入船亭扇辰の矢野誠一作「蕎麦の隠居」前半2023/04/05 07:02

 白熱の後半戦に入ります。 暑さ寒さも彼岸まで、というけれど、今日は暑かったですね、永田町から歩いてきました。 そこそこのご来場で。 人間、道楽があった方がいい。 車に例えると、日々の暮らし、家事、育児、介護、私の嫌いな四字熟語「確定申告」など、錆び付いた車輪に、道楽があると、よく回るようになる。

 食い道楽は、幸せだけれど、他人(ひと)迷惑なのもある。 品のいい、ご隠居が、店に入って来る。 何を、差し上げましょう? お蕎麦を半分。 お蕎麦、半丁! あっという間に、つるつるっとやって、そば湯を美味しそうに飲んで、おいくら? 十六文。 ご内所の主(あるじ)はおいでか? 私が、主で。 蕎麦屋を営んで、何年になる? 親父の代からの蕎麦屋で、花番、打ち手、釜前、中台と修業して、八年前に親父を亡くして継ぎましたが、子供の頃からの蕎麦屋暮らしで…、今年は四十二の厄年になります。 お蕎麦は、おいくら? 十六文。 半分でも、十六文かい、きりのいいところで十文でいかがかな? 承知致しました。 いいのかい、いいお店だね、蕎麦は日に一度は食べないといられないんで。 どうぞ、ご贔屓に。 御免! ケチなご隠居だな。

 あくる日の昼過ぎ。 何を、差し上げましょう? お蕎麦を一枚。 蕎麦、一丁! 杉箸を割り、つるつるっとやって、そば湯を美味しそうに飲んで、おいくら? 十六文。 ご内所の主はおいでか? 私が、主で。 蕎麦屋を営んで、何年になる? 親父の代からの蕎麦屋で、花番、打ち手、釜前、中台と修業して、八年前に親父を亡くして継ぎましたが、子供の頃からの蕎麦屋暮らしで…、今年は四十二の厄年になります。 これは、何? 猪口、出石焼で。 見てごらん、口の所が少し欠けている。 こんなものを、お客さんに出しちゃあ、いけません。 確かに、欠けております、気が付きませんで…。 わかればいい、お代はここに置く。 また、お叱言を言われました、どこのご隠居か。

 あくる日の昼過ぎ。 お蕎麦を二枚。 蕎麦、二丁! いかにも美味しそうに、つるつるっとやって、おいくら? 三十二文。 ご内所の主はおいでか? 私が、主で。 蕎麦屋を営んで、何年になる? 親父の代からの蕎麦屋で、打ち手、釜前、中台と修業して、八年前に親父を亡くして継ぎましたが、子供の頃からの蕎麦屋暮らしで…、今年は四十二の厄年になります。 お膳を見てごらん、何か、柄にしちゃあおかしい。 汚れております。 薬味がこぼれて、蕎麦が二、三本ついてる。 きちんと、拭いておかないからいけない、塵っぱ一つ落ちてないのが、食べ物屋さんだ。 お代はここに置く。 また、お叱言を言われた。