「桟留革」と小朝の「柳田格之進」2007/09/24 07:09

 さて、彦根藩江戸留守居役・柳田格之進が身につけていた「桟留革(サントメ がわ)」というのが、わからない。 『広辞苑』によると、「サン・トメ」から 渡来した皴目のある鞣(なめし)皮、のちには日本でも製造。 ほかに「桟留縞」 という言葉もある。 「サン・トメ」は、木綿の産地であるインドのコロマン デル地方の異称で、その名は聖トマス(ポルトガル語名サン・トメ)が布教に来 たという伝説に基づく。 ほかに、アフリカ中部、ギニア湾には、サントメ島 とプリンシペ島から成る「サントメ・プリンシペ」民主共和国がある。 旧ポ ルトガル植民地で、1975年独立、人口12万7千(1995)、首都サン・トメ。 そ して、「桟留縞」だが、もと(インドの)サン・トメから渡来した縞のある綿織 物、表面は滑らかで光沢がある。 日本でも模造。 輸入品を特に唐桟留(と うサントメ)と呼び、略して唐桟(とうざん)と称した。 「唐桟の着物に、博多 の帯」などと落語によく登場する「唐桟」はこれである。 細番の諸撚(もろよ り)綿糸で平織にした雅趣のある綿織物。 紺地に浅葱(あさぎ)・赤などの色合 を細い縦縞に配し、通人が羽織・着物などに愛用した。 わからなかった一つ の言葉から、世界が広がる。

 小朝は、柳田格之進が番頭徳兵衛と主人萬屋源兵衛の二人を一刀のもとに斬 り捨て、「たそがれ清兵衛」を思い出すと、夕陽の中を帰って行くシーンを描い たあとで、客に手元のボタンを押して、場面を戻させる。 柳田格之進は、碁 盤を切捨てていた。 かばいあう主従の情に手元が狂った、と。 そして曰く、 娘の絹は、すぐに身請けをしたのだが、しゃべらなくなっていた。 娘だけに は、謝ってもらいたい、という。 萬屋源兵衛と番頭徳兵衛の二人を、絹は「私 も武士の娘です」と許す。 しばしば絹を見舞った徳兵衛と、やがて一緒にな って、萬屋を継ぎ、ふたりの間に出来た子供が、柳田の家督を継ぐ。 小朝は 番頭と主を切り捨てておいて、一転、めでたし、めでたしの結末にした。