柳家小はぜの「平林」2024/08/24 07:03

 台風一過の暑い日となった8月17日は、第674回落語研究会だった。 小はぜは、つるつる頭、紫の羽織に、薄緑の着物。 忘れ物の話、落語家だと帯を忘れる。 これはフルシキを折って結び、羽織を脱がなければ、わからない。 足袋を忘れても、最近は白靴下を手軽に買える。 堂々としていれば、わからない。 一番厄介なのは、着物を忘れること。 フルシキに、羽織が二枚入っていた。 その時は、相棒がいたので、何とかなった。 忘れても驚かないでいると、師匠方に、アンチャンも、一人前になったね、と言われる。

 よみうり大手町ホール、有楽町じゃないのを、先週になって気付いた。 マクラで「有楽町で逢いましょう」とやる、下心があった。 空席があるけれど、隣に遅れて来た人がいたら、有楽町に行かれましたかって、訊いてみるといい。

 昔は、字の読み書きのできない人がいた。 あいつは字が書けるんだってな、だから仕事が拙いんだ。 つかさどる、司る、という字がわからない。 魚屋の大将に、つかさどるって、どういう字か教えて? 同という字を、二枚に下ろした骨の付いている方だよ。

 貞や、金魚鉢に水を入れてくれたか。 井戸の水は、温まっていただろう、あれ使ったのか。 鉄瓶の水。 沸いたものだろう? ほどよく温まっていて、金魚はいいお湯だと、横になってます。 上がったんだ。 井戸の水が、ゆんべの雨で濁っていた、薬屋さんで明礬(みょうばん)を買って来なさい、入れるときれいになる。 今晩、旦那と芝居に行くことになっているんだ、弁当が楽しみだ、今晩、今晩、今晩。 薬屋さん、アレ下さい。 何? 口開けるから、覗いて見て。 わからないよ。 そうだ、今晩、下さい。 コンバン、うちには置いてないよ。 帰って旦那に、コンバンはないそうで、ミョウバンだよ。 一晩違いだ。

 平河町の平林(ヒラバヤシ)さんに、急ぎで、この手紙を届けてくれ。 おかみさんにお風呂を沸かすように言われているんで、沸かしたら行って来ます。 風呂は私がみるから、お使いに行っとくれ。 どこへ行くんでしたっけ? ヒラバヤシさんだ、そこに書いてある。 あたし、字が読めません。 勉強しなさいって、普段から言ってるだろう。 口の中で、何度も、ヒラバヤシさん、ヒラバヤシさんと言いながら、行けばいい。

 ヒラバヤシさん、ヒラバヤシさん。 こらこら、ぶつぶつ言いながら下を向いて歩くな、信号は赤だ! 「赤止(ど)まりの、青歩き」を、知ってるだろう。 はい、お巡りさん、「赤止まりの、青歩き」「赤止まりの、青歩き」。 どこへ行くのか、わからなくなった。

 お蕎麦屋さんで、読んでもらおう。 これは「タイラバヤシ」と書いてある。 タイラバヤシさん、タイラバヤシさん……、何か違う。 お爺さんに聞こう。 ハーイ、ハーイ、これはヒラ、リンと読む。 ヒラリンさん、ヒラリンさん、ヒラヒラリン……、何か違う。 学生さん、お兄さん、これ、読んでもらえますか。 これは覚え方がある、一、八、十の木(もーく)、木だ。 そんな、煙たい名前じゃなかったな。 煙草屋さん。 いらっしゃい。 煙草は買わない、字が読めない。 タイラバヤシ、ヒラリン、一、八、十の木、木と教わった。 うまいこと、教えるな、だけどみんな違う、一番近いのは、一、八、十の木、木だが、やわらかく、「ひとつとやっつでとっきっき」と読むんだ。 これは、絶対ないな。

 しかたがない、続けて読んで行こう。 「タイラバヤシか、ヒラリンか、一、八、十の木、木、ひとつとやっつでとっきっき!」、「タイラバヤシか、ヒラリンか、一、八、十の木、木、ひとつとやっつでとっきっき!」。 楽しくなってきた、子供が大勢ついてきた。

 おーい! 貞吉さん、じゃないのか。 どうも、こんにちは、ヒラバヤシさん。 この手紙を届けなきゃあならないんで。 何だお前さん、いいところで会った、ヒラバヤシと書いてますよ。 エッ、ヒラバヤシ! そんな名前じゃない。

(2012年1月12日の第523回落語研究会で、柳家花緑が仲入の後に「平林」を演った。 ちなみに前座は、春風亭一之輔の「初天神」だった。 私は、花緑がこう言ったと、書いていた。 「前座、二ッ目の演目だから、落語研究会では聴いたことのない演目だろう。 調べたら三回目だそうだ。 1976(昭和51)年10月に三遊亭ぬう生(現、円丈)さんが初めてやり、翌1977 (昭和52)年10月に三遊亭友楽(現、円橘)さんがやっている。 これが、今世紀最後になるのではないか。 祖父が亡くなって十年、「平林」についてのコメントが残っている。 直に新宿末広亭の楽屋で聞いた。 誰かが「平林」をかけていて、「こんな噺を真面目にやってる奴は、出世したためしはねえ」と言った。 落語の祖、安楽庵策伝の作という由緒正しき噺だ。 元ネタは『醒睡笑』にある、450年前の日本のものだ。 策伝が住職をしていた京都の誓願寺へ行って、手を合わせて来た。」 私の記憶と記録では、その後の落語研究会で、世紀をまたいで、「平林」を演った人はいない。)