近代と散歩、始まりは勝海舟か、福沢散歩党2025/01/04 07:33

 鷲田清一さんの「折々のことば」3069(2024.4.27.)「時間さへあらば、市中を散歩して、何事となく見覚えておけ、いつかは必ず用がある  勝海舟の教師」。 鷲田さんは解説する。 「徳川の旧幕臣は、かつて長崎で修業中、教師に教わったこのことを肝に銘じているという。政治はつねに世態や人情を「実地」でよく観察し、事情に通じていないとだめだ。だから江戸に戻っても、暇さえあれば、目抜き通りから場末、貧民窟まで歩き回った。それが官軍による江戸攻めという非常の時に役立ったと。『氷川清話』から。」

 日本で最初に散歩をしたのが、勝海舟だったと、どこかに書いたことがあるような気がして、探してみたが、見つからなかった。 彰義隊の戦争のさなか、福沢が日課の講義を続けたという「福澤先生ウェーランド経済書講述記念日」、2009年5月15日の記念講演会は、前田富士男さん(慶應義塾大学名誉教授・アートセンター前所長)の「モダン・デザインへの眼差し―美術史学からみる福澤諭吉」だった。 その中で、前田富士男さんは、アメリカとヨーロッパで、福沢が近代を「散歩と乳母車と写真と椅子」からみた、と指摘した。

 福沢たち遣欧使節団は蒸気機関車に乗ってロンドンに到着した。 前田さんは、W・フリスの《鉄道駅(パディントン)》1862の絵を見せる。 多くの人が右往左往する駅の情景を、肖像画の伝統にしたがって、大人から子供までいろいろな人物像で描いている。 勃興してきた市民階級、大衆だ。 J・リチー《夏のハイドパーク》1858、モネ《ピクニック(草上の昼食)》1865や《散歩》1865では、夏の公園に遊ぶ人々や散歩する人々が描かれている。 そこには椅子や乳母車がみえる。 散歩は1840年代から市民社会の興隆とともに流行し始めたのだそうだ。 40年ほど前にドイツに留学した前田さんは、人々が森を正装して散歩しているのを見て、驚いたという。 C・シュピッツヴェーク《日曜日の散歩》1841を示す、日曜日の礼拝の帰り、家族みんなが正装して散歩している。 散歩は一人でしちゃあいけない、グループで談笑しながら歩く、文化的伝統がある。 散歩党と話しながら歩いた、あのパッチを穿いて、尻をからげた福沢の散歩姿を、福沢はどうも正装と考えていたらしい。 あの恰好で葬式に出て、顰蹙を買ったという話もあるそうだ。