朝ドラ『らんまん』の中浜万次郎に違和感2023/05/19 06:59

 5月3日に、こう書いていた。 「4月5日の朝ドラ『らんまん』に、ディーン・フジオカが坂本龍馬になって登場したので、私はこうツィートした(@goteikb1)。 「五代から龍馬になりて春らんまん。朝ドラ『らんまん』。朝井まかてさんが牧野富太郎を描いた『ボタニカ』を読んで、昨年2月4日~18日ブログ<轟亭の小人閑居日記>に書きました。龍馬は出て来ませんでした。」 ディーン・フジオカは、2015年12月21日からの朝ドラ『あさが来た』で五代友厚を演じて、大ブレークし、物語から消えた時は「五代ロス」と騒がれたのだった。 なおディーン・フジオカは、2021年の大河ドラマ『青天を衝け』でも、五代友厚を演じていた。」

 つづいて朝ドラ『らんまん』には、宇崎竜童が中浜万次郎になって登場した。 主人公の槙野万太郎(神木隆之介)が、高知で自由民権運動をリードしていた早川逸馬(宮野真守)に連れられて行き、中浜万次郎と対面するのだった。 アメリカで教育を受けて自由と自立を体験した中浜万次郎が帰国後、自由を奪われて幕府や新政府に容れられず、対米交渉の重要な時期にその力を発揮できなかったことを残念がるような描き方だった。 ジョン・マン、中浜万次郎が、安政7(1860)年、咸臨丸での遣米使節に通弁主任として随行、福沢諭吉と一緒にウェブスターの辞書を買って帰ったことを知っている私には、違和感があった。

 捕鯨船や金山で働いて帰国費を稼ぎ、嘉永4(1851)年正月、琉球摩文仁間切(まぶにまぎり)に上陸、薩摩に送られ同藩や長崎奉行所から長期の尋問を受け、翌年7月に土佐に帰った。 尋問した土佐の絵師河田小竜が著した『漂巽紀略』(ひょうそんきりゃく)が、坂本龍馬にも影響を与えたという。 翌嘉永6(1853)年7月のペリー来航で、万次郎の知識が必要とされ、幕府に招かれ軍艦操練所教授に任じ、中浜の姓も授けられていたからである。