一見「すてきなあなたに」風2023/06/26 07:02

 3月の家内の誕生日に、花屋で黄色のチューリップ、ピンクのスイートピー、それに家内の好きな麦を買った。 家内が殊の外喜び、家の中に生花のある良さを改めて感じた。 それから、自由が丘駅近くに日比谷花壇が出している店で、カンパニュラ、アルストロメリアと続き(名前を忘れるので書いてもらう)、その後は家内が引き継いで、続いている。

それで昔、「等々力短信」に「一見「すてきなあなたに」風」というのを、書いたことを思い出した。 第288号、昭和58(1983)年6月5日。 こんなことを、書いていた。

 山口瞳さんに、いいことを教えてもらった。 といっても、面識があるわけではない。 山口さんの随筆に教えられたのだ。 それは花束を買う楽しみだ。 花束といっても、フリオ某が舞台でもらうようなゴツイものではなくて、花屋の店先に紙に包まれてバケツに放りこんである一束250円とか、300円とかいうヤツである。

 ごくまれに、花でも買おうかという気分になることがある。 花屋に入ると、名前がわからない上に、ミエとハッタリで、つい低温のガラス・ケースの中の一本300円のバラを「それ十本」などと言ってしまう。 花屋の店先に安い花束があることは承知していた。 だいたい、あれは仏壇に供えるのが主な用途なのだろうが、花屋の前を通る時、横目で見ると、なかには、よさそうなものもある。 しかし、買うのには、ちょっと抵抗があった。 それが、山口瞳さんのような大家でも、お買いになるという。

 「これは決して馬鹿にしたものではなくて、ちいさいつぼみのバラが花開いたら、意外にも大輪であって、二日間か三日間であるけれども、大儲けをしたような気分になることがある。その二日か三日というのが良いし、差しあげるときに照れ臭くないのも良い」

 山口さんは、もっぱら飲みに行く店に持っていくようだが、そういう所に縁のない私は家に持って帰る。 何種類かとりまぜた仏壇用ではなく、単品のヤツを選ぶ。 このところのを挙げれば、かすみ草、バラ、なでしこ、ブバリアの中のハイ・ブリッド、しゃくやく、カンパネラといった花である。 花屋で名前を聞き、忘れぬように帰ってくる。 途中で超ミニのお嬢さんとすれちがって、わからなくなったことなど、一度もない。 万一わからなくなった場合は「クメノセンニン」とでも言っておけばよろしい。

 このなかでの傑作は、つぼみをつけた茎だけを十数本たばねた「なでしこ」で、紫色の紋のある白い花が見事に開いて、一週間も楽しめた。 「校の章(しるし)のなでしこのよう/われらはのびよう/やさしくつよく」という小学校の校歌を思い出した。

 花を買おうという気持自体、豊かなものだし、家にいつも花があるというのも豊かなものである。 それが実に安く味わえることを教えられて、大儲けをした気分である。

 (註・「フリオ某」は、当時人気のフリオ・イグレシアス。)