文耕と里見、金森藩の捕縛から二人を救う ― 2024/10/01 07:03
釆女ヶ原の見世物小屋で夜番をする喜四郎と定次郎は、上野下谷の公事宿上州屋にいる治右衛門ら立者百姓たちと、金森藩の眼を恐れ、手紙のやり取りで相談していて、飛脚の役を伝吉が務めていた。 三月十日、立者百姓たちは北町奉行依田和泉守に、もう一度訴えを取り上げてもらいたいと上訴したが、駕籠訴の一件は落着済だと、門前払い同然の扱いで追い返され、この上は箱訴しかないということになった。
文耕は、貸本屋の寄り合いで、貸本屋の栄蔵と、深川芸者のお六から、金森藩の用人と本多老中の用人が、仲町の料理茶屋でたびたび会っているという情報を得た。 三日後の琴弾句会で、それとなく奏者番の金森頼錦(よりかね)について訊ねると、評判は悪くなく、詩歌や書画を好む文人君主で、若い時から年長者に可愛がられ、とりわけ老中の本多伯耆守正珍(まさよし)から我が子のように扱われているという。 千代田城の奥坊主らしいのは、寺社奉行の本多長門守忠央(ただなか)と勘定奉行の大橋近江守親義が密談し、検地に長けた者の名を金森家に伝えておこうと言ったのを聞いていた。 文耕は、郡上の争いの背後に幕閣の中心に在る者たちが深く関わっているらしいと、思い至った。
先日、金森家の動きを調べてほしいと頼んだ栄蔵が、「大変だ! すぐに身を隠しておくんなさい」と、飛び込んできた。 金森藩の芝の藩邸に本を届けに行くと、牢舎を下男が掃除していて、駕籠が二挺置かれ、近くを通ると、用人と藩士たちがかわす話が切れ切れに聞こえてきた。 「日の暮れるのを待って……釆女ヶ原の……馬場文耕が……」と。 栄蔵は、文耕さんが危ないと思い、浜松町の得意先の米屋に貸本の荷を預け、松島町まで走ってきたという。 どうしてわかったのか、飛脚役の伝吉が後をつけられたのか。
文耕は、里見の部屋に寄り、脇差を借りようとすると、用意の打刀を渡し、自分も二本差して同行した。 釆女ヶ原の小屋にいる百姓二人の身柄を押さえようと、金森家の家臣が向かっていると思われると話すと、「その二人を守ればよろしいのですね」と言い、打刀は刃引きをして斬れない、切っ先だけは研ぎが入っているので、万一には使えと断る。
見世物小屋に駆け込み、二人に急いで出る支度をさせると、袴姿の武士が四人と中間風の下僕が四人近づき、背後に駕籠が二挺見えた。 渡せ、渡せぬの押し問答の末、四人が抜刀した。 文耕は里見と合図して、使えそうな二人を相手に、文耕は一人の右の手首を斬り、里見はもう一人を倒した。 残った二人は、茫然とした様子で刀だけ構えている。 早く屋敷に帰って医師に見せるがよい、と文耕と里見が言うと、中間たちが倒れた二人を駕籠に乗せ、走り去った。
金森の屋敷から新手(あらて)が現れるかもしれない、文耕は里見と喜四郎と定次郎を連れ、夜道を吉原の俵屋へ急いだ。 文耕は、俵屋小三郎に美濃の百姓二人を匿ってもらいたい、と単刀直入に頼み込んだ。 郡上の争いのあらましと、二人の置かれている厄介な立場を手早く伝えた。 「こちら様は?」 「西国浪人、里見樹一郎と申します。無用のことと思いましたが、ご助勢をさせていただきました。お見知りおきを」、俵屋殿については、馬場殿の講釈でよく存じております、と。 俵屋は、吉原は一種の治外法権的な場所、高度な自治が幕府に認められている、武士は大名家といえども勝手な振る舞いはできない、と言う。 それでも喜四郎が、俵屋に迷惑をかけるようなことがあると心配だというと、里見は「民があたりまえに暮せる世を作れないのなら、領主であっても公方様であっても従ういわれはありません。藩であろうと公儀であろうと畏(おそ)れることはないのです」 文耕は、大胆なことを言う、と内心驚き、「公儀を畏れることはない、とおっしゃるか」と訊ねると、里見は頷いてから、静かな口調で言った。 「真に畏れるべきは天だけです」
箱訴の決行、講釈の場を失った文耕が二度目の御前講釈 ― 2024/10/02 07:07
吉原の俵屋に匿われた喜四郎と定次郎の二人と、下谷の上州屋にいる立者百姓たちとの手紙のやりとりは、伝吉に代わって源吉が引き受けることになった。 四月二日、いよいよ箱訴が決行されることになった。 朝早く六人の立者百姓たちは、神田明神の門前で源吉に案内された喜四郎と定次郎と合流し、互いの覚悟を確かめ、皆で成功を祈念して参拝した。 六人は、二人を残して、和田倉門外辰ノ口にある評定所の目安箱に投函した。 次に目安箱が設置される四月十一日にも、二度目の箱訴が行なわれた。 しかし、三日過ぎても、七日が過ぎても、どのようなかたちの沙汰も届いてこなかった。
その顛末を、源吉から逐一聞いていた文耕は、数日来考えつづけていたことを実行に移す決意を固めた。 本来なら、四月の中旬から釆女ヶ原の昼講が行われているはずだった。 世話人の市兵衛が来て、あのあと小屋が荒らされ、町役人から文耕の昼講を遠慮するようにと申し入れがあり、どうもその上に立つ誰かに文耕の締め出しを命じられたらしいという。 井筒屋の主人の病気で夜講ができなくなっていた文耕は、講釈する場をすべて失った。
四月二十日夜、文耕は俵屋で田沼意次と会うことにした。 文耕は、家重公の御前で今一度講釈をさせていただけないかと、無謀とも思われかねない申し出をした。 だが、田沼はさほど驚いた様子も見せず、何を語りたいのかと訊いた。 美濃の郡上で起きている騒動を簡略に説き、縁故による閥がいかに政を歪(ゆが)めているかを語りたい。 田沼は、「上様に、お勧めしてみよう」、来る四月三十日は有章院家継様の祥月命日、上様は増上寺に参拝されるから、と。
翌日から、文耕は美濃郡上の一揆を読物「美濃笠濡らす森の雫」に書き始めた。 強訴でいったん撤回された検見法を、各村の庄屋がやむなく承諾し印形、判を押してしまったのは、幕府から差し遣わされている美濃郡代、青木次郎九郎に呼び出され説得されたからだった。 郡代は、幕府の直轄地を管理する役人で、勘定奉行の支配下にある。 金森藩の領地は、広大な幕府の直轄地と隣接しており、近くの笠松に美濃郡代の陣屋があった。 庄屋たちが判を押したのは、郡代の登場によって、それが幕府からのお達しだと受け取られたからだった。 文耕は、この騒動が錯綜したものになった理由の一端が、そこにあることに気づいた。 幕府の役人である郡代が、一国をなしている大名家の内政に口を挟むなど、あってはならないことだった。 郡代の上司、勘定奉行の大橋親義が絡んでいたに相違ない。 大橋は検見取りを進めるために検地の巧者を紹介するだけでなく、美濃の郡代まで動かして、金森藩を助けようとしていたのだ。 その裏には、たぶん老中の本多正珍と寺社奉行の本多忠央の両本多の存在があったのだろう。
四月三十日、大岡忠光の屋敷で、二度目の御前講釈が行われた。 文耕は、美濃郡上の騒動の経緯を、いっさい無駄をまじえず語り、最後に青木郡代の筋違いの行いの背後に幕閣の中枢に在る方々の影が見え隠れしている、と付け加えた。 家重は、「あいわかった。よくぞ、知らせてくれた」「金森の一件はすでに落着していると聞いていたため、改めて訴状に眼を通すことをしなかった。誤りであった……」と言った。 大岡忠光が、「御老中の本多様には、しばし政から離れていただいた方がよろしいかと」、家重は「そうだな。どのようにするか酒井左衛門尉の考えを聞くことにしよう」と言った。
文耕、夜講で金森騒動を語り、お縄につく ― 2024/10/03 06:59
文耕が、将軍家重の面前で、御前講釈してからの幕府の動きは素早かった。 のちに文耕は、田沼意次から聞いたという里見樹一郎の話で知るのだが、その日、家重はすぐに老中の酒井左衛門尉を呼び出し、金森の一件を調べ直すよう命じた。 酒井は翌日、北町奉行依田政次に会い、箱訴人の取り調べを始めさせた。 七月二十日に至り、評定所で駕籠訴の一件の吟味が正式に開始された。 詮議掛は五名、寺社奉行 阿部伊予守、大目付 神尾備前守、北町奉行 依田和泉守、勘定奉行 菅沼下野守、目付 牧野織部。 翌日には事の中心にいたと見られる勘定奉行の大橋親義に出頭を命じ、尋問を始めた。 事の責任を負うべきと見なされる金森家の当主頼錦については、詮議掛が芝の上屋敷に出向き、大橋に依頼した件を尋問した。 まだ、裁きがどのような方向に流れていくのかはわからなかった。
吉原の俵屋に匿われている喜四郎と定次郎が、いよいよ北町奉行所に駆け込み訴えをすることになり、その前夜の八月二十五日に俵屋が深川の料理茶屋で、喜四郎と定次郎を主役に、文耕、源吉、伝吉、そして里見を招いて、宴を開いた。 これが今生の別れになるかもしれない上、匿っているあいだに接した二人の篤実で剛直な人柄に打たれたことが大きかった。 深川芸者のお六と小糸の顔もあり、里見の頼みで小糸が「狐会(こんかい)」を唄うと、喜四郎の眼が潤み、「野越え山越え 里うち過ぎて……君恋し 寝ても覚めてもさ 忘られぬ わが思ひ わが思ひ」と唄い切ると、溢れた涙が頬をつたい流れた。 喜四郎に妻子のあることがわかり、「子らも、大きくなれば、わかってくれるはず」と言う。 里見は「何も捨ててはいけません。故郷も、妻子も、命も」と、俵屋は「そうです。きっとすべてうまく行きますとも。今夜は楽しく飲むことにいたしましょう」と言った。
喜四郎と定次郎は、俵屋に連れられて舟で吉原に戻り、文耕と里見、伝吉と源吉の四人は、永代橋を渡って日本橋方面に向かった。 途中で、文耕は伝吉に破門を申し渡した。 松島町の木戸をくぐり、里見と別れると、源吉と部屋に上がって、文耕は伝吉には妻子がいる、万一のことがあると、女房子供を泣かせることになる、来月九月の夜講で、この金森騒動を語ろうと思っていると話した。 井筒屋の主人が五月に亡くなり、源吉は死の床で幼い息子が大きくなるまでと店を継いでくれと頼まれ、文耕の弟子名「竹内文長」の名で借家の店を借り直し、六月に商売を始め、七月から夜講も復していた。 金森の騒動を語れば、今度こそ奉行所が黙っていないかもしれない、お前も伝吉のように破門しておこうか、と文耕が言うと、井筒屋やおかみさんには迷惑をかけないですむようにしてあると言う。
九月十日の夜、文耕は「真説 森の雫」を語り始めた。 詮議が続く評定所の詮議掛に、将軍家重の意を汲んだ田沼意次が、千代田の城内で、「たとえ、金森家の側に咎(とが)をつけることになったからといって、百姓たちの側に重い咎をつけなくてはならぬということはない」と、告げたという。 ――講釈をすることで、理は百姓の側にあり、駕籠訴と言い、駆け込み訴えと言い、訴願の方途に法を踏み越えるところはあるものの、それもやむをえなかったことであると、江戸の人に知っておいてもらいたい……。 ここで、文耕は、かつて里見が言っていた、講釈の力に賭けようとしていたのだ。
先に将軍家重に語ったものよりはるかに詳しく、騒動の発端から箱訴に至るまでを話していくことにした。 きっと客が詰めかけるはずだ。 でも十夜連続ともなれば話の流れが見えにくくなってしまうかもしれない。 粗筋の冊子を、中入りに籤引きで小部数を配ることにした。 書きかけの大冊『美濃笠濡らす森の雫』とは別に、「ひらかな もりのしづく」と題した六葉の紙を綴じただけの薄い冊子をつくった。 書物の類いなど所有したことのない大半の客たちにとって、それはとんでもなく洒落た景品だった。
七日目の九月十六日、詰め掛ける客の、何十人にも断りを入れねばならなかった。 文耕は、この日、山場のひとつである立者百姓による老中酒井左衛門尉への駕籠訴の場面を語った。 「今宵は、ここまで」と文耕が宣すると、奉行所の同心が「誰も、動くんじゃねぇ!」、「馬場文耕、他家の内実をみだりに流布してはならぬというお達しがあるにもかかわらず、書本(かきほん)に記し配り、講釈するに及んでは、そのまま捨て置くことはできぬ。縄につけ!」 中入りに籤引きで手にした冊子もすべて、小者に差し出させた。 文耕は、これから夜の飯を食うことになっている、少し待ってくれ。刃向かいもせずお縄につこうというのだ。そのくらいは許してもらおうか」 「早くしろ」 二階で、井筒屋のおかみが用意した膳につき、白身の刺身を肴に酒を銚子で一本飲んだあと、飯を湯漬けにして、香の物と食べた。 側にいた源吉に、松島町の長屋の書き物のすべてを燃やすことを指示し、階段を下りると、苛立たしげに待っていた同心に向かって言った。 「参ろうか」
評定所の文耕尋問、「公儀を畏れず」と吹き込んだ者は? ― 2024/10/04 07:02
文耕が南町奉行所の同心に捕らえられ、小伝馬町の牢屋敷に送られて二カ月が過ぎようとしていた。 文耕が入れられたのは「揚り屋」と呼ばれる一角だった。 牢舎は二間牢、揚り屋、揚り座敷、大牢の四つに分かれていて、二間牢は無宿者、揚り屋は御目見得以下の御家人や僧侶をはじめとするいくらか身分のある者、揚り座敷は御目見得以上の旗本や高位の僧侶、大牢はそれ以外の町人百姓が入れられる。 一介の講釈師にすぎない文耕は、大牢に入れられるはずだが、揚り屋になったのは、誰かが先に手を廻してくれたためとしか思えなかった。 田沼かな、と文耕は思った。 文耕に対する吟味与力の取り調べは二度ほどで終わった。 大名家の内輪の話を講釈したこと、それを冊子にして籤引きし、売ったことは素直に認めているので、罪状は明らかだった。 ただ、なかなか判決が出ないのが不思議で、金森の騒動に決着がつくまで、こちらにも判決が出ないのかもしれなかった。
八月二十六日に、喜四郎と定次郎の二人は北町奉行役宅に駆け込み訴えをしたが、村抜けをした上での駆け込み訴えとは格別不埒(ふらち)だと、その場でお縄にし、すぐさま小伝馬町の牢屋敷に送られた。 一方、九月二日には将軍家重の意を受けた酒井左衛門尉をはじめとする老中一座によって、老中本多正珍に対して御役御免、老中職を解くことが伝えられた。 翌九月三日、将軍の側衆である田沼意次が加増されて一万石となり、老中格として評定所の詮議に加わることが決まった。 九月から十月にかけては、幕閣の重鎮や役人に対する取り調べが迅速に進められ、十月末に至り、領地召し上げや閉門といった厳しい判決が下される。
以後、十一月からは、江戸に呼び寄せられていた金森藩の役人や一揆側の立者百姓たちへの取り調べが本格化する。 とりわけ、立者百姓たちへの取り調べは、この騒動の首謀者は誰かという特定が最重要となり、駕籠訴人や箱訴人は小伝馬町の牢で口を割らないため、穿鑿所という拷問所で「石抱き」などの責めを受けることになった。 大牢から出ていき、ほとんど半死の状態で戻される。 喜四郎はついに、浅草にある瀕死者を隔離する「溜」に送られてしまった。
その日、文耕は網乗物という駕籠に乗せられ、いつもの奉行所でなく評定所に運ばれた。 白洲で控えていると、一段高い調所の座敷に詮議掛の五人が姿を現し、その奥に老中の松平武元(たけちか)が座った。 縁頬(えんがわ)に控えていた町奉行所の与力が、文耕の口書(くちがき)、自白を読み上げた。 依田が訊ねる、「講釈の中で幕閣のお歴々に対する無礼な言葉をいくつも吐いたと聞く。公儀をなんと心得る。申し述べてみよ」 文耕は当然のごとく批判を繰り広げた。 「すべての発端は領主が領民である百姓たちの声を聞かず無理を通そうとしたことにある。しかも、その無理を通すために幕閣の重鎮の力を借りようとしたことで誤りを重ねた。幕府は、幕閣の重鎮が、門閥、閨閥といった閥によって生まれる私情によって政を動かすことができるほど脆いものになった。金森藩は百姓に苛酷な年貢を課そうとした。苛酷な年貢は、最後にはその領国を疲弊させることになり、ひいては幕府が弱体化することにつながっていく……」
松平武元が言った、「百姓の中に、公儀を畏れず、と申す者が現れた」 「百姓が、公儀を畏れず、と申しましたか」文耕が無礼を承知で訊ね返した。 「そのままの言葉ではなかったようだが……」松平は口を濁した。 拷問の苦しさに耐えるためもあったのか、「公儀を畏れず」という意味の激しい言葉を口にする者が出たという。 詮議の中で、誰がそうした考えを吹き込んだのか問題になった。 松平は、「百姓に、そのような畏れ多い妄念を吹き込んだのはそなたか」と訊いた。 文耕は笑いながら言った、「その疑い、喜んで引き受けましょう。何者でもない講釈師馬場文耕が何を畏れましょう。畏れるものは天のみ。天の道に外れたものは畏れるに足りません」
田沼意次、小伝馬町の牢屋敷で文耕に会う ― 2024/10/05 07:03
十一月末から十二月にかけて金森騒動に関する吟味、取り調べは大詰めを迎え、入牢している郡上の立者百姓たちが、牢内や隔離場所の溜で次々と死んでいった。 そうしたある日の夕刻、文耕が不意に呼び出されると、拷問蔵の座敷に田沼意次が座っていた。 二人だけになると、田沼が表情を和らげ、親しみの籠もった口調で言った、「難儀に遭われましたな」 「覚悟の上のこと」 「懸念しておりましたが、しかし、さほどお窶(やつ)れになっていない御様子。安堵いたしました」 田沼は、幕閣の重臣に厳しい判決が下されたことを伝えた。 江戸時代に、百姓一揆によって老中をはじめとする幕閣の中枢の者が処断されるのは、この以前にも、以後にもまったくない希有のことだった。
それもあって、間もなく、百姓たちにさらに厳しい判決が出されると思われる。 詮議掛には、幕閣の主だった者への処断に見合う刑をという激した感情が強まり、しかも、公儀を畏れずとの言葉への憤りがますます立者百姓たちに不利に働いてしまったという。 「私の力が及ばず、詮議が思わぬ方に向かってしまい、相済まぬことになりました」 馬場文耕についても、予期しない力が加わってしまった。 本来なら、その刑も、追放か悪くとも遠島までのもののはずだが、とてもそれで収まりそうもない。 公儀を畏れずという妄念を百姓たちに吹き込んだらしいということが、詮議掛の怒りを買っている。 とりわけ老中一座の松平右近将監が立腹で、掛の南町奉行土屋越前守に何かと口やかましくいっている。 講釈をしたことで牢に入れられたのは、家主の安右衛門だけだったが、文耕の写本を扱った貸本屋はひとり残らず尋問されている。
田沼は「もはや私の力ではいかんともしがたいところまできてしまっています」、上様もなんとかできないものかとお思いになっておられるが、政に携わる者の姿勢を正すために起こさせたこの詮議、そこに横槍を入れることはできません。 だから、公儀を畏れずの言を撤回してくだされば、お助けすることができましょう、と。 文耕は笑って、「公儀を畏れず。それは、郡上の百姓たちが命を懸けて発した言葉。それを汚してはなりますまい」と言った。
「せめて遠島であれば、その後いかようにも赦免状をお出しすることができますが……」、斬首されてしまえばそれで終わりだと言いたいのだ。 「特段この世に未練はございません」 田沼は首を振って、「左京殿には、まだお助けいただきたいことが数多ございます。それに、なにより、生きて、百姓たちが望んだ世を招来させることが大事ではないかと」 「望んだ世とは?」 「百姓から年貢を搾り取るだけ搾り取ろうという世は終わろうとしています。幕府も藩も、入りの高を増やすためには別の手立てを工夫しなくてはなりません。そのような世にするために、左京殿にはまだ生きて、龍助を助けていただきたいのです」 だが、文耕にとってそれはまったく別の世の話のように聞こえた……。
最近のコメント