田沼意次の追罰、打壊しが大坂から江戸へ ― 2025/09/17 07:16
大河ドラマ『べらぼう』第32話「新之助の義」。 田沼意次の老中辞職で、政局は混乱する。 お役の辞職だけでは手ぬるいと追罰、老中になってからの二万石、大坂と神田橋の屋敷も召し上げとなった。 勘定組頭の土山宗次郎はお役御免となる。 幕臣の大田南畝は震えあがり、蔦重のところに来て、俺の狂歌本を売るなと言う。
御三家から「田沼の代りに松平定信を老中にすべき」との意見書が出る。 一橋治済は、松平定信を「吉宗の孫」ということで、老中に推挙する。 だが定信が「将軍家の親族」であるため、老中になれないという家重公の「定め」があった。 意次は、老中らが通る雁間詰にいて、定信を西の丸・家斉(次期将軍)の「後見役」として立てる進言をする、一橋の立場をなくせということだ。 天明7(1787)年3月、徳川家斉十一代将軍宣下。
天明6(1786)年秋、お救い米の対象が少ないことが判明して、庶民の不満が爆発する。 大坂で米が四合百文に高騰、打壊しが始まり、全国へ広がった。 江戸でも三合百文、蔦重が深川の新之助のところに行くと、長屋の連中は暴発寸前の状態だった。 蔦重は、「20日にお救い米」が出るというお上の策を読売に摺って広めることを、田沼の側近・三浦庄司に頼まれ、実行していた。 しかし、越中守(松平定信)は、そのお救い米は手配できぬ、と。 撒き広めた「20日にお救い米」の読売は、誤報となった。 「犬を食え」と言われたとけしかける、怪しげな男がいた。
新之助は言う、「おふくと坊は、世に殺された。米屋は、米がないから売らぬほうが儲かる。それは罰する方が、ともに儲けているからだ。おのれのことしか考えぬ。さような田沼がつくった、この世に殺されたのだ。それをおかしいと言うことも出来ないのか。こんな世はおかしい」と。 新之助は、長屋の連中と打壊しへと向かう。 蔦重は、だれ一人、捕まったり、死んだりしないように、幟に思いのたけを書いて、米屋との喧嘩に留めるように、説得する。 「わが心のままに、わがまま、自由に。」「みんなと一緒に笑いたい。まんぷく山のぽんぽこ狸、江戸っ子は喧嘩だろ、カラッといきたい。喧嘩は江戸の華だ。」 新之助は、「おっしゃる通りの油町、米屋との喧嘩だ、米を盗んだり、壊したりしなければ…」と、墨痕鮮やかに幟を書く。 「金を視ることなかれ、すべての民を視よ!」「世を正さんとして我々打壊すべし!」
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