三田キャンパスで二本立て「耳学問」2023/12/19 07:15

 最近出かけるのは、一日に一つにしている。 毎日昼寝をするので、午後からの場合は、午前中に昼寝の前倒しをして、出かける。 だが、16日の土曜日、二本立になった。 午前中は、前から予定していた慶應義塾福澤研究センター・福澤諭吉協会共催の、『小幡篤次郎著作集』刊行記念公開講座「小幡篤次郎の再発見」の5回目、池田幸弘さんの「英学者としての小幡篤次郎」を、10時半から三田キャンパス東館ホールで聴いた。 午後は、偶然『三田評論』12月号で広告を見つけた慶應義塾大学文学部・慶應義塾大学久保田万太郎記念資金主催、慶應義塾大学藝文学会共催の「久保田万太郎と現代」シンポジウムを、2時から北館ホールで聴いたのだった。

 公開講座は正午に終わったので間の時間、福澤協会の黒田康敬さんを誘って、萬來舎で昼食とおしゃべりをし、その後、三田メディアセンター(新図書館)で「久保田万太郎――時代を惜しみ、時代に愛された文人」の展示を見て、コロナでしばらくしなかった慶應義塾図書館塾員入場券の再登録もした。

 三田キャンパスは、二、三日前X(旧ツイッター)にあった写真から一変、佐藤春夫の詩「ひともと銀杏葉は枯れて庭を埋めて散りしけば」状態になっている。 しかし閑居老人には、「冬の試験も近づきぬ一句も解けずフランス語」というプレッシャーはないから、師走の一日、気楽に「耳学問」を楽しんだのだった。

本井英句集『守る』を読む<等々力短信 第1174号 2023(令和5).12.25.>12/18発信2023/12/18 06:59

 本井英先生の第六句集『守(モ)る』(ふらんす堂)を読んだ。 句集名は、高浜虚子の昭和14年の句<祖を守り俳諧を守り守武忌>に由来し、鼻祖荒木田守武以来の俳諧を「守らん」とする「守旧派」虚子に倣っての思い、その心情を昨今さらに深めているからだという。 平成27年から8年間の306句が収められているが、平成29年晩秋に大分進行した「咽頭癌」が発覚してからの試練の時期でもあった。

 去年今年身に病変を抱きながら/根治とは信ずることば花の下/病ひには触れず日焼を褒めくれし/生きてゐるだけで御(オン)の字花野ゆく

 英先生は、「歳時記」に季題として登場する鳥も獣も蟲も魚も、さらには花も木も草も、われわれ人間と同格に生れ、生き、死んで行く。 その「仲間たち」を、よく見、聞き、知り、「あはれ」と感じ、讃美することが、「花鳥諷詠」の立場だという。

 鶯の遠きはお俠(キャン)近きは艶(エン)/営林署の冷蔵庫より山鯨/芋虫の疣足もんぺ穿きにして/吻(フン)の黄の美しきほど佳き秋刀魚/梅林やわが影坊を連れまはし/軽トラの徐行ゆらゆら杉落葉/岩煙草あつかんべえの若葉垂れ

 知らない言葉、読めない字もあって、「歳時記」や辞書、ネットの検索などする。

 芍薬の蕾に案の如く蟻/どんよりと新海苔黒し浪のむた/岬宮に位階とてあり冬椿/うはずりし鱵の見ゆる波間かな/裏を伝ふ蟻の影あり黄蜀葵/犬筥の犬の器量に佳きわろき/忍冬の蕾ぞ袋角めける/花落ちて山梔子はやも五稜なす/鴨は鴨鵜は鵜でくらし頭首工(トウシュコウ)/箱釣の箱立てかけてありにけり/ヒバカリのつるりと小さき幼顔/なつかしの蚊帳吊草の茎に稜(カド)/鴫立庵 この庵や芭蕉巻葉もあらまほし/駐車場に月見草咲くオーベルジュ/海坂の裏側春の島いくつ/竹馬とも筒井筒とも月の友/餌合子(エゴウシ)の鳴ればたちまち鷹もどる/あとがき 林鐘

 「案の如く」考えていたように/「むた」と共に/「とて」だって/「鱵」サヨリ/「黄蜀葵」トロロアオイ/「犬筥」イヌバコ、狛犬、女の子の幸福と健やかな成長を願う雛道具/「忍冬」スイカズラ/「山梔子」クチナシ/「頭首工」水門/「箱釣」金魚掬い/「ヒバカリ」蛇、日計の名は咬まれればその日ばかりで死ぬ意だが、実際は無毒/「稜」とがったところ/「芭蕉巻葉」新葉を巻いているバショウを、玉巻く芭蕉と美化していう「あらまほし」そうありたい/「オーベルジュ」宿泊施設を備えたレストラン/「海坂」海神の国と人の国を隔てるという境界/「筒井筒」幼なじみ「月の友」月見/「餌合子」鷹の餌を入れる蓋つきの椀/「林鐘」リンショウ、陰暦六月の異称。

 終わりに、身に沁みた一句。 <老といふ敵は手強し一茶の忌>

わが青春の春夫の詩。今日も一日無事に生き。2023/08/11 07:10

   凌宵花わが青春の春夫の詩   都築華子

 「凌宵花(りょうしょうか)」が「ノウゼンカズラ」であることは、俳句をやるずっと前、高校生の頃から知っていた。 佐藤春夫の『殉情詩集』に「酒、歌、煙草、また女」三田の学生時代を唄へる歌、というのがあり、試験の前になって、やむを得ず勉強しなければならなくなると、愛唱していたものだった。 赤煉瓦の旧図書館の右手、「文学の丘」の入口に立派な棚が設えられ、説明はないが「ノウゼンカズラ」が植えられている。

 ヴィッカスホールの玄関に 咲きまつはつた凌霄花 感傷的でよかつたが 今も枯れずに残れりや / 秋はさやかに晴れわたる 品川湾の海のはて 自分自身は木柵(もくさく)に よりかかりつつ眺めたが / ひともと銀杏(いちょう)葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語 / 若き二十のころなれや 三年(みとせ)がほどはかよひしも 酒、歌、煙草、また女 外(ほか)に学びしこともなし / 孤蝶、秋骨、はた薫 荷風が顔を見ることが やがて我等をはげまして よき教へともなりしのみ / 我等を指してなげきたる 人を後目(しりめ)に見おろして 新しき世の星なりと おもひ驕れるわれなりき / 若き二十は夢にして 四十路に近く身はなりぬ 人問ふままにこたへつつ 三田の時代を慕ふかな

 <筍をさつくり割りしゾーリンゲン>、都築華子さんは少し上だがほぼ同世代であることが、この句で判る。 我が家でも、父も母もゾーリンゲンの刃物、ナイフや剃刀、鋏、爪切などを珍重していた。 ゾーリンゲンは、関や三条・燕のような都市の名で、ヘンケルスはメーカーらしい。 そういえば、「デリカテッセン」という一文を綴ったことがあった。 「等々力短信」第1105号 2018(平成30)年3月25日「デリカテッセン」。

   今日ひとひ無事に了へたるはうれん草   田中温子

 「はうれん草」菠薐草、『ホトトギス 新歳時記』二月に「もっともふつうの野菜である。紅色の茎の部分から葉が叢生する。」「浸し物、和え物などのほか、各種の料理に重用される。」とある。 当り前の日常生活を象徴しているのであろう。 私などは、歳を取ってきてから、毎日風呂に浸かって白いタイルの壁を見上げながら、今日も一日無事に生きられて、なんとも有難いものだと、つくづく思うようになった。

 <うちの子と言ひて朝顔商へる>、そんな声は聞いたことはないけれど、毎年入谷鬼子母神の朝顔市に行って、五十年近い。 コロナ禍で三年ぶり開催となった今年、通信販売に慣れて、つい入谷に出かけるのを怠けてしまったのも、年のせいだろうか。 <新涼や席譲られることに慣れ>、電車でびっくりしたように立ち上がってくれる人がいる。 有難く座らせてもらうことにして、久しい。 降りる時に、挨拶はするようにしているが…。

「海山のあはひの町」大磯2023/08/10 07:07

   海山のあはひの町へ虎が雨   津田祥子

 「虎が雨」陰暦五月二十八日に降る雨。 「虎ヶ涙雨」ともいう。 この日は曾我兄弟が討たれた日で、兄十郎祐成(スケナリ)の愛人であった大磯の遊女虎御前がその死を悼んで流した涙が雨となって降るという伝説に基づく。 大磯は、まさに「海山のあはひの町」である。 明治初期の医者松本順(良順)は、大磯が海水浴・避寒の適地だと説き、この地が日本最初の海水浴場、別荘地になった。 福沢先生が大磯の人々にその恩を忘れるなと「大磯の恩人」という一文を書いて、よく避寒に逗留した旅館松仙閣の主人に渡した。 のちに照ヶ崎の海岸に福沢門下生らの手で松本順頌徳碑が建てられている。 大磯の裏山には、大磯在住の友人に案内されて、高麗神社の高麗山から湘南平に登ったことがあった。 <見開きの絵本のやうや夏の海>はもとより、秦野や伊勢原の広がり、丹沢、箱根から富士山までが、眺められた。

 2021年11月28日に慶應志木会・枇杷の会の大磯吟行、鴫立庵二十三代庵主本井英先生の本拠地での句会があった。 鴫立庵は、「湘南」の名の発祥の地でもある。 その時、『夏潮』初期の「季題ばなし」に書いた2011年7月号「海水浴」、2012年6月号「虎ヶ雨」を配らせてもらった(このブログ「小人閑居日記」2021年12月3日、4日で読んで頂ける)。

 17年目を迎えた『夏潮』8月号、本井英「主宰近詠」に「虎ヶ雨」が五句プラス一句ある。
虎ヶ雨降り込む闇の底知れず
広重の画をた走るも虎ヶ雨
一庵の聾(ミミシ)ふるまで虎ヶ雨
虎ヶ雨泣いて疲れて寝落ちたり
泣き伝へ語り伝へて虎ヶ雨
虎御前の顔セ白き五月闇

 さらには、次の二句もある。
海の町に迫る裏山五月晴
海の町に小さき魚屋五月晴
 名古屋場所で入幕を果たした上、10勝5敗で敢闘賞を受賞した湘南乃海は、大磯の魚屋さんの息子だと聞いている。

九十年以上を生きる。「ディンギー」と風。2023/08/09 06:53

   春愁や飽くほど生きて厭きもせず   岩本桂子

 季題は「春愁」、虚子編『新歳時記』増訂版には、「春といふ時節には、誰の心も華やかにうきうきとなる一面、一種の哀愁に誘はれるといつたやうな氣持がする。何となく物憂くて氣が塞ぐのをいふ。」とある。 「飽く」と「厭き」、愛用の(と、いっても、最近はあまり見ないのだが)武部良明さんの、角川小辞典『漢字の用法』を見る。 [飽]物事に十分に満足すること。 [厭]物事を続けて行うのがイヤになること。 <九十年変わらぬものに花の散る>のを見てきた作者は、九十年以上を生きてきたことに、十分に満足しつつ、なお、生きていることがイヤにならない、というのである。 それは、<老いて尚何かあるごと春を待つ>だけでなく、<いそいそといふことのあり春ショール>となるのである。

   ディンギーの覚束なくも風つかみ   石山美和子

 ぼんやりの私は、石山美和子さんが、渋谷句会はもちろん『夏潮』編集・運営全般でお世話になっている児玉和子さんの姉上だということを知らなかった。 鵠沼のお住まい、お育ち。 「ディンギー」は、キャビンのない小型ヨット。 私は「ディンギー」を知っていた。 石山美和子さんと同年生れの兄が、海洋研究会というクラブに入っていて、葉山の鐙摺や久留和で合宿して、ヨットに乗っていた。 それで高校生だった弟の私をディンギーに乗せて、風上に向ってどう走るのか、タックやジャイブ、風下にランニングだのと、やってみせたのだった。 まさに、「覚束なくも風つかみ」だった。
 <撫子は傘寿の今日の誕生花>で、お誕生日は9月4日とわかる。 その5日後に生れた兄は、残念ながら、傘寿にはほど遠く、67歳という若さで亡くなってしまった。