田沼と里見樹一郎、講釈を聞きたい将軍への奇策 ― 2024/09/26 07:10
家重が退出する気配がしたが、文耕は平伏したまま動けなかった。 「顔を上げられるとよい」、田沼意次の言葉で、顔を上げると、田沼と二人になっていた。 「よもや……家重公が、あのような方だったとは……」 田沼は、「明敏なだけではなく、御自分の躰に意のままにならぬところを抱えておいでになるため、とりわけやさしい心根をお持ちになっておられる」、と文耕も感じ取れたことを言った。
「それにしても、家重公に文耕の講釈をお聞かせするなどという途方もないことが、どうして…」 たしかに、馬場文耕の話を初めにしたのは御用取次の田沼だったが、そこから興味を抱かれた上様は、自ら本を読み、講釈を聞いてみたいと望まれるようになった。 無論、御側御用人の大岡忠光は反対したが、上様が強く望まれた。 田沼が馬場文耕の名を知ったのは、里見樹一郎からだった。 文耕の長屋にいる浪人の里見は、まだ田沼の家中ではない、仕官を勧めているが、なかなか肯(うべな)おうとしない。 家臣が小石川の堀内道場で見出したが、師範代を含め相手のできる者のいない使い手。 武芸だけでなく、四書五経などの漢籍はもとより、天文地理に至るまで深い知識を有している。 里見は、欧羅巴とか亜細亜とか亜墨利加とかの区分をした上で、さらに細かく国を分けることができる。 たぶん長崎で学んだと思うが、暦学から本草学に至るまで、森羅万象、驚くほどさまざまなことを知っている。 文耕も、以前から、里見の独特な言葉づかいが気になっていたが…。
それで、田沼は里見を仕官させたいのだが、いまは市井で暮らしたい、そのほうが田沼様にも良いはずと申して、月に一度ほど小川町の屋敷を訪れ、市井のさまざまな話をしていくという。 帰りがけに、用人がそれなりの金子(きんす)を渡すが、その金も近所の貧しい者に分け与えてしまい、いつも貧乏暮らしをしているようで。 その里見が、ここ数カ月、馬場文耕の話ばかりするようになり、これからの世では、講釈というものは大きな力を持つはずだと言う。 本を読むことのできない者にも、話を通して、世の中についての正しい考えを伝えることができると。
田沼は、あるとき、上様に下々のことを話すように求められ、うっかり馬場文耕のことを口にしてしまった。 すると、たいそう興味を覚えられ、写本を読み、面白い、講釈を聞きたい、ということになった。 命じられ、どのようにしたらいいか考え、文耕が書いたものから、今日の奇策を生み出した。 三十日は、先々代の将軍家家継公有章院様の月命日。 芝の増上寺にお参りに行く途中、小用のためという名目で大岡様の屋敷に立ち寄り、そこで講釈を聞いていただくことにしたのだ。
「今頃、駕籠の中で莫迦(ばか)なことをしたと悔やんでおいでになることだろう」と、文耕がいうと、田沼は首を振って「上様は、ながらく、市井で将軍を将軍とも思わぬ者たちと言葉をかわしたいという望みをお持ちでした。今日の講釈では、馬場文耕による上様を上様とも思わぬ話を聞くことは叶いませんでしたが、ことのほかお喜びになっているのは、しかと看て取れました」 「喜んでいた?」、文耕が鸚鵡返しのように訊き返すと、「はい、上様がどれほど亡き比宮様を大切に思っておいでになったかは私どもにもわかっておりましたが、お幸の方様への思いがそのようなものだったとは、初めて伺うことでした。大岡様も御存知なかったらしく、瞬時のことでしたが驚きの表情を浮かべておられました」
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