年の千葉県市川市生まれ、慶應高校在学中に北米大陸への旅行を計画し、地下鉄工事などさまざまなアルバイトで旅費を貯め、父の理解と援助も得て、1968(昭和43)年16歳のとき、約2か月間の冒険の旅に出た、というから凄い。 慶應義塾大学経済学部に進学、探検部(私の頃はなかった)で活動し、熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦した。

 大学1年生19歳のとき、神田の古書店街の洋書専門店で、『アラスカ』(ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ、1969(昭和44)年)に出合う。 この本に掲載されたベーリング海と北極海がぶつかる海域に浮かぶ小さな島の、エスキモーの村、シシュマレフの空撮写真に魅せられ、1972(昭和47)年10月村長宛に訪問したいという手紙を書く。 半年後の1973年4月、村長から訪問を歓迎する旨の返事が来た。 翌1974(昭和49)年夏、日本から何回も航空機を乗り継いで、シシュマレフに渡った。 現地でホームステイをしながら、クジラ漁についていき、写真を撮ったり漁の手伝いをしながら、3か月間を過ごす。 帰国してから、指導教授にアラスカでのレポートを提出し、なんとか卒業単位を取ることができたという。

 卒業後、動物写真家の田中光常の助手を2年間務めたのち、1978(昭和53)年、アラスカ大学フェアバンクス校の野生動物管理学科に入学、一年の大半をアラスカを中心にカリブー(北アメリカのトナカイ)やグリズリー(ハイイログマ)など野生の動物や植物や、そこで生活する人々の写真を撮影して過ごす。 しかしアラスカ大学は、結局中退してしまう。

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