日本ラグビーのジャージーがボーダーな理由2023/06/27 07:02

24日朝、再放送の『チコちゃんに叱られる』で、「なぜ、日本のラグビーのジャージーの多くがボーダー(ストライプ、横縞柄)なのはなぜか」というのをやっていて、「慶應義塾大学ラグビー部で新入部員が増えたため」と、いっていた。

 慶應のラグビー部は、蹴球部というが、日本ラグビーのルーツ校である。 『慶應義塾史事典』の「蹴球部」を見ると、明治32(1899)年、東京麻布仙台ヶ原(かつて付近に仙台藩伊達家の下屋敷があって、二の橋から上がる仙台坂の名が残り、その下のあたりを仙台ヶ原と呼んでいたそうだ)で、塾生によりラグビーが産声を上げ、現在日吉グラウンドには日本ラグビーの「発祥記念碑」が建立されている。 当時、塾生にラグビーを伝えたのは、大学部理財科英語教師クラーク(Edward Bramwell Clerke)、実技指導は田中銀之助であった。 2月に福沢諭吉が亡くなった明治34(1901)年12月には、義塾とYC&AC(Yokohama Country & Athletic Club)との間で日本ラグビー初の対抗試合が行われ、明治36年に至って、それまでのクラブチーム統合による蹴球部が正式に発足、体育会への加入も承認された。

『チコちゃんに叱られる』では、慶應ラグビー部のジャージーは当初、各国のそれと同じ単色で、黒だったが、明治36(1903)年岡本謙三郎が米プリンストン大学の黒とオレンジのエンブレムを参考にして、黒と黄の横縞柄にしたら、新入部員が増えたとやっていた(ラグビー雑誌編集長、田村一博氏)。 番組にも出ていた明治34(1901)年の義塾とYC&ACの第1回対戦の出場メンバーの写真(中央にクラークと田中銀之助がいる)が『慶應義塾史事典』にもあるが、単色の黒のジャージーである。

 今年のラグビー・ワールドカップは、9月10日の日本対チリ戦で始まるが、23日に日本ラグビー協会が新ジャージーを発表していた。 カンタベリー製で、三つの特徴があるという。 (1)ファンからポリエステルウェアを回収してつくった、ケミカルリサイクル繊維を使用して、ファンの「ONE TEAM」の思いがこもる。(2)2019年の兜デザインを継承、変更はクルーネックなど少し。(3)機能性(耐久、軽量、快適)向上。