日本の将来像、苅部直さんは「平等と平和 出発点に学べ」2024/11/02 07:20

 10月24日の朝日新聞朝刊「耕論」は、「2024衆院選 どう描く 日本の将来像」だった。 東京大学教授で日本政治思想史の苅部直さんは、「平等と平和 出発点に学べ」。

 苅部直さんは、政権の総合的な政策体系を「国家戦略」と呼ぶことは、今では普通になっているが、昔からそうだったわけではなさそうだ、という。 今世紀に入ってから、小泉純一郎内閣に「知的財産戦略会議」ができ、民主党政権になると「新成長戦略実現会議」や「国家戦略会議」が設置され、その流れが加速した。 国家戦略という言葉がシンボル化される現象は90年代の政治改革の落とし子だろう。 内閣機能を強化して縦割り行政を打破する/決定を迅速化させる/目的を明確化させる。 それらが大事だとされる時代背景があってのことだからだ。

 一般に国家戦略なるものの目的とされるのは「富と力」だろう。 しかし、いまや経済格差感の広がりを止めることはどんな政治家にも難しくなり、防衛力を整備しても安全が保たれるかは東アジアの状況次第というのが厳しい現実だ。 人々から安定した支持を集めるには、富や力を超える価値やビジョンを掲げることが必要になっている。

 そう前置きして、苅部直さんは、明治政府の発した「五箇条の誓文」と、戦後に生まれた日本国憲法を、現代的に再解釈することを提案する。

 五箇条の誓文で誓われているのは、「智識を世界に求め」て「天地の公道」に基づく統治をすることや、庶民を含めたすべての国民が「其志(そのこころざし)」を遂げられるようにすることだ。 現代の言葉で言えば、普遍的な原理に基づいて平等の理想を実現するという誓いだ。

 そして日本国憲法の前文には、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」との文言がある。 「侵略戦争の禁止」と読む解釈も過去にはあったが、「国際秩序の維持に責任を果たす平和主義」と解釈し直すべきだと思う。 ひとことで言えば「積極的平和主義」。

 近代日本の出発点で示された「平等で開かれた社会」と、終戦後の再出発時に示された「積極的平和主義」という理念。 どちらも21世紀に生かせる財産ではないか、と苅部直さんはいうのだ。

 これを読んで、私がすぐに思ったのは、福沢諭吉だ。 「五箇条の誓文」と、日本国憲法の両方に、福沢の影響と、その理想の実現がある。 それは、明日から。