「南桂子展 小さな雲」の銅版詩2025/04/11 07:01

 そこで、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションの「南桂子展 小さな雲」。 南桂子は浜口陽三夫人、パートナーと聞いていたが、夫婦別姓で活躍したのだろう。 1911(明治44)年、私の父と同じ年に、富山県に生れ、高等女学校時代から油彩画や詩をたしなみ、戦後は上京して佐多稲子の紹介で壷井栄に童話を、油彩絵を洋画家の森芳雄に学び、自由美術家協会などに油彩画を発表していた。 森芳雄のアトリエで、のちに世界的な銅版画家となる浜口陽三と出会い、銅版画の面白さを知る。 1953(昭和28)年、浜口陽三とフランスに渡り、パリのフリードランデル版画研究所で学んだあと、ドライポイントやカラー・メゾチントの技法で銅版画をつくり続けた。 フランスからブラジル、またフランスからアメリカのサンフランシスコへと拠点を移したあと、1996(平成8)年には日本に戻り、1998(平成10)年浜口陽三の作品を常設展示するミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションが開館、2000(平成12)年に浜口陽三が91歳で亡くなった後、2004(平成16)年に93歳で亡くなった。

 一階の展示を見てから、らせん階段で地下の会場に下りる。 思わず「深いね」と言ったら、受付係の女性が「醤油の倉庫でしたので」と。 近くには、ヤマサ醤油の東京支社もある。 南桂子の繊細な銅版画は、少女・鳥・お城・雲・舟・羊などをモチーフにしている。 やさしい色合いの、メランコリックな世界に、たちまち誘い込まれてしまうのだ。 帝国ホテルに泊まったことはないけれど、南桂子の版画が全室に飾られていたという。

 谷川俊太郎に、南桂子装幀・装画、和田誠手描き楽譜の『うつむく青年』(1971年・サンリオ出版)という詩集がある。
 また谷川俊太郎は、「そして日々が ―南桂子さんに―」という詩を残していた。

舟はたしかに
未知の岬をめざしている
魚はたしかに
産卵の日を待っている
鳥はたしかに
散弾におびえている
少女はたしかに
運命を知っている

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