阿川尚之さん、トクヴィルと福沢諭吉『分権論』2024/12/03 07:03

 阿川尚之さんが亡くなったのを、11月18日の原武史さんのX(旧ツイッター)で知った。 「『東京人』で新幹線をテーマに対談したが、初めて会ったのに慶應の後輩として前から知っていたかのような物腰の軟らかさに感銘を受けた、いつだったか、たまたま自由が丘からたまプラーザまで電車でご一緒したときもそうだった、もちろん御父上(阿川弘之さん)の話題も出た。楽しいひと時だった。」とあったのだ。

 訃報を見ると、亡くなったのは「11月12日、73歳。米国憲政史が専門、知米派の法学者として活躍、慶應義塾大学名誉教授、慶應法学部を中退、ジョージタウン大学ロースクール卒。2002~05年駐米公使。阿川佐和子さんは妹。」

 阿川尚之さんは、2002年の5月18日に福澤諭吉協会総会の記念講演で「トクヴィルの見たアメリカ、福沢諭吉の見たアメリカ」を聴いた。 アレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)は、フランス・ノルマンディーの貴族出身の法律家で、革命に揺れ王制から共和制へ向う時代の1831年、26歳の時、親友で同僚のボーモンと二人、新生の民主主義実験国アメリカに渡り、10か月間各地を見て回り、『アメリカにおける民主主義』(1835年)を著した。 この本は、160年以上経った今日でも、アメリカ合衆国や民主主義研究の必須の書で、さまざまの身近な場面で引用されている。 福沢は、トクヴィルの『アメリカにおける民主主義』を、英訳本やその小幡篤次郎訳で読んでいて、『分権論』(明治10年・1878年)に、その影響が最も顕著に現れている。

 2011年3月11日の東日本大震災から4か月後の、7月25日の「産経ニュース」に阿川尚之さんが「かくなるうえは『殿様』の復活を」というのを書いていた。 その最後に≪福沢諭吉の「分権論」に学べ≫というのがある。

 「中央の政治家が人々の心を支えられないなら、今や失われた古いしきたりや伝統を意識的に復活してもいい。例えば、突飛(とっぴ)なようだが、各地で殿様を復活してはどうだろう。むろん殿様にはいかなる政治的権限も与えない。政治家になった殿様には遠慮してもらう。殿様がいない所では人望ある人を新しく選べばいい。そのうえで知事、町長、村長、地元出身の国会議員、大臣、みな羽織袴(はかま)でお城に上り、平伏して殿様に伺候(しこう)する。儀式はあくまで厳粛に行う。

 福沢諭吉は明治になって失われつつあった「士族の精気」の維持を説いた。一手段として、国権を中央の「政権」と地方の「治権」に分け、後者を旧士族に任せるよう提案している(『分権論』)。徳川幕藩体制の下2世紀半にわたり公の仕事を担ってきた士族の能力と精神を活用、地方の民の活性化と自立を目指したのである。

 震災で大きな被害を被った東北地方には、戊辰戦争に敗れて国が滅びた記憶が今も残る。殿様復活には、中央へ渡した権威と正統性を取り戻す象徴的な意味がある。東北だけでなく、北陸でも九州でも殿様と儀式を復活させれば、中央の政治家から失われた精神性が郷土に蘇(よみがえ)るだろう。中央主導で行われる地方分権の議論にも魂が入る。本格的なサムライの儀式復活は大きな観光資源ともなろう。

 長州農民の末裔(まつえい)は半分本気でそんなことを夢想したのである。」

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