多聞丸は、この戦が馬鹿々々しいと思っている2023/02/22 07:03

 父正成の時代、楠木家は鎌倉から悪党と呼ばれていた。 このような悪党は他にも多く、物流を生業にしたり、あるいは荘園の横領を行ったりと、鎌倉の支配の外で生きていた。 だが彼らの多くは、後醍醐帝に鎌倉討伐に力を貸したことで、やがて朝廷より臣として取り立てられることになった。 つまり悪党が朝廷の臣下になったのだ。 それで手放された利権を得ようと、また新たな悪党が何処からともなく湧いて来た。 以前は鎌倉という一つの体制があり、その枠に収まらぬ者を包括して悪党と呼んでいた。 だが鎌倉はすでに崩壊しており、天下は今、宮方、武家方によって二分されている。 宮方にとって悪党であるが、武家方にとっては悪党ではない。 またその逆も有り得る。 悪党の定義が変化、あるいは進化しているのだ。

 和田兄弟は多聞丸に、そんな新しい形の悪党の一人、阿呆の灰左(22)がまた暴れていると言う。 藍染を生業とする紺掻(こんかき)を取り纏める者だった灰左の父が、いち早く後醍醐帝の最初の決起に馳せ参じたことで、一族は厚遇され「青屋」の姓を名乗ることを許された。 宮方は、彼らを「吉野衆」と呼んで頼りにしているが、武家方にとっては悪党である。

 だが朝廷で次代を期する者として口に上るのは、楠木多聞丸正行の名ばかり、青屋灰左は面白くない。 楠木家傘下の小規模の悪党池田安蔵の衆と小競り合いを起こして、多聞丸を引っ張り出そうとする。 多聞丸は、弟の次郎正時、和田新兵衛・新発意兄弟、池田の衆19人との23人で、灰左の配下50人以上と百舌鳥八幡宮東の荒地で喧嘩する。 多聞丸は、灰左の頭に木刀を振り下ろして討ち取り、33度闘って33度勝った。 灰左やその弟惣弥と話すと、なぜ多聞丸が朝廷からのお声掛けに応じぬかと難じ、下級の公家が多聞丸を新たに常陸国の国司、守護に任じる噂をしていたと言う。 常陸は敵方の勢力圏だから、多聞丸も戦わざるを得なくなるというのだ。 余程事態は切迫しているようだ、これまで通りの方法では躱(かわ)せぬと悟った。

 帰り道、新兵衛・新発意と別れる時、多聞丸は「常陸に行くつもりはない」と言った。 多聞丸は次郎に、ずっと考えていたことを洩らした。 そうすれば戦を終らせられるかもしれない。 民は塗炭の苦しみを強いられている、早々に戦は終わらせるべきなのだ。 己のためだ、結局、己はこの戦が馬鹿々々しいと思っているだけなのだ。

 野田四郎正周が来た。 野田は、父正成に50回戦いを挑み、一度も勝てずに従ったと言う。 野田も噂を聞き、楠木家が動くのは時期尚早かと、と。 楠木党は最盛期の七割程度、さらに力を蓄えることが望ましい。