小林一三の資料保存と、小説家になる志2025/01/29 07:07

 阪田寛夫さんは、小林一三が慶應義塾に入学した日について、「昭和五十六年現在慶應義塾に保存されている姓名録には、小林一三の「入社ノ年月」は明治二十一年二月十四日と記されていた。恐らく自叙伝の記述は、誰かに調べさせたこの資料から逆に、上京の日付と入学の日付を定めて書き直されたものと考えられるが、一三が自分の管理外の資料に頼って記録を訂すのは珍しい。」と書いている。

 小林一三は、「ごく若い頃から――大いに遊んでいたという三井銀行大阪・名古屋支店時代にも、――自分の行動や見聞に関わる資料を保存する本能のようなものが、何時も働いていたのがわかる。明治何年何月何支店の残高といったものから、お茶屋の勘定書、酒席で作ったざれ歌の歌詞などまでが、偶然にではなく小まめに意志的に残してある。彼にとっては巨大な数字も、鉛筆がきの勘定書も、同じほど大事な資料だったようだ。」

 「ただの蒐集癖や回顧癖からではなく、自己顕示の欲望とも違う。いつも自分の足跡は無に帰したくない、他人まかせにもしたくない、始めから終りまで“自身の”記憶・記録にとどめておきたいという執心、そこにしか拠り所はないという気持が、忙しい時にも遊びの時にも絶えず彼に働いていたのだろう。」

 阪田寛夫さんは、些事もゆるがせに出来ない一三の性格を考え合わせると、自叙伝には代筆者や助手の恣意や個性が入る余地がないほどに一三自身のものだと、あらためて断言できるという。 「その理由として、先ず本人の手によるきびしい校訂を経ていること、更に本人の手によるおびただしい自伝的随筆の堆積が既にあったことが挙げられる。もう一つ、昭和六年の直木三十五との対談に見られるように、一三が六十歳近くなってなお小説家になる志を持ち続けていた点も、傍証のなかに加えてよいかも知れない。」と。

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