埴輪(はにわ)、何のために作られたのか2024/12/18 07:10

 わが家には昔から、甲冑をまとい剣を帯びた「武人」の埴輪がある。 その昔、父が古道具屋か何かで見つけてきたものだろう。 素朴な感じは、『万葉集』の「防人(さきもり)」を思わせる。 東京国立博物館の特別展「はにわ」で、目玉だという国宝「挂甲(けいこう)の武人」のように精巧な姿ではない。 埴輪「挂甲の武人」は、群馬県太田市出土、鉄板をとじた甲(よろい)を身につけ、冑(かぶと)をかぶった美しい姿をしている。

 埴輪は何のために作られ、何を表しているのだろう。 朝日新聞文化面の「はにわのフシギ」(11月25日~28日)を読む。 その原型は、弥生時代の吉備地方(現在の岡山県と広島県東部)で2~3世紀に生まれた。 特殊器台と呼ばれる筒状の台の上に、特殊な壺を載せたものがあり、ここから特殊器台形埴輪、さらには円筒埴輪という土管のような埴輪が誕生していく。 これらは墳丘に立て並べられることで、墓という聖域を守る役割を担っていた。 それに続いて、器材埴輪の一種、家形埴輪が登場する。 墳頂部に立てられた器材埴輪には、このほか、貴人にさしかける日傘である「蓋(きぬがさ)」や、武力の象徴である大刀(たち)、甲冑などがあり、古墳に眠る王の存在を思い起こさせる。

 5世紀後半になると、古墳の濠(ほり)に築かれた堤の上などに、多様な人物埴輪や動物埴輪が数多く立て並べられる。 若狭徹明治大学教授は、これを葬られた人物の一代記か、被葬者に関わる場面を集めた立体絵巻ではないかと推測し、神祭り・生産・軍事などをつかさどり、社会を安定させた王の社会的な役割を人々に確認させるのが、人物埴輪群像の目的だった、としているそうだ。