原田宗典『おきざりにした悲しみは』宣伝に完敗2024/11/17 07:46

 原田宗典さんが『図書』に書く『果敢なくもなく』は、どうも不定期連載らしい。 「果敢」は、『広辞苑』に「決断力が強く、大胆に物事を行うさま」とある。 その二重否定だから、「まあ、果敢に行きましょう」ということか。

 11月号は巻頭に置かれ、「私よ 母の車椅子を押せ」という題だ。 二月、93歳の母親が、電気アンカで低温火傷をした。 車椅子に乗せ、タクシーで、近所のK病院の皮膚科に行ったら、糖尿病があるので、かかりつけのE病院に入院したほうがいい、と言われた。 一週間で退院したが、傷の洗浄は毎日やり、週に一度K病院に通院するようにと言われた。 傷の洗浄は原田さんの担当、その度に「すまないねえ」と詫びては、ちぢこまってしまうので、何故か腹が立って、「あやまらなくてもいいんだってばー」と声を荒げてしまうのだった。 三月、四月、五月、六月になっても、母親の足の傷はよくならなかった。

 そんなある週の金曜日、午後1時からK病院の皮膚科の予約をしていたのに、突然のゲリラ豪雨で、タクシーもつかまらず、電話して予約を水曜日に延ばしてもらった。 水曜日は好天、車椅子日和で、上機嫌で車椅子を押し、15分ほどのK病院を目指した。 ある詩句が、ふと頭に浮かんだ。 <母よ 私の乳母車を押せ> 誰の詩だったろう? 読んだのはおそらく高校生の時だ。 強烈な印象があったのを覚えている。 草野心平? それとも三好達治だったか? 定かではない。

 K病院に辿りつき、母を診察室に送り出した後、待合室でスマートフォンで検索すると、すぐに<三好達治 乳母車>と出てきた。  母よ――/淡く淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり  時はたそがれ/母よ 私の乳母車を押せ/泣きぬれる夕陽にむかつて/轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

 K病院からの帰り道、原田さんは母の車椅子を押しながら、心の中で、「私よ 母の車椅子を押せ」と、何度も繰り返し呟いていた。 空の、ずっと高い所から、母の車椅子を押す自分の姿を、誰かが見下ろしているような気がした。

 さて、ここからは宣伝です、と原田宗典さん。 6年ぶりに長編小説を書いた。 タイトルは『おきざりにした悲しみは』、岩波書店から11月8日発売、吉田拓郎の歌「おきざりにした悲しみは」をテーマソングにした。 16歳の頃から、小説を書いてきた。 いつの日か、水のような文体を手にいれたい。 その文章で、生きているものを書いてみたい。 それは、きっと励ましに満ちた物語で、読み終えた人の胸を一杯にするものになるはずだ。 そんな小説を、いつか書き上げてみたい。 それから50年、ようやくその夢が叶いました。 『おきざりにした悲しみは』は、僕にとって夢の小説です。 どうぞ読んでみてください。

 原田さんのお母さんは、この小説を三日かけて読み終えて、号泣していた。 「あんた、やったねえ! 本を読んで、こんなに感動したのは初めてだよ。いいもの書いたねえ」と褒めてくれた。 皆様もぜひ、ご一読のほどを。 面白さは、この作者が保証します。

 私はこのキャッチエッセイに、すっかりやられて、『おきざりにした悲しみは』をAmazonで予約し、11日に入手、12日までで読了したのであった。