映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」 ― 2026/02/23 07:03
<小人閑居日記>は、足かけ25年になるから、いろいろなことを書いてきた。 藤沢周平についても、映画は『蝉しぐれ』『秘太刀(ひだち) 馬の骨』『隠し剣 鬼の爪』『必死剣 鳥刺し』から、作品は直木賞『暗殺の年輪』、北斎を描いた『溟い海』、藤沢周平を描いたテレビドラマまで。 その中で、朝ドラ『ばけばけ』で、松野トキ(髙石あかり)の母フミを演じている池脇千鶴が『必死剣 鳥刺し』に出ていたのを「池脇千鶴の里尾、一夜一生」と特筆していたので、長くなるが、その一連を紹介したい。 まず、映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」と、三田の演説館での日本における拍手の起源から。
映画『必死剣 鳥刺し』冒頭の「拍手」<小人閑居日記 2013.5.27.>
5月4日に、BSプレミアムで放送された映画『必死剣 鳥刺し』を見た。 2010年、平山秀幸監督作品。 藤沢周平の原作である。 映画館で観なかったのは、主演の豊川悦司が好きでなかったからかもしれない。 桜満開の海坂藩城中、能舞台春楽殿での能から始まる。 エンドロールによると、能「殺生石」で、演じたのは梅若研能会、シテ梅若紀長。 海坂藩主右京太夫(村上淳)、側妾(そばめ)連子(れんこ)(関めぐみ)、中老の津田民部(岸部一徳)を始めとする執政の重臣たちから、物頭(ものがしら)保科十内(小日向文世)・兼見三左ェ門(豊川悦司)など家臣、奥御殿の女性たちが居並んで能を観ていた。 能が終わると、まず連子が拍手した。 すると、藩主右京太夫が拍手し、それを見て、一同が拍手した。 あとでわかるのだが、この冒頭シーンは物語の深い事情を象徴していた。 藩主は才色兼備で政治好きの愛妾にぞっこんで、藩政に連子の意見を採用するため、執政たちは口出しできず、明白な失政が表面に出てきていた。 藩財政が苦しい中、廃寺が復興され、大伽藍が出来ると、その寺を宰領したのは連子の父だった。 執政会議に出された倹約令の提案は、ことごとく否決された。 連子は藩主の執務部屋にも顔を出す。 奥御殿の経費を削った勘定方の安西(どこかで見た顔だと思ったら落語家の瀧川鯉昇)は切腹させられた。 そういう状況での、側妾の拍手に続く藩主の拍手、そして一同の拍手だった。
私は、この拍手に違和感を持った。 江戸時代に拍手はなかったはずだ、と思ったのである。 藤沢周平の原作を見たが、拍手はなかった。 「拍手は三田の演説館から始まった」と、どこかで読んだ記憶があった。 探すと、桑原三郎先生の『福澤先生百話』(福澤諭吉協会叢書・1988年)の「第七五話 三田演説館」だった。 「皆さんは、人の話を聞いた後で、よく拍手するでしょう。あの拍手も、三田演説館から日本中に広まったものなのです。」
能を観終わった人びとが、藩主を筆頭に、橋廊下を退場する。 艶やかに着飾った連子が橋廊下にかかった時、兼見三左ェ門が近寄り、柱に押しつけるようにして、その胸を小刀で刺した。 覚悟の兼見は、その場に控えた。
君側の奸(姦)を斬る<小人閑居日記 2013.5.28.>
側室に藩主がぞっこんで、藩政に口出しさせることは、よくあったようで、小説のよい材料だ。 幕府が諸大名の正室と嫡子を人質として江戸に留め置いたこと、藩主が急死して世継ぎがなければお家断絶となることが、その背景にあった。 今、宮部みゆきさんが朝日新聞朝刊に連載中の『荒神』でも、東北の香山藩主瓜生久則の側室、由良が「張り子のように中身のない女」なのに、「御館様(みたてさま)」と呼ばれて、恐れられている。 藩主の小姓、小日向直弥の家が、下手をすれば取り潰しに遭いかねない状況にある。
由良といえば、幕末薩摩の「お由良騒動」を思い出す。 側室が自分の子に殿様の跡を継がせようとすると、お家騒動になる。 薩摩では、藩主島津斉興(なりおき)・家老調所広郷(ずしょひろさと)が世子斉彬(なりあきら)と対立した。 調所は斉興の側室お由良の方の子忠教(久光)を世子としようとし、嘉永2(1849)年斉彬派の家臣は忠教暗殺をはかり発覚、切腹・遠島などの弾圧を受けた。 のちに幕府の介入で、斉興は隠居し、斉彬が藩主となる。 斉彬の急死後、久光が藩主忠義の実父として藩政を掌握し、幕末薩摩の活動の上に立つ。
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