柚木沙弥郎さん、年の差90歳の少年との文通2025/04/09 07:08

 毎度書いているけれど、昭和50(1975)年2月に「等々力短信」の前身「広尾短信」を始めたのは、何事も電話ですます世の中に、手紙の楽しみをなんとか復活させ広められないか、ハガキでどれだけのコミュニケーションができるか実験のつもりという趣旨だった。 先日、楽しい手紙のやりとりの見本のような手紙を、NHKの『日曜美術館』「Oh! SAMMY DAY 柚木沙弥郎101年の旅」で見た。

 日本の西の方に住む10歳の田添琉乃介君は、生れた時から心臓に重い疾患を抱えていて、何度かの壮絶な手術をくぐりぬけ、酸素を吸うパイプを鼻につけてはいるが、両親に温かく見守られ、毎日絵を描いている、小三治の落語を聞きながら…。 戸棚には「琉乃介作品集」というファイルがぎっしり並んでいる。 「妖怪1000大物語」は、1番「チョキチョキ」から始まり、100番「ブイイ」を経て、現在380番まで進んでいる。 2022年4月、島根県浜田市の世界こども美術館で、100歳の柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)さんの作品に出合い、心を動かされて、柚木さんに手紙を書いた。 書く場所の決まった便箋などでなく、絵などもまじえた自由奔放な書き振りだ。 「柚木沙弥郎さま はじめまして りゅうくんだよ 10才で絵を描いている 柚木さんの本は『千年万年』が好き 100才おめでとう これからも絵をかいてね たのしみにしてるよ 版画のワニをプレゼントします」

 さっそく柚木沙弥郎さんから5月1日付けの、大好きだというパイナップルの絵が描かれた返事が来る。 年の差90歳の友達、楽しい手紙の交流だ。

 東京帝国大学文学部美術・美術史科中退の、柚木沙弥郎の原点は、24歳で岡山倉敷の大原美術館に就職し、芹沢銈介の型絵染のカレンダーを見て、模様に開眼したことにあった。 民藝運動を提唱した柳宗悦の日本民藝館へ行き、柳宗悦に師事し、静岡由比の正雪紺屋で染物の修業をする。 1948年、独立して倉敷で紅型(びんがた)風型染布を作り始める、《近県民藝分布図》など。 「良心的なものを、心を込めてつくる、暮らしを豊かにする布を」。 型染に魅せられ工芸の道を歩んで75年、版画、切り絵、絵本など工芸の枠をこえて、自由に世界を広げていった。 宅急便の伝票裏のカーボンや、指の爪などを始め、日常的に見る形をヒントに、そのアイデアはスクラップブック80冊に、無数の模様を集めている。 「天気がよい日曜日のように、嬉しければいい、面白ければいい」と。

 2023年1月、日本民藝館で自作の展覧会。 12歳の琉乃介君の年賀状で、浜田市の展覧会に「ワクワクして」四回行ったと知り、「ワクワクしたことは一生記憶する。ワクワクした気持、情熱が、こういうものをつくる原動力になる、それがだんだん広がっていけばいい」と返信した。

 柚木沙弥郎さんは、2024年1月31日101歳で亡くなった。 琉乃介君は手紙を書く、終りに涙を流している自分の絵を描き、柚木さんが天国へ乗って行くようにと龍の作品を入れて…。 田添琉乃介君の一家は、はるばる車で東京の日本民藝館までやって来て、柚木さんの展覧会を見る。 ワクワクした琉乃介君は、柚木さんのご長男たちに落語「宿屋の富」を披露したのだった。

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