『打撃王』、ゲーリー・クーパーのルー・ゲーリッグ ― 2023/09/09 07:09
9月9日は亡くなった兄晋一の誕生日だ。 私が幼い頃から、プロ野球の試合や映画を観ているのは、5歳上の兄がいたおかげだった。
ゲーリー・クーパーがルー・ゲーリッグを演じた『打撃王』という映画を観た。 日本での封切は、昭和24(1949)年のことだから、私は小学校の1年生か2年生だった。 その映画のことを、兄が亡くなったちょうど一年後に、「等々力短信」第944号 2004(平成16)年10月25日に、「もつれ足」と題して書いていた。
等々力短信 第944号 2004(平成16)年10月25日 「もつれ足」
モリー先生の難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、別名をルー・ゲーリッグ病というのだそうだ。 子供の頃、ゲーリー・クーパーの『打撃王』という映画を観た。 クーパーの演じたルー・ゲーリッグが、打席に向かう途中、並べて置いてあるバットにつまずいて転び、スタンドから「もつれ足」というヤジが飛ぶ場面があった。 この「もつれ足」という字幕を、ずっと憶えていた。 『打撃王』の日本での封切は、昭和24(1949)年のことだから、私は小学校の1年生か2年生だった。 この年の秋、オドール監督ひきいるサンフランシスコ・シールズが来日し、その試合も後楽園球場で観た。
「もつれ足」がALSと関係があったのかどうか気になって、以前衛星放送でやったのを録画しておいた『打撃王』を見た。 原題は“The Pride of the Yankees”、1942年の作品で、サムエル・ゴールドウィンの製作、監督はサム・ウッド。 ベーブ・ルース自身がベーブ・ルース役で出演している、ルー・ゲーリッグの伝記映画だった。 学歴がないためよい職業に就けない両親(とくに母親)は、ルーが大学を出てエンジニアになった伯父のようになることを望む。 母はコロンビア大学の学生寮の賄いをしつつ、ルーをコロンビア大学に進学させる。 子供の頃から素晴しいバッターだったルーは、母親の病気を機に、ヤンキースと契約する。 マイナー・リーグのハートフォードに所属したのを、母が「ハーヴァード」と誤解したのをよいことに、プロ野球選手の道を歩む。
マイナー・リーグで首位打者となりヤンキースに昇格、ベンチを暖めていたが、シカゴで一塁手が打席で故障し、突然代打に指名される。 その時、慌ててベンチを出て、バットにつまずいて転ぶ。 「もつれ足」とヤジを飛ばすのが、のちのゲーリッグ夫人(テレサ・ライト)だった。 「もつれ足」はtanglefoot、BS2の字幕(池田宏)では「千鳥足」になっていた。 ALSにかかるのは、ずっと後で、それが引退の原因となる。
ルー・ゲーリッグは一塁手、4番打者(背番号4)として活躍、3番打者ベーブ・ルース(背番号3)とともに、ヤンキースの人気を高めた。 1939年まで17年の選手生活で、打率3割4分1厘、連続試合出場数2130回(“アイアン・ホース”と呼ばれた)、三冠王(1934)などの記録を残した。 これより先1920年にベーブ・ルースが3割7分6厘も打って三冠王になれなかったのは、今年イチローがその最多安打記録を塗り替えたジョージ・シスラーが4割7厘を打ったからだった(イチローはオドールも抜いた)。
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