2008(平成20)年、慶應義塾創立150年に思う ― 2024/11/07 07:10
2008(平成20)年は、慶應義塾創立150年の年で、11月8日には日吉で記念式典が挙行され、『慶應義塾史事典』が刊行された。 2009(平成21)年1月からは、「慶應義塾創立150年記念 未来をひらく 福澤諭吉」展が、東京国立博物館、福岡市美術館、大阪市立美術館で開催され、2010(平成22)年には、『福澤諭吉事典』が刊行された。
2008(平成20)年9月、私は「等々力短信」に、こんなことを書いていた。
等々力短信 第991号 2008(平成20)年9月25日
慶應義塾150年に思う
安政5(1858)年の10月中旬、福沢諭吉によって築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で創立された慶應義塾は、今年150年を迎え、11月8日には記念式典が挙行される。 いま日本は、福沢たちが直面した幕末維新、そして第二次大戦の敗戦後に続く、第三の転機にあるといわれている。 日本の将来を、どのように構想していくのか。
今年5月30日福澤研究センター開設25年記念講演会で、寺崎修さん(武蔵野大学学長、3月まで慶應法学部教授・福澤研究センター副所長)の「福沢諭吉の近代化構想」を聴いた。 福沢の思い描いたイギリスモデルの議院内閣制は、戦後の日本国憲法まで待たねばならなかったし、政権交代を伴う二大政党制はようやく可能性が出て来たところ、財政的裏づけのある地方分権に至っては未だに入口の議論が続いている。 100年前の福沢の提言で、まだ実現していないものが沢山ある、と寺崎さんは指摘した。
昨年10月の「等々力短信」第980号「爆笑問題×慶應義塾」に、最先端の研究を進めている8人の教授陣、各分野の専門家が知恵を出して、未来を開く可能性を見た、そうだ、慶應義塾は総合大学だった、と書いた。 4月のこれも「爆問学問」の番組で、編集工学研究所長・松岡正剛さんの「編集」の意味を知った。 それぞれの知には、独自の物の見方や考え方がある。 20世紀までに、ほぼ出尽くした、それらの知を縦横に組み合わせた時、新たなアプローチが生まれるはずだ。 それを「編集」と呼ぶ。
8月、高校時代からの友人で、科学技術・生存システム研究所を主宰している神出瑞穂君と話をしていて、「全体とは部分の総和以上のものである」という「全体システム思考」の考え方を教わった。 人口、環境、資源・エネルギーなどの複雑な問題に、専門特化した学問分野の個々では対処できない。 諸科学を動員して総合的に対応する、システム化、知の構造化によって、問題解決にあたる必要性が叫ばれているという。
「未来への先導」を記念事業のテーマに、創立150年を迎えた慶應義塾は、総合大学として、各学部の総力を結集し、衆知を集めて、当面する日本の課題について、具体的な提言をしていったらどうだろうか。 「福沢諭吉の近代化構想」の実現されていない部分、「独立心」を持った国民が自発的内発的な主権者となる民主主義、官尊民卑の打破、国民精神の高尚化と民心の安定などを、現代に合わせて、どう実現させていくのか。 20年後、30年後の「この国のかたち」を、どんなものにしていくのか、を。
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