古い着物に目覚める、弘法さんと天神さんの骨董市 ― 2024/07/23 07:01
梅棹忠夫さんの『京都の精神』(角川選書)に、「京都には七五三という風習はない。戦後は神社とデパートなどの宣伝にのせられ、七五三という人も出てきたが、それは関東方面からの移住者目あての、商業上の戦略からはじまったのであろう。(中略)破魔矢、千歳あめもみかけない。(中略)京都に特徴的なのは、十三詣りである。」とあるそうだ。
通崎睦美さんは、無理矢理着物を着せられた「十三詣り」以来、着物はもうこりごりだと思っていた。 ところがある日、箪笥から出てきた、大正生まれの伯母の形見の着物と出会い、突然着物に目覚めた、というのだ。 大胆な構図に斬新な色遣い。 とにかくそこには、「着たい!」と思わせるものがあった。 20代半ばになって、着物との関係は、着たいから着る、という全く単純な理由で再スタートした。 家にあるものだけには飽き足らず、伯母の着物に似合う帯、伯母の帯に合う着物と、ひとつひとつ買い足していくうちに、ふと気がつくと、睦美さんのまわりはアンティークの着物でいっぱいになっていた。 自分の感覚だけを頼りに着たい着物を探していると、なぜか昭和初期を中心とする古い着物に落ち着いていった。 この時代の着物を見ていると、職人さんの巧みな技、そのなにげなさがうれしくなる。 そして、えもいわれぬセンスに、「ちょっと憎いな」とほくそ笑むのだ、という。
睦美さんは、毎月二十一日と二十五日は、しみじみ京都に住んでいて本当によかったなぁ、と思う。 東寺の弘法さん(毎月二十一日)と、北野天満宮の天神さん(毎月二十五日)の骨董市があるからだ。 着物や帯を買う目的で骨董市に出入りするようになって、それらの店の場所と特徴を覚えた。 やがて余裕が出てくると、着物だけでなく、帯締め、帯留めなど着物関係の小物類にも目がとまるようになる。 そうなると、道具屋さんの店先をのぞいて、箪笥や小ひき出しをちょこちょこと調達しだす。 そのうち、箪笥の横にある雑器も気になり、手にとってみる。 一枚ずつ微妙に異なる絵付けが新鮮で、一度古いお皿を使ってみようか、となってくる。 そんな風に、ここ数年で、生活のなかにじわじわ古物(ふるもの)が入り込んできた。
古物の楽しみ方は、ひとそれぞれ、気軽に買って、気軽に使うのが楽しい。 眺めたりしまい込むものより、ひたすら実用中心だ。 睦美さんが買うのは、価値の高い骨董品ではなく、皿やカバンを始めとする、普段使いの生活用品、それも、日本の昭和初期あたりのものが中心だ。 贋作すらないので、目利きである必要はない。 せいぜい三つのことを身に点ければ、失敗せずに、手に入れられる。
まず「明治以前」「大正から昭和初期」「戦後間もなくから70年代」「ここ30年」、このスパンで時代を見るちょっとした知識。 それから、欠けていないか、割れがないか等、状態をチェックする注意力。 そして、大事なのは、自分のセンスを意識すること。 この三つを身に付けた上で、さらに必要なのは、面白い物を探し当てるぞ、という気力、執念である。
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