「見つける力、驚く力、感動する力、喜びを人と分かち合う力」そして2025/01/02 07:53

 「我々に一番大事なのは感心する才能ですね。  河合隼雄」というのが、鷲田清一さんの「折々のことば」3264(2024.11.15)にあった。 「クライアントに自由に箱庭を作ってもらう「箱庭療法」で、「これは何ですか」などと訊くのは最悪だと、臨床心理学者は言う。「うわー」と心を波打たせれば、相手はもっと作り込みたくなるし、ふと漏れてきた些細な話にも「ほうほう」と返せば、もう少し話してみたくなる。エモーション(感動)は文字通り人を動かす。谷川俊太郎との共著『魂にメスはいらないから。』

 X(旧ツイッター)に、片柳弘史さんという神父さんが、こんなことを書いていた。 慶應の法学部を出て、マザーテレサのところでボランティアをして、神父になった人だそうだ。

 「幸せな人とは、見つける力、驚く力、感動する力、喜びを人と分かち合う力、与えられた恵みに感謝する力を持っている人のこと。特別なものは必要ありません。誰にでもあるそれらの力を磨き上げるだけで、私たちは幸せになれるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。」

 この日記や「等々力短信」、大晦日に出したように、「閑居していて珍奇な体験をすることもないし、世の中のことを論評する力もない。どうしても読んだ本から、あれこれ紹介することになる。」 読んだ本や新聞雑誌で、私が感心したものを紹介するのだが、そこに「感心する才能」はあったのだろうか。 「見つける力、驚く力、感動する力」は、十分だったろうか。 それを綴って発信する「喜びを人と分かち合う力」は、一応あるのだと思う。 しかし、そんなことを続けていられること、とりわけ家人に対する「与えられた恵みに感謝する力」は、十分だったとは言えないと、反省している年明けである。