「時事新報の発行停止」五回2025/02/11 07:13

 その時のプリントには、『時事新報』発禁は2回だけと記した(以前、福沢諭吉協会の土曜セミナーで聞いたので)。 話し終わったら、その2回はどんなケースかと聞かれたが、手元に資料がなかった。 『福澤諭吉事典』を見たら、195頁「時事新報の発行停止」(都倉武之さん)に、5回とあった。

 『時事新報』は、新聞紙条例(明治8(1875)年発布)の定める治安妨害に当たるとして、発行停止処分を受けた。 福沢諭吉生前は次の五回が知られている。  (1)官民調和を主張する「藩閥寡人政府論」を社説として連載中、明治15年6月8日付の13回目で発行停止、発行再開の翌日14日から17回まで連載した。福沢は知友宛の書簡に「春風や座頭も花の噂して」と一句を草し、議論の全体を見極めずに拙速になされる処分に憤慨した。 (2)明治16年10月31日付社説「西洋人の日本を疎外するは内外両因あり」による。政府の儒教主義復活を条約改正問題に絡めて批判したもの。 (3)明治18年8月13日付社説「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」による。巨文島事件などで朝鮮をめぐる英露の攻防が表面化していた。 (4)明治20年6月24日付社説「条約改正は時宜に由り中止するも遺憾なし」で。政府内の改正中止論を先取りして、改正論者の怒りを買ったため。 (5)明治28年4月25日付紙面記事が、機密事項である三国干渉に触れたため。

 これ以外に事前検閲で、明治18年1月17日と19日の甲申事変に関する社説が、掲載不許可になっている。