高校新聞で印刷所の現場、「編集のめざめ」2024/09/05 06:57

 松岡正剛さん、科学への目覚めは小中学生のときからで、虫と鉱物と電気、この三つからほぼ同じだけ刺激を受けた。 虫は昆虫採集、鉱物は化石採集。 電気は、友達と結成した「電気倶楽部」で、乾電池をつなげた回路を作って模型の家を動かしたりした。 後々の寺田寅彦にぞっこんになることとつながる。 一方、思春期に自己をめぐる葛藤はなく、それより昆虫のデザインなど、自分を取り巻く世界の方が、圧倒的に面白すぎた。 同時に、教科書や先生の語り方が方法的に自由じゃないと感じるようにもなった。 生物や地学、物理や化学といった枠組みで捉えるのではなくて、あれも面白い、これも面白いと、世界を面白い状態のまま生き生きと見せることに関心を持つようになる。

 高校入学の直前に、父が横浜・元町に呉服の店を出すことになり、横浜に越して、東京の九段高校に入った。 中学卒業のとき、ガリ版印刷で卒業文集のような冊子を作った。 そのとき京都の「アメリカ文化センター」で見たニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが、ものすごくかっこよく見えて、新聞や雑誌というメディアに関心を持ち、新聞記者にあこがれた。 高校では出版委員会(新聞部)に入った。 『九段新聞』は日刊工業新聞社の印刷所で組み版や校正をしていたので、すぐ横では大人たちが赤鉛筆でゲラ(校正用の試し刷り)に書きこんでいたり、将棋を指しながらたばこを吸っていた。 そういう印刷の現場がかっこよく、活版印刷、段組み、見出し、「囲み」など、初めて出会う文化の技術だったので、ひとつ一つを知るたびに、ものすごく面白く、わくわくして夢中になった。 こんなに人を興奮させるものはないと思った。 活版職人というものに初めて出会ったのも大きかった。

 それは世界を知る喜びや面白さとはまたちがって、メディアやジャーナリズムが持つ面白さだ。 知識や情報は、何かを媒介にして変じていくんだという驚きだ。 では、何が素材になって、誰がどのようにその「変化」を紡ぎ出しているのか。 松岡正剛さんの「編集のめざめ」がここから始まる。

(私もまったく同じ体験をした。「ルーツは高校新聞<小人閑居日記 2005.5.19.>」「「ゲラ刷り」を校正する仕事<小人閑居日記 2023.6.4.>」「高校時代「ゲラ」校正の思い出<小人閑居日記 2023.6.5.>」を書いていた。)