福沢諭吉「日本国の人心は、一方に凝るの弊あり」 ― 2026/01/09 07:15
私は、酒井啓子さんの益田肇『人びとの社会戦争 日本はなぜ戦争への道を歩んだのか』の書評を読んで、福沢諭吉に「日本国の人心は、一方に凝るの弊あり(全集11-184)」という言葉があるのを、思い出した。 明治20年、慶應義塾の学生に対して行った講演「社会の形勢学者の方向第一」にある。
「日本国の人心は、ややもすれば一方に凝るの弊ありというて可ならんか。その好むところにはげしく偏頗(へんぱ)し、そのきらふところにはげしく反対し、熱心の熱度ははなはだ高くして、久しきに堪へず(耐久力がなく)、一向の方向直に直線にして、たちまち中絶し、前後左右に些少の余裕をも許さずして、変通流暢の妙用に乏しきもののごとし。すなはち事の一方に凝り固まりて、心身の全力を用ひ、さらに他を顧みることあたはざるものなり。」 「その凝り固まるの極度に至りては、他の運動(他人の活動)を許さずして、自身もまた自由ならず、内にありては人生居家の辛苦不調和となり、外に現はれては交際の猜疑確執となり、また圧制卑屈となり、社会の不幸これより大なるはなし。」
「ゆゑに今余が諸氏に向かって望むところは、生涯の行路、すべて事物に凝ることなく、何事を執り、何物に熱心するも、常に余力を貯へて、変通流暢の資に供するの一事なり。今月今日本塾にありて学問に従事するも、決してこの学問に凝るなかれ。常に心身を屈強にして、事に堪ゆるの資を作り、その進退敢為(活発)のさまにおいては、外見あるいは奮発の極度と思はるるにもかかはらず、内に実力を余して、心思を百方にはせ、いやしくも判断の明を失ふなかれ。すなはちこれわが同学(同志の学徒)、文明の大主義として忘るべからざるものなり。」
映画『国宝』は、SNSや口コミで皆同じ「横浜流星と吉沢亮が一年半ほどの稽古で、あれをやったのがすごい、実際の歌舞伎を観てみたい」という感想で、爆発的にヒットしていき、昨年末で1209万人を動員、興行収入184.7億円、邦画実写第1位になったそうだ。 その過程で、私は何か「日本国の人心は、一方に凝るの弊あり」という恐れのようなものを感じた。 それで映画は観なかった。 吉田修一の原作は、朝日新聞の連載時に読んでいたのだけれど…。
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