桂文治の「擬宝珠」2023/02/06 07:03

 一年前、私もオミクロンになりまして、さん喬師匠が代演してくれた。 熱が出、胃腸が悪くなって、発熱外来へ行ったら、待たされて、普通の人でも具合が悪くなる。 唾液を取るのに、出ないので、レモンと梅干の写真を見る、原始的。  病気は重なる。 五年前、インフルエンザに罹った。 末広亭のトリだったが、5日間上がれなかった、これをトリインフルエンザという。 初めて、牡蠣に当った、4日間入院したが、食べ物が喉を通らない。 骨折した、練馬の町内でやっている独演会、出来がよければ、落語研究会にかける。 二階が楽屋で、下へ降りる階段で落ちた、七段目からならネタになったのに、二段目から。 酷く肩をぶつけて、救急車で行く。 歩いて救急外来に入って行く、下が丈夫、いやな落ちだ。 この頭で白っぽい長襦袢だから、坊さんだと思う。 救急外来の患者さん達が、一斉に引く。 肩、三か所、折れていた。 ペットボトルに水を入れたので、リハビリ、完治まで半年かかった。 人情噺「こらまてさん喬」(?)、この噺はやっていない。 カイダンは、こりごり。

 熊さん、取りあえずやって来た。 倅のことだ、患っている。 親も二階の倅の所に行けない。 名医も首を傾げた。 三日前、名医が気の病いだ、かなえてやったほうがいい、と。 だが、口を割らない。 思いついたのが、熊さん、倅と幼馴染だ。 熊さんは地声が大きいから、命に障るんで、気を付けて、話を聞いてもらいたい。 声の小さいのが、自慢なんだ。 この家のことは、どこに若旦那の部屋があるかわかる、どこに金庫があるか、どこに鍵があるかも。

 (大声で)ドーーッ! 若旦那。 殺す気かい、そろそろ熊さんの出番だと思っていたよ。 それで来たんだろう、熊さん、治らない病いなんだ、お前さんに言って、消えてしまいたい、モヤモヤ。 カミキリムシが、もだえているようだ。 レコ(小指)のことでござんしょ? 違うよ。 この噺は「崇徳院」じゃないんですね。 前座が、ネタ帳を消してる。 高尾太夫、幾代太夫、みかんが食いてえってんじゃないよ。 何で患っているのか? 言わない、笑うから。 笑うわけがない。 笑うよ、アハハ。 あんたが笑ってどうする。 エーーッ、エーーッ、竹千代が聞きたい。 聞きたくない、あんな変な「千早ふる」。 だから、芸協って、言われるんだよ。 ギボシが食いたい、なめたい。 ニボシ? お寺の屋根のてっぺん、橋の上のあれだ、子供の時から、金物なめるのが大好きで、洋食屋のライスカレーも、シャジがなめたくて行った。 ギボシがなめたくて、患っている。 若旦那、死んだら大変だ、夜中に行って、なめてくればいい、大川へ行って、両国橋、駒形橋、吾妻橋と。 飽きたよ。 浅草の観音様の五重塔、てっぺんの擬宝珠がなめたい。 友達だったら、無視して下さい。 大旦那には、話してみますよ。 梯子段に緑青、総毛だっているようだ。

 大旦那、行って参りました。 本当のこと、エーーッ、エーーッ、エーーッ、竹千代が聞きたい、てんですが。 竹千代が聞きたい? 擬宝珠がなめたいってんですよ。 アーーア、親子だなあ。 今、何か言いましたか? 私も子供の時分から……、遺伝じゃないか、一緒だ、なめましてねえ。 木久扇親子とおんなしだ。 私とお爺さんは、これがご縁で結ばれた、一緒になった。 駒形橋はどぜうの味、京都三条大橋は八つ橋の味、擬宝珠なめの聖地だ。

 浅草寺に話を通して、頭連中集めて、足場をつくった。 若旦那、自分の足で歩くんだよ。 見上げてごらん、夜空の擬宝珠を。 擬宝珠チャン。 駆け出して行ったよ。 てっぺんに行きました。 なめるよ、地獄だーーッ、恐い、恐い。 顔、赤味が戻って来た。 熊さんかい、元気になった。

 家に帰って、礼を言おう、お父っつあん、おっ母さん、店の皆さん、ありがとう。 親子三人、旅行支援で全国回ろう。 どんな味がした? 沢庵の味がしました。 一升塩か、二升塩か、もっとかな? 緑青の味がしました。

柳家権太楼の「二番煎じ」前半2023/02/07 06:59

 個人的な話ですが、病んでおりまして、強い薬を服用して、顔がむくむ形になっている。 武蔵小金井の落語会で、この辺(右前方)のおばさん5、6人、指差して「むくんでる」と。 指差さないように、お願いします。

 火事と喧嘩は、江戸の華、という。 明暦の大火、筑波下ろしのからっ風、江戸中を焼き尽くし、いろは四十八組、大名火消、などが出来た。 町々に番太郎が置かれたが、人生に疲れて、責任感がない。 自分の町は自分たちで守ろうと、自衛団が夜回り日回りするようになる。 子供の頃、ベビーブームで、くさるほど子供がいた。 1クラス60人、11組あった。 夏休みが終わると、1人いなくなった、引っ越しでなく。 缶カラに蝋燭を入れて、「マッチ一本火事の元」なんて、やってた。 百本にしようなんて、隣町と喧嘩、楽しい時代でした。 普通に戻ろう、文治と違うんだから。

 ご苦労様、私が月番で、こんだけの人数は無駄だから、一の組、二の組に、分けたらどうだろう。 お互い様に、体のためにいい、いいこと言って下さった。 じゃあ、われわれは一の組。 伊勢屋の旦那が鳴子、黒川先生は拍子木、辰っつあんは金棒、宗助さんは提灯持ち、で。 伊勢屋の旦那、番頭から小僧まで風邪で、叱言を言ったら、丈夫なのが一人いますと、みんなで私を指差した。 不条理な話、奉公人は暖かい蒲団で寝ている、世の中、間違っている。 奉公人が楽して、旦那が夜回り、いい話じゃありませんか。 いい話だけど、寒いんですよ。

 ウォーーッ、寒い。 拍子木、コツン、コツン。 黒川先生、チョン、チョンでしょ。 拍子木が、たもとから出たくない。 コツン、コツン。 駄目だ。 辰っつあん、金棒は? 手にくっついちゃうのよ、弥蔵組んで引きずっている。 ズルズル、ズルズル……、ピチャ、ピチャ。 水たまりだ。 宗助さん、提灯持ち、暗いね。 寒いんで、股倉に挟んでますんで。 黙って歩いてると、老人の徘徊だかどうか分からない、声を出して。 火の用心、火の回り! エーーーッ、エーーーッ、お安くしますよ、お座敷遊び…。 伊勢屋の旦那、一つ替え歌を。 ♪裏の背戸やに ちょいと 柿植えて 柿植えて ちょいと 火の用心 火の回り。 子供火遊び ボボボボ…… 火事になる。 黒川先生、一つ寒稽古のつもりで。 (謡で)火の用心、火の回り! よしなさい、方々の家で明りが点き始めた。

 辰っつあん、昔、吉原(なか)で火の用心をやったことがあるって。 細い股引、長半纏でね、ちょいと形がいいんで、女が放っとかない、こっちへ来て一服しなんせ。 煙管の雨が降るようだ。 ♪火の用心、さっしゃりやしょう! お二階の回りやしょう! この声で、女がどんなに泣いたかと考えると、罪深いほどで。 ターーン。 日本一! 音羽屋! お上手、お上手。 ♪火の用心、さっしゃりやしょう! 辰っつあんが調子に乗ると、何回でもやります。 大棟梁! ホホホホホー、腹が減ってきちゃった。 戻ろう、戻ろう。

 着いたよ。 寒かったね。 辰っつあん、後ろを閉めて。 宗助さん、炭を二つ三つ、放り込んで。 火に当たりましょう。 一の組は、分が悪い。 二の組は、暖ったかい思いをしてから、出て行けばいいんだから。

柳家権太楼の「二番煎じ」後半2023/02/08 07:07

 月番さん、家を出る時、わが娘がお父っつあんは年だから、瓢(ふくべ)に酒を入れてくれた、飲みながら、いかが…。 火の番ですよ、お役人が見回りに来る、何を考えているんです、あなたなんか年嵩でしょ、止めるのが役でしょう。 年甲斐もなくて、すみません。 何ですか、貸しなさい、こっちへ。 辰っつあん、土瓶を空けて、洗って、布巾で拭いて、土瓶の中にそれを入れて…。 黒川先生、駄目ですよ。 月番さん、何をやってる? 火にかけて、どうする。 飲むんです。 お酒は駄目だけれど、土瓶から出る煎じ薬ならいい。 実は、私も一升持って来た。 湯呑茶碗でやりましょう。 伊勢屋の旦那も。

 宗助さんは? 肴を用意しました。 これなんですけど、猪(しし)の肉、葱も刻んであって。 鍋、ないよ! 鍋、背中に背負ってきました。 それで猫背だったんだ。 辰っつあん、心張り棒支(か)って。 二の組、ずっと回そう、今日は…。 ご苦労様。

 (小さな声で)アーーッ、フゥーーッ。 いいですね。 酒は百薬の長っていうからね。 どんな先生の薬も、すぐには効かない、これはすぐに効く。

 鍋が煮えたよ。 箸が一膳しかない。 黒川先生、どうぞ。 猪(しし)の肉は、初めてで。 これは美味ですな、知らないで、年を重ねたのは人生の不覚。 娘に買わせましょう、どこで売ってますか、宗助さん。 隣町のももんじ屋で、売ってる。 けっこうですね。 <番小屋で猪鍋食べてシシシシシ>、よくないよ。 <猪鍋や北風ぴゅうぴゅう吹いている>、いい加減にしなさい。 猪の肉は、どんなに熱くても火傷しないという。 箸を貸しなさい、伊勢屋の旦那に。 私は猪、四つ足は苦手で、葱を頂かせてもらいます。 葱のクタッとしたのが好きで。 アッ、中の芯がピューッと飛び出て、熱い。 葱が好きだといいながら、葱と葱の間に肉を挟んでますね。 見っかっちゃったか、実は肉が大好きで…。 いいね、こういうことがあるんなら、明日も番頭は寄越さない、寄せ鍋をやりましょう。

 みんなで都々逸の回しっこなんかどうです。 ♪米俵、もとを質せば、野山のすすき、月と遊んだ頃もある。 ヨーヨーヨー。 黒川先生、こんなのはどうでしょう。 <猪鍋に蛙飛び込む水の音>

  バン! バン! 辰っつあん、何か言った? 犬が匂いを嗅ぎつけたのか。 バン! シッシッ! バン! バン! シッシッ! 番の者は、おらんのか。 犬じゃない、役人だ! 土瓶を隠して。 鍋が見える。 宗助さん、鍋の上に座りなさい、あんたが持って来たんだから。 私が…。 アッチッチ、ふんどしにおつゆがしみる。

 皆の者、そつがなく回っておるか。 先ほど、拙者がバン!バン!と申したところ、シッシッ!と申したのは、なぜか。 火を熾そう、火、火、と言った。 ここにいる宗助さんが…。 俺の名前を出すなよ。 土瓶のようなものを隠したようだが、あれは何か。 風邪で、煎じ薬を煎じておりました。 拙者も一服、所望したい。 結構な煎じ薬である。 ごゆっくりと、十分にございますから。 鍋のようなものも、あったようだが…。 あれは、煎じ薬の口直しで。 ここに出しなさい。 出所がよくない。 宗助さん、立って。 ふんどしに、葱やなんかがくっついている。

すまないな、辰っつあん、お相手をして。 駆け付け三杯と申します。 口直しをどうぞ。 黒川先生、こんなのはどうでしょう、<役人に叱られるまで猪の味>。 つゆの味が足りんような気がする。 宗助さん、ふんどしを絞って。 煎じ薬を、もう一杯所望じゃ。 煎じ薬が切れました。 なに、左様か、拙者もう一回りして参るので、二番を煎じておくように。

慶應義塾三の橋仮校舎跡へ行く2023/02/09 07:07

 2月3日は福沢先生の命日で、三田あるこう会は恒例の常光寺参拝、第552回例会「常光寺参拝・122年前の葬列を追う」だった。 今年、会長から顧問になった宮川幸雄さんのコース設定である。 現在の墓所である福沢家菩提寺・麻布山善福寺でなく、上大崎の常光寺に行くところが、この会の伝統になっている。 学生時代命日に常光寺の墓参をしていた私などの年代には、懐かしさもあって納得できる選択だ。

 午前10時30分、麻布十番駅2番出口前集合、近くの首都高速道路下(塗装補修工事中だった)、古川沿いの小公園・新広尾公園親水テラスでコースの説明を受けて出発。 麻布通りを古川橋方向に南下、途中、大韓民国大使館に近いここに在日韓人歴史資料館と、韓国動乱(昭和25(1950)年6月25日勃発の朝鮮戦争)参戦記念碑(平成元(1989)年建立)、忠魂碑(在日学徒義勇軍として参戦、戦死・行方不明の135人を慰霊し、平成26(2014)年建立)があるのを初めて知った。

三の橋から右に入って、現在はマンションになっている慶應義塾三の橋仮校舎跡へ。 ここ麻布新堀町にあった東京高等工学院(昭和22(1947)年から中央労働学園の所有に移る)が夜間学校であったことから、第二次大戦後、慶應義塾が校舎の一部を日中に借用、昭和21(1946)年6月から24(1949)年7月まで利用した。 大学予科の一部、昭和23(1948)年3月10日からは新制の高等学校として、普通部(旧制)の上級学年を転換し慶應義塾第一高等学校、商工学校の上級学年を転換し慶應義塾第二高等学校が設置され、利用した。 24(1949)年3月2日、慶應義塾第一高等学校の校名を慶應義塾高等学校と変更、同時に第二高等学校を廃止、両校を統合改称した慶應義塾高等学校が4月に三田キャンパスに移転した。 同年10月には、米軍に接収されていた日吉の旧大学予科校舎(第一校舎)が返還されたので移転し、現在に至っている。 慶應義塾三の橋仮校舎、慶應義塾高等学校の泉源であり、太平洋戦争末期の米軍空襲の深刻な被害や戦後の接収による、慶應義塾の苦難の歴史を物語る、記憶されるべき場所だった。 しかも、それは福沢先生の現在の墓所、麻布山善福寺から400メートルほどのごく近い所にあった。

 綱町グラウンドにも近く、中等部の陸上部で付近をランニングしていたという宮川さんならではの、ご案内だったと思う。

落語でお馴染、絶江坂と麻布古川「小言幸兵衛」2023/02/10 07:02

 慶應義塾三の橋仮校舎跡から、警備の警官がいたイラン大使館前、絶江坂の横、薬園坂、新坂を通って、明治通りに出、光林寺のヘンリー・ヒュースケンの墓に行った。 このコース、実は落語好きには馴染の地名の出て来る一帯なのだ。

 まず絶江坂は、古今亭志ん生の「黄金餅」の言い立ての終点、麻布絶口(絶江)釜無村だ。 「絶口釜無村」、いかにも貧乏人が住んでいそうな地名である。 下谷山崎町、坊主の西念が、ケチケチ貯めた二分金と一分銀の山をあんころ餅にくるんで、吞み込んで死ぬ。 隣家の金兵衛が、菜漬の樽に入れ、長屋の連中と自分の寺へ、担いで行く。 「下谷の山崎町を出まして、上野の山下、三枚橋から上野広小路、御成街道から五軒町へ出て、その頃、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっつぐに、筋違御門から大通りへ出まして、神田の須田町へ出て、新石町から鍛冶町、今川橋から本白金町、石町へ出て、日本橋を渡りまして、通四丁目、京橋を渡り、まっすぐに新橋を右に切れまして、土橋から久保町、新し橋の通りをまっつぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から飯倉六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、その頃、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村の木蓮寺へ来たときには、みんなずいぶん、くーたびーれた。」

 慶應義塾の大先輩で、福澤諭吉協会で知り合うことができた俵元昭さんに、著書『港区史跡散歩』(学生社)がある。 それによると、絶江という地名はある。 木蓮寺は架空の寺だが、近くの曹溪寺(南麻布2-9-22)を開山したのが絶江和尚で、元和9(1623)年に今井村に開創し、承応2(1653)年に現在地に移転した。 絶江の寺と呼んだものが、付近の地名になり、坂の名にもなったそうだ。

 もう一つ、落語と関係するのは、麻布古川が「小言幸兵衛」の長屋の地であることだ。 俵元昭さんによると、麻布古川といえば麻布の古川端ならどこでもいいようだが、町屋があったところはごく限られていて、麻布古川の町名を称する場所は、現在象印マホービンのビルのある位置(南麻布1-6の南のブロック)しかないという。 文政11(1828)年の惣家数は9戸、ふさわしい規模だろう、と。

 「小言幸兵衛」の噺は、当日記にもいろいろ書いて来た。 (柳家)権太楼の「小言幸兵衛」本体<小人閑居日記 2010. 3.8.>は、こう始まる。  「麻布の古川に…」、家主幸兵衛の小言が始まる。 お茶を淹れておくれよ、ばあさん、猫ばかりにかかりあっていて、猫ばばあ、今から火を熾すのか、裏の木戸が風でバタバタいっている、鍵はかけなくてもいい。

(柳家)さん喬の「小言幸兵衛」<小人閑居日記 2006.10.2.>では、「小言幸兵衛」には、二種あることを書いていた。  独断と偏見の男、麻布古川の家主・田中、「小言幸兵衛」には仕立屋・心中バージョンと、搗き米屋・仏壇位牌回転バージョンがある。 柳家さん喬のは、前者だった。 貸家の札を見て、まずやって来るのは、乱暴な口を利く豆腐屋。 はなから「ちんたな」ばかり尋ねて、物は言い様、口は利き様だと、幸兵衛に叱られる。 次に来るのは仕立屋。 世帯を持って七年、子供がいないと聞いた幸兵衛に、「三年子なしは去れ、という。別れろ、別れろ」と言われて激怒、「逆ボタル、アンニャモンニャ、誰が越してくるもんか、バカヤロー」と去る。