誤解の原因と、大久保利謙論文2023/05/04 06:58

 誤解の原因は、何だったのか、朝日新聞の記事をさらに読む。 五代が設立に関わった「大阪商業講習所」が源流となっている大阪市立大学(現・大阪公立大学)の関係者らで作る「五代友厚官有物払い下げ説見直しを求める会」などによると、誤解のもとは1881(明治14)年7月26日付の東京横浜毎日新聞の社説。 「五代らが関わる関西貿易商会が開拓使と結託し、北海道物産のすべてを入手しようとしているという情報を得た」と記したが、その事実はなかった。

 五代は沈黙していたが、当時の本人の手紙によれば、政府の重要な地位の人物から「決して気にかけるな」などと諭され、きっと深い意味があるのだろうと、弁明を断念したらしい。

 1952(昭和27)年に歴史学の大家、大久保利謙(としあき)がこの社説などをもとに、実際に五代が払い下げを求めたかのように論文を書き、学界に定着してしまったという。

 昨日引用した私の「五代友厚がきっかけ、「明治14年の政変」」は、『福澤諭吉事典』のI生涯・5建置経営・②民権と国権の、「北海道官有物払い下げ事件」「明治一四年の政変」の項を参考にしていた。 ともに、「参考」(文献)に、大久保利謙「明治十四年の政変」『大久保利謙歴史著作集』2、吉川弘文館、1986年、が挙げられている。 両項目の執筆は、寺崎修さん、福沢研究でいろいろなことを教えていただいたが、12月3日に76歳で亡くなられたそうで、『三田評論』4月号に長谷山彰前塾長が「追想」「大仏心の人 寺崎修さん」を書かれている。 そういえば、福澤諭吉協会の一日史蹟見学会で多磨霊園などへ行った時、寺崎さんのお寺に寄ったことがあった。