桜花満開の隅田川土手で、物語は始まる ― 2026/01/27 07:22
『福澤諭吉年鑑』の企画編集委員会が、川崎勝さんから『悔悟』のワープロ版邦訳原稿を渡されたのは2024年だった。 その時の話では「以前に翻訳したもの」ということで、小室正紀さんは2015年の『馬場辰猪 日記と遺稿』刊行前後以降で間違いないとしている。 草稿は完成したものであったが、校正の過程でさらに推敲を加えようと思っていたらしく、代替の訳語候補や、赤ボールペンで再検討箇所のチェックやアンダーライン、修正が書き込まれていた。 しかし、川崎さんは残念ながら加筆修正を果たせずに、入稿前に亡くなってしまった。 「そこで日本語にも精通している英語ネイティブの立場からヘレン・ボールハチェットが、また日本語ネイティブの立場から川崎千鶴、西沢直子、小室正紀が訳文に校訂を加えた」とある。 川崎千鶴さんは、川崎勝夫人で日本中世史家。
川崎勝さん翻訳の馬場辰猪作『悔悟』は、こう始まる。 落語「花見酒」のような風景である。
「うららかな四月の日であった。江戸市中を流れる隅田川の両岸は人でいっぱいだった。桜の花咲く季節の隅田川土手ほど美しい眺めは、世界中どこの国にもみつからない。桜花満開の土手は白い雲に覆われた観があった。江戸に住みながら家に閉じこもっている者など一人もいなかった。
このような日には身分の差が消えて、日本が四民平等の国に変貌する。殿様と民百姓の違いが忘れられ、貧しい職人が若様を押しのけ、手から手へ酒盃が往き交う。川沿いに粋な姐さんの茶店が並び、人々は腰を下して、酒や茶を飲み、軽食や菓子を口に運ぶ。桜の木の下に男たち、女たち、子供たちがそれぞれ集まって、あるいは踊り、あるいは歌う。
毎年花見の季節が来ると、隅田川の土手ではこうした風景がいつも見られるのだった。」
私は、馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」<小人閑居日記 2016.7.13.>に、杉山伸也さんの紹介による物語のあらすじを書いていた。 「桜満開の隅田川土手、40歳ぐらいの浪人黒田が酔っ払って、25歳ぐらいの若侍にぶつかり、口論となり、剣を交える。 黒田は斬られて絶命した。 黒田の妻は、5歳の義助に父の仇を討つようにと言い残し、3年後に死ぬ。」
川崎勝さん訳、馬場辰猪の小説『悔悟―封建日本の物語―』 ― 2026/01/26 07:14
馬場辰猪歿後125年にあたる2013年秋に、1882(明治15)年、1884(17)年、1885(18)年の「馬場辰猪日記」と、“K’waigo or Repentance:A Story of Feudal Japan”(「悔悟」)が、三菱史料館の岩崎久弥の遺品の中から発見された。
そして杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』(慶應義塾大学出版会・2015年)が刊行された。 そこには新発見の「日記」と「悔悟」(英文)、日記の記述から馬場辰猪筆と判明した『朝野新聞』の無署名論説「史論」を中心として、馬場の最後の投書「日本の内閣(The Japanese Cabinet)」その他の史料に、それぞれに詳しい解題を付し、全面的に改稿した「年譜」、杉山伸也さんの書き下ろし「馬場辰猪伝」で構成されている。
杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』、「馬場辰猪伝」、馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」については、2016年の7月に当日記にいろいろ書いていた。
杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』<小人閑居日記 2016.7.9.>
啓蒙、自由民権の時代から、渡米決意へ<小人閑居日記 2016.7.10.>
「外からの改革」と馬場辰猪の客死<小人閑居日記 2016.7.11.>
「史論」、帰納法を用いた人民の歴史<小人閑居日記 2016.7.12.>
馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」<小人閑居日記 2016.7.13.>
「悔悟」の意味するもの<小人閑居日記 2016.7.14.>
馬場孤蝶の言う「訳語の不足」<小人閑居日記 2016.7.15.>
川崎勝さんは昨年6月10日に亡くなり、杉山伸也さんは昨年9月2日に亡くなった。
川崎勝さんとは、2009年11月福澤諭吉協会の中津・小倉・下関・萩の旅でご夫妻とご一緒して以来、協会の会合でお会いすると挨拶をしていた。 3月22日の総会に千鶴夫人の押す車椅子でいらっしゃっていたのが、最後だったか。
その旅行では、春帆楼で贅沢な「ふくづくし」の昼食をして、隣の日清講和記念館を見学。 日清戦争の明治28(1895)年春、伊藤博文と李鴻章が交渉し11か条の講和条約(「下関条約」)を結んだ場所だ。 前日、川崎勝さん(一泊の参加)に見てくるようにいわれた李鴻章の座った位置、李鴻章の道も見る。 日本側は、目の前の関門海峡に軍艦を通過させて威嚇したらしい。 狙撃事件後の李鴻章は、大通りを避け、山沿いの小径を往復したそうだ。
関門海峡を見はるかす壇の浦、みもすそ川公園には長州藩が四カ国連合艦隊を砲撃した八十斤カノン砲のレプリカが並んでいた。 ヘレン・ボールハチェットさんが百円玉を入れると、発射音が三回轟き、砲身から煙(蒸気)も出ることを発見、みんなで楽しんだ。
MAGA MAGAしいアメリカ<等々力短信 第1199号 2026(令和8).1.25.> ― 2026/01/25 07:26
「まがまがしい」は「禍禍しい」と書く。 2026年はアメリカによるベネズエラ攻撃という衝撃的なニュースで始まった。 Make America Great Again 2期目のトランプ大統領の登場で、民主主義が試練にさらされている。 7日には66の国際機関(内31は国連機関)からの脱退または資金拠出の停止を表明、「国際法は必要ない」、米軍最高司令官としての判断は「自らの道徳観」にのみ制約されると言い、17日にはグリーンランド領有まで欧州8カ国に追加関税を課すことを発表した(21日に撤回)。 9月、国連総会での演説で「気候変動は世界が犯した史上最大の詐欺だ」、「国連には、生み出した移民による侵略をやめることが求められる。(移民は)国境を踏みにじり、主権を侵害し、止めどない犯罪を重ね、社会保障の安全網を使い果たす」と述べた。
米NGO「フリーダムハウス」は報告書で、民主国家がどう権威主義に傾斜していくのか、四つの指標を示している。 (1)権力者が司法の独立を弱めるなど「法の支配の弱体化」。(2)不透明な資金調達や選挙規則の操作など、公正・中立な選挙への疑念。(3)ジャーナリストへの攻撃や情報へのアクセス制限など、「報道の自由への攻撃」。(4)社会的弱者が直面する「移民への差別・不当な扱い」。 大学や言論機関への攻撃が忌まわしい。 14日には、FBIがワシントンポストの記者の家宅捜索をした。
私は昭和16(1941)年に生まれ、4歳の時、小泉信三さんも被災した東京城南の空襲で、9月に洪水のあった立会川の橋の下で一晩を過ごして、助かった。 それが戦後、六三制の初期に民主主義教育を受け、物心がつくと、映画や音楽でアメリカ文化をもろに浴びて、アメリカは理想の国となって、空襲の恨みなどは感じたことがない。 大学時代は、ちょうどJ・F・ケネディ大統領の時世に重なり、その著『勇気ある人々』では自分の信念を貫いた議員たちの物語を読み、子供たちが身近な疑問や要望を直接大統領に手紙を書いて送った本では、その大統領職に対する尊敬に彼我の差を感じた。
福沢諭吉は、『文明論之概略』で「権力の偏重」を言った。 西洋の文明では相互に拮抗する諸勢力の対立の中に自由を生じたが、日本では強者と弱者が不均衡に固定化してしまったことが文明を阻害した、と。 今日のアメリカにおける「権力の偏重」は、11月の中間選挙でチェックされるのか。 『学問のすゝめ』に、「理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためには英吉利亜米利加の軍艦をも恐れず」、「人智愈(いよいよ)開(ひらけ)れば交際愈広く、交際愈広ければ人情愈和らぎ、万国公法の説に権を得て、戦争を起すこと軽率ならず」とあり、だが『通俗国権論』では「百巻の万国公法は数門の大砲に幾冊の和親条約は一筐の弾薬に若かず」とも言っていた。
伊藤塾長年頭挨拶、石破茂さんの戦後80年所感 ― 2026/01/16 07:18
伊藤公平塾長は次に、『三田評論』1月号で、石破茂前首相、佳子夫妻と、「慶應義塾での学びと戦後80年―無知を知ること」という新春対談をしたことを述べた。 石破さんと佳子夫人は、1979(昭和54)年法学部法律学科卒の同級生である。 石破さんは辞める直前に「戦後80年所感」を出した。(石破茂前首相の駆け込み「戦後80年所感」<小人閑居日記 2026.1.6.>)
『三田評論』の対談での、石破さんの発言を、以下に紹介する。 先の戦争の開戦にあたって、なぜ政治家が歯止めたり得なかったのか、政治家がそれを考察しなければ駄目だという意識があった。 「なぜ政治家が歯止めたり得なかったのか」をきちんと総括した上で、「では今の日本において歯止めたり得ているか?」ということを問いたかった。 当時は、政府、議会、メディアの三つにおいて、それぞれがなぜ機能しなかったのか。 では、今なら本当に機能するかと。 根源は「文民統制とは何か」という、ギリシャ、ローマからずっと問いかけられてきた問いに対する答えを、少しでも書きたかった。
ここ20年ほど考えているのは、今の日本国は、インデペンデントでも、サスティナブルでもない、独立していないし、持続可能性も低い。 食糧もエネルギーも人口構成もそうで、自衛力だって、はっきりいえばそうだ。 もちろん日米同盟は大切で、日中の信頼関係も大切だ。 しかし、その前提として、インデペンデントな日本とは何かということを突き詰めて考えたことがない、ということは恐ろしいことだと思う。 福沢先生のおっしゃる「独立自尊」というのは何なんだというのは、常に塾員、塾に学ぶ者が問いかけなければならないことだ。
生涯学び続けられるのも、慶應のすごいところだなと思う。 勉強すればするほど「なんて自分はものを知らないんだ」ということがあって、でもそれに打ちのめされて、くじけてはいかんのだと思う。 世の中に知らなければいけないことが千あるとしたら、多分自分が知っていることは百もないなと思うからこそ、日々学びなのだと。 先の戦争で、フィリピンのマニラ市街戦、シンガポールにしたことなど、知らないことが山ほどある。 無知の恐ろしさだ。 「何があったのか」ということをきちんと記憶しておく責任は、やはり引き継いでいるのだと思う。
伊藤公平塾長は最後に、今年の抱負として、3年で人間中心のAIキャンパスを実現すると述べた。 学生のSNSとのつながり、人間同士の付き合い、人と人とのつながり、好奇心は大切だ。 精神的自立は、最も大切だ。 好奇心を育てるのに、中等高等教育で、さまざまな分野の本物にふれ、幅広い教養を身につける。 リベラルアーツに触れて、自分の進む道がわかる。 小中高大の一貫校では、AIも好奇心の対象として示す、沢山の寄り道の場、最高のリソースを用意する。 そして、さまざまな社会貢献に尽くしてもらいたい。
伊藤公平塾長の年頭挨拶、前半 ― 2026/01/15 08:29
1月10日は、第191回の福澤先生誕生記念会で、三田へ行った。 私の唯一の自慢、1960(昭和35)年に第125回の福澤先生誕生記念会が大阪で開催されたのに、志木高から行かせてもらったのは3年生の18歳、66年前のことだった。 1901(明治34)年2月3日に福沢先生が66歳で亡くなってから、今年は没後125年になる。 先生より18年も余計に生きて、小人閑居、何もできずにいるのが、どうにも恥ずかしい思いがする。
伊藤公平塾長は、年頭挨拶の冒頭、「慶應義塾の年末年始はコレだった」として、花園で活躍した志木高蹴球部のタイガージャージー色の応援タオルを掲げ、拍手を受けた。 12月27日の青森山田との一回戦を、塾長が花園で応援したと聞いている。(全国高校ラグビー一回戦、慶應志木48対12で青森山田に快勝<小人閑居日記 2025.12.29.>、全国高校ラグビー慶應志木高、東福岡高校に善戦健闘<小人閑居日記 2026.1.2.>)
塾長は、昨年、世界のリーダーたちが慶應義塾を訪れたが、それは塾に会いたくなる教授、研究者がいるからだ、と言う。 歴史の厚みがあり、これからにも期待している。 7月、1875(明治8)年の開館から150年になる三田演説館で、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州連合(EU)委員長がスピーチした。 福沢の説いた「自由と独立」は、19世紀と今日をつないでおり、現在の課題の大切な答だというのだった。(慶應義塾が名誉博士号を授与したEU委員長<小人閑居日記 2025.11.14.>、福沢の「自由」と「独立」の追求は、現在の課題の答<小人閑居日記 2025.11.15.>、欧州と日本のパートナーシップ、学生へのメッセージ<小人閑居日記 2025.11.16.>)
11月、ICC国際刑事裁判所(赤根智子所長)のアジア太平洋学術フォーラムを慶應義塾で開催、アジア太平洋地域の10の大学が集い、国際刑事司法の地域連携、学術的立場から「自由と独立」を協議した。 ICCはプーチン氏やネタニヤフ氏など、戦争犯罪者に逮捕状を出している。 この問題は、19世紀末に重なる。 福沢は『文明論之概略』で、愚かな者に権力を与えると、どんなことも出来るといい、目的を定めて文明に進むの一事、内外の、明らかな独立を説いた。 智徳の進歩に、四章を割いている。 智恵では西洋に立ち遅れている、五官で感じ、好奇心を持って研究、探究するのが大事。 役立つものは受け入れ、害するものは外す。 学問、文学は心を和らげる。 歴史は、今後を明らかにする。
当時の日本は、外国交際病、貿易の搾取、「利を争うことは古人の禁句なれども、利を争うは即ち理を争うことなり」、外国人は利益を求めて、理屈を出してくる。 一人、一人の能力を高める必要がある、「一国の人民として地方の利害を論ずるの気象なく、一人の人として独一個の栄辱を重んずるの勇力あらざれば、何事も論ずるも無益なるのみ」。 昨今の国際情勢、利と理を考えないと、弱肉強食の世界になってしまう、現在進行形の問題である。(この部分は、安西敏三甲南大学名誉教授が、あとの記念講演「福澤諭吉の智徳論―J・S・ミルとの関連を中心に」で、述べたことと一致していたので、それで補った。)
最近のコメント