『日曜娯楽版』『陽気な喫茶店』、連続ドラマ、文化全体が〈ごった煮〉2026/03/22 07:42

 昭和22年10月から始まった日曜夜7時半からの『日曜娯楽版』、三木鶏郎(とりろう)を中心につくられた「冗談音楽」の時事風刺がたびたびGHQの忌避にふれて放送禁止のうき目にあったというが、子供ながら好きで聴いていた。 出演者は、楠トシエ、三木のり平、丹下キヨ子、有島一郎、太宰久雄、小野田勇、千葉信男、河井坊茶、逗子とんぼ、左とん平、水の也清美。 放送作家は、三木鶏郎のほか、後にトリローグループ(冗談工房)を結成するキノトール、能見正比古、永六輔、神吉拓郎、野坂昭如、飯沢匡、伊藤アキラ。 作曲家は、神津善行、いずみたく、桜井順ら。 番組から、ジャズミュージシャンのジョージ川口、小野満、鈴木章治らと「三木鶏郎楽団」を結成した。 彼らの「冗談音楽」は風刺と笑いで人気を呼び、ヒット曲「僕は特急の機関士で」(1950(昭和25)年)が生まれた。 その後、各方面でかつやくすることらなる、懐かしい名前の人ばかりである。

 昭和24年4月5日スタートの『陽気な喫茶店』、レギュラーは松井翠声(すいせい)、活動弁士出身だったが、アメリカ生活が長かったはずで、とてもモダンなおじさん、配するのは若い女性で荒井恵子という歌手、〝コトコトコットン、ファ・ミ・レ・ド・シドレミファ〟という歌詞の「森の水車」、ひどく健康的な歌一曲で世に出た、まるで手アカのついてないお嬢さんだった。 加えるに三枚目、お笑い出身、漫才の内海突破、この人の発する「ギョッ!」が流行語になった。 いまのトーク・バラエティー番組の先駆けである。

 社会への影響力の大きさでは、連続ドラマに敵うものはない。 昭和22年7月に代表的な帯ドラ二本が同時に始まる。 菊田一夫の『鐘の鳴る丘』(昭22.7.5.~25.12.29. 790回)、浮浪児と呼ばれた戦争による孤児たちのストーリー、主題歌の「とんがり帽子」「緑の丘の赤い屋根、トンガリ帽子の時計台」は、全日本人が歌えたといってもいいだろう。 『向う三軒両隣り』(昭22.7.1.~28.4.10.)脚本・八住利雄、伊馬春部、北条誠、山本嘉次郎、ホームドラマ(というより、ご近所ドラマ)の元祖。 車屋の亀造(巌金四郎)や山田のおばあちゃん(伊藤智子)は本当に隣人だった。

 『えり子とともに』(昭24.10.~ 阿里道子ほか、作・内村直也)は、新生した市民の家庭像、知的で自立心に富んだ主人公えり子のキャラクターは新しい理想像だった。 『鐘の鳴る丘』が終ると『さくらんぼ大将』(古川ロッパとボーイ・ソプラノの加賀美一郎)がはじまり、やがて昭和27年の『君の名は』につながる。

 もっとも望まれたのは音楽番組だった。 はやくも昭和20年12月31日に『紅白歌合戦』の前身『紅白音楽試合』が放送された。 それより早い10月に『希望音楽会』が始まった。 聴取者の希望(リクエスト)は、純音楽(クラシック)3割、軽音楽6割、邦楽1割だった。 新旧とりまぜ、東西ごちゃまぜは音楽ばかりではない。 文化全体が〈ごった煮〉だった。 面白い時代でもあったとつくづく思う、と鴨下信一さんは回想する。