轟亭の小人閑居日記 　　　馬場紘二

　桂文治は、羽織無しで、黒い着物に黒い袴を穿き、元気に出て来た。　師匠が生きていれば百歳だが、寄席にはよく遅刻した、来ないこともあった。　御徒町の吉池の五階か六階で、土曜日に落語会があった。　遅刻してきた師匠が「長短」をやったが、ぜんぜん受けなかった。　助六師に、どうして受けないのか、と聞いた。　教えたら、怒るんじゃないかなぁーー。　怒らないから、教えてよ。　そーーォ、じゃーーあ、教えるけれど、私が前で「長短」をやったんだ。　ムムム……。　ほーーれみろ、教えねえほうがよかったろう。

　この時期、「掛取り」は一番兄イがやる。　「書き入れ時」というのは、掛売りを大福帳など帳面につけるのに忙しい、月末〆、大晦日〆の頃だそうで。　「大晦日、箱提灯は怖くない」侍の箱提灯より、商人の弓張提灯が怖い、「元日や今年もあるぞ大晦日」。

　お前さん、今日は何日？　大晦日だ。　朝から借金取りが沢山来るんで、夜分にと言ってあるよ。　夜分に出来たらお届けしますと、「出来たら」をつけるんだ。　薪屋です！　こんばんは！　薪屋です！　こんばんは！　（何度か、戸を叩き、声をかける。そこで開けると）　親方、そこにいたんですね、お忙しいんですか。　忙しくねえんだもの、金がねえんだ、まるっきりない。　さばさばしてる、面白いだろ、帰えれ、帰えれ。　口の利きようがあるだろう、申し訳ない春になったら届ける、とか言っても罰が当たらないと思う。　それで、いいや。　それで、いいやとは何だ、そうそうこないだ往来で会ったとき、そっぽを向いたな、勘定もらうまでここを一歩も動かない。　俺も同じだ、一歩も動かない、かかあ、薪ざっぽを持って来い、太いやつを。　薪なら、家へ帰れば束である。　そうだろう、薪屋だからな。　早く払え！　これから算段するんだ、一年か二年かかる、ずっと動くな、死んだら死骸ぐらい届けてやるから、こないだ往来で会ったとき、そっぽを向いたな、何で前に回って勘定の催促をしなかったんだ。　大晦日だ、ほかに大口がある、町内を回ってくるから。　さっき、何て言った……、ここを一歩も動くんじゃねえ。　面倒くせえから、もらったつもりで帰るんだ。　はっきりしろ、もらったのか、もらわないのか？　もらった。　何を？　勘定。　どこで？　ここで。　勘定、やったよな、受け取りを置いてけ。　ひでえな。　2円80銭、確かに受け取りました。　判が捺してない。　判をぽんぽん捺す。　真っ赤になって、字がわからなくなっちゃった。　勘定を受け取ったら、何とか言え、商人は、世辞、愛嬌が大事だ、有難うございますと言って、笑って帰ったらどうだ。　へへへへへ。　払ったのは、十円札だったな、釣りを置いてけ。　ムムム……。　来年、勘定出来たら、届けるから。

　あんた、お餅どーすんのよ、ウチだけ音がしないのは嫌だ。　考えがある、夜中に起こせ。　あんた、夜中だよ。　半纏貸しな、表に回って、餅屋の形で来るから、うまく返事をしろ。　さあさあ、この路地だ、よっしゃい、よっしゃい、餅屋でございます、遅くなってすみません。　はい、開けます、待っていました。　（小声で）棒読みじゃねえか。　親方から、ご祝儀いただいた、五人みんなお礼を言え。　井戸で水を汲んで来い、釜に火を熾せ、冬場は釜前に限るな。　除夜の鐘が鳴ってきた。　仕事を始める前に、一杯ひっかけてくれ。　威勢よく、やってくれ。　ご馳走さま。　けっこうなご酒で、「勢州桑名に過ぎたるものは銅（あか）の鳥居に二朱女郎」。

　蒸し上がったよ、上がったよ、シィー、フーーッ、フーーッ！　肉付きのいい、尻っぺたを出せ。　嫌だよ。　餅を搗くんだろ。　やるけど、表は閉ってんだろうね、お前さん。　威勢よく、めくれ！　もろに、出しやがったな、大きな臼だ。　貧乏は嫌やだ、こんな真似しなきゃあならないのか。　ホイヨ、ホイヨ、ヨッ、ホイ！　ホイヨ、ホイヨ、ヨッ、ホイ！　寒ぶいよ、吹いちゃあ。　ポンポン、ポンポン、ヨーイ、ポンポン、ヨイショ、コラサ、ヨイヨイ！　こねまわさないで、おくれよ。　あたしは、めまいがしてきたよ。　一臼、搗き上がったよ。

　次の蒸籠を持って来い。　貧乏は嫌やだね、寒いって、言ってるんだ。　片っぺらが真っ赤だ、向きを変えろ。　ホイヨ、ホイヨ、ヨッ、ホイ！　ホイヨ、ホイヨ、ヨッ、ホイ！　ブーーーッ！　鼻の真ん前で、やりゃあがったな。　何てことをするんだ、昼間何を食ったんだ。　くさ餅だよ。　ヨーイ、ポンポン、ヨイコラサ！　臼が逃げちゃあ、しょうがない。　ちょいと、餅屋さん、あと幾臼搗くんだい？　二臼です。　あとの二臼は、おこわにしてちょうだい。