「熱海の雪崩」考2024/02/29 07:09

 小泉信三さんについて、私が今まで書いたものの一覧を出そうと思っている。 その中で、ネットのブログで読めないものの一つに、この等々力短信「熱海の雪崩」があった。 興味深い話なので、「マクラ」として再録しておく。

        等々力短信 第1023号 2011(平成23)年5月25日                       熱海の雪崩

 「熱海の雪崩」が、ずっと気にかかっていた。 『慶應義塾史事典』のVII「社中の人びと」の「阿部泰蔵」の項目にある。 阿部泰蔵は、三河国下吉田(現愛知県新城市)生れ、慶應4(1868)年に福沢の塾に入り、明治2(1869)年には慶應義塾の教員となり、その年3か月ほど塾長も務めた。 当時は当番制、交代で塾長に任じたものだったそうだ。 福沢門下生の保険事業を実行しようという動きの中、その中核として阿部に白羽の矢が立ち、明治4(1871)年7月、日本最初の生命保険会社明治生命の創業者となる。 水上滝太郎(阿部章蔵)が四男なのは、小泉信三の著作でよく知られている。

 私の引っ掛かっていた記述は、「(大正)八年熱海温泉に逗留中、雪崩の被害に遭い瀕死の重傷を負う。以後自宅で療養、一三年一〇月二二日没、享年七五。」 温暖な熱海に雪は降ることはあったとしても、雪崩があったのだろうか、ということだった。

 5月16日、福澤先生ウェーランド経済書講述記念日の講演会で三田に行き、次の予定まで一時間ほどの時間があったので、卒業以来40数年ぶりに図書館に入った。 塾員(卒業生)は、慶應カードで入れてくれる。 レファレンス・カウンターで尋ねて、『慶應義塾史事典』の参考文献にあった明治生命保険相互会社編『本邦生命保険創業者 阿部泰蔵伝』(1971年)を、地下2階の書庫で探し出す。 第一三章 終焉 一「奇禍に遭う」に、当時明治生命大阪支店副長だった阿部章蔵の、後年の追憶が引用されている。

「大正八年二月、父は鈴木旅館に入湯中、雪崩(なだれ=ルビ)の為に浴室の天井の厚硝子が砕け、大腿部を深く剥(えぐ)られてあやふく即死せんとし、爾来六年間病床を離れる事が出来ず、晩年を苦痛のうちに終った。」 おそらく、これが『慶應義塾史事典』の、基だろう。 『水上滝太郎全集』十二巻13-4頁の引用とあったので、カウンターで見覚えたKOSMOSの端末を叩いて、地下3階にあった現物を読む。 その時、『水上滝太郎全集』の端に立っていた「補遺・年譜・索引」の袋を一緒に手にしたのがヒットだった。 年譜「大正八年(三十三歳)」「二月三日、父泰蔵、熱海温泉鈴木旅館に於て、入浴中、積雪の為玻璃窓砕け大腿部に重傷、爾来六年間病床を離れ得ざるに至る」。 「雪崩」よりも「積雪」で天井のガラスが割れたという方が、妥当ではなかろうか。

 気象庁お天気相談所と、そこから回された静岡気象台防災業務課にも電話してみたが、大正8(1919)年2月3日(福沢諭吉命日)の熱海の積雪の記録は確認できなかった。

柳沢吉保の評価、将軍綱吉の評価につながる2024/02/23 06:55

 柳沢吉保の評価が二分されるという問題だが、以前、家内の同級生の奥様、川口祥子さんの「柳沢吉保と六義園」という講演を聴いて、いろいろ書いていた。 その川口祥子さんだが、残念ながら2022年11月30日に亡くなられて、『源氏物語』などの古典に関する深い学識にふれることができなくなってしまった。

「柳沢吉保と六義園」のお話を聞く前に<小人閑居日記 2018.10.9.>
和歌浦、和歌三神、そして和歌山の地名の由来<小人閑居日記 2018.10.10.>
「古今伝授」北村季吟→柳沢吉保、「六義園」<小人閑居日記 2018.10.11.>
柳沢吉保と五代将軍綱吉<小人閑居日記 2018.10.12.>

 改めて、それらや、そこにリストを挙げている「六義園」について書いたものなどを読むと、柳沢吉保の評価が二分されることは、吉保が仕えた五代将軍徳川綱吉の評価が二分されることにも、つながっていた。

2月12日に発信した、元禄地震 房総沖巨大地震と大津波<等々力短信 第1176号 2024(令和6).2.25.>に書いた、柳沢吉保の出世ぶりについては、柳沢吉保と五代将軍綱吉<小人閑居日記 2018.10.12.>にくわしく書いていた。 古山豊さんの本によって記した、吉保生母きの女、その二度の再嫁と、そこで産んだ子供や、荻生徂徠との関わりについては、ウィキペディアなどにも記述がないけれど、八木書店の史料纂集古記録編『楽只堂年録』を校訂している宮川葉子さん(元淑徳大学教授)のコラム「柳澤吉保を知る」第5回吉保の側室達(一)飯塚染子で確認することができた。 柳沢吉保の公用日記『楽只堂年録』は、元々柳沢家には『静寿堂家譜』と呼ぶ公用日記があったのだが、火災で焼失したため、荻生徂徠が史料を博捜、再編したものだった。
https://company.books-yagi.co.jp/archives/7610

将来の人のために「はげますことば」2024/02/18 07:55

 司会…今村さんは、箕面や佐賀で本屋さんのオーナーをやっていらっしゃるが、そのポジショントークを。 今村…好きなだけで。少なくなっていく職業は、山ほどある、活動弁士など文化的仕事。わからないけど、嫌。まだ、結論を出すのは早すぎる。50年後を生きる子供たちが、どうなるか考えたい、書店の研究を実地でやってみている。 磯田…サントリー地域文化賞を、和歌山の東照宮の和歌祭が受賞した。南蛮人も歩かせ、世界中から見物人が来る。500円から20万円の宿屋があり、わけのわからない日本の文化を求めて、先進国の人がご隠居になってやって来る。人工知能の専門家が、セルフレジなどでなく、お金を払っても「思いやり」を買うのだ、と言った。 今村…茶の席に出ることがあり、茶碗をおいくらと聞くと2千万円、固くなって置いた。秘書のは600万円、ベンツとフェラーリだと言った。茶入の上杉瓢箪(景勝の)にもさわった。「思い」の連鎖が、積み重なってきた。

 磯田…感情的に夢中になれるからやる。子供の頃、勉強ではなく、電話帳で苗字と寺の名を調べるのが面白くて夢中になった。子供は、好きにさせて下さい。 古谷司会…司馬さんに「電車の夢想」というエッセイがある。大学でも行って、偉くなるか。軌道に乗らない人が増えている。そういう人が、日本を変えるかもしれない。 磯田…軌道と言えば、学校と選挙は、近代に出来た。その200年のシステムが、終末に入り始めたのかもしれないと、司馬さんは嗅ぎ取ったのかもしれない。 今村…選挙の代わりに、スポンジの刀で叩き合ったらどうか。司馬さんが、みどりさんと余呉湖でデートした、賤ケ岳の話などせずに、一日中バスクの話をしていたという。 岸本…有用性は、短期では計れない。その時の経済性、効用性。 磯田…自分はお見合いがうまくいかなかった。形而上のもの、ペットボトルについて、きらきらして美しいというと、引く人が多かった。新婚の妻が、台所に切り紙を貼った。法令上違反になると言ったら、泣き出した。司馬さんは、アーティストだった。

 古屋司会…司馬さんに、ほかに行ってもらいたかった所は? 今村…木津川市(京都府)、微妙にかすっている。東北、人生の大事業考えている人がいた、宮沢賢治、石坂洋次郎の若い時、太宰治。東北の風土と、瀬戸内の文化は違う。漫画は北が強い。 岸本…中央の文化が、及びにくい場所もある。季語も京都中心、共同幻想。春百花咲く東北とは、ずれ、違和感、乖離がある。 磯田…「北のまほろば」、三内丸山遺跡、弥生で人口増加。箸中古墳(桜井市)は、楯築遺跡(倉敷市)の影響強い、備中を歩いて欲しかった。糸島、書いてくれればなあ。「開かれた窓」穴太の石垣など、朝鮮由来のもの多い。頼山陽は天草で、彼方に見えるのは呉か越か(中国)という詩を詠んでいる。海外由来の文明。今村さんに『塞王の楯』があるが、近江はおかしな場所で、技術が発展していくのは渡来系の関係、道が集まっており、日本全体の12のいろんな地域の土器が見つかっている(丹波のはない)。司馬さんは「分水嶺」という言葉をよく使う。広島にも日本海文化がある。

 司会…最後に、将来の人のために一言。 今村…便利になっている中で、見失っているものがある。発信しやすくなったが、本物を知らず、練れていない言葉で発信している。ここらで本物に触れてほしい、『街道をゆく』は小学生でも読める。 岸本…読んだ上で、歩いて欲しい。スマホを持たないで。山川草木の、その場に立つ。地形、起伏、距離感、風の匂い。 磯田…日本列島は、道路が整備され、人類が行けるようになった地面が一番多い場所。歩くこと、行かない手はない。あなた自身の『街道をゆく』を。

 古屋司会…司馬さんは「はげますことば」、22歳の自分への手紙を書き送るように小説を書いたと、述懐している。元日に能登半島地震が発生したが、亡くなる一年前の1995年1月17日に阪神淡路大震災が起こった。神戸のタウン誌「神戸っ子」に、神戸、世界でただ一つの街、とはげます一文を、書いている。近くにいて、むなしい、申し訳ない思いをしている。「神戸っ子」の小泉さんと、生田神社へ行った時、「神戸が好きです」、他所へお嫁に行った人も帰って来る、と真顔で言った。ニュースで見た被災した人が、平常の表情で支援に感謝しているのに、自立した市民を感じた。パニックにならず、行政という他者の立場もわかっている。成熟した市民、偉いものだった。やさしい心根の上に立つ神戸、と。

 第27回 菜の花忌は、4月13日(土)2時30分からNHKのEテレで放映される予定だそうです。

周縁への興味、「文明と文化」2024/02/17 07:22

 古屋司会…『街道をゆく』、半分ぐらい経ったところで、もう止めようかという危機があった。編集者が上手くて、どこか周縁で行きたいところをと、「南蛮のみち」バスクへ行くことになった。日本にキリスト教を運んできたザヴィエルはバスク人だった。

 今村…長崎の事件を書いた短編がある。ユーチューブに「バスク語ラジオ」というのがあり、日本語に聞こえる。ウラル・アルタイ語系、モンゴル語、日本語。周縁、終焉(さびれる)にも興味がある。 岸本…ポルトガル南西端のサグレス岬に行った、ポルトガル人は、はにかみで、おとなしい、とっつきにくいけど親切、非生産的で、出窓に花を飾る、機能性と関係ない場所を飾る。そのポルトガル人が、なぜ大航海に乗り出したのか。サグレス岬では、一方向へ潮が流れている、それは海が滝のように流れ落ちる地の果てがあるのではなく、海は先につながっていることを感じさせる、そこへエンリケ王子が航海学校を作った。 磯田…司馬さんは、詩人であり、画家だった。矢沢永一との対談で、日本画から油絵に、さらに抽象画になってきたのは、懐中電灯の電池を入れ替えた時期だったという話をしていた。 今村…司馬さんは、こちらとあちら、両方から見ている。想像力は二人分、三人分あり、憧憬を抱く。 磯田…西から見ていた波で、日本そのものをどう捉えるのか。石を神様とし、さざれ石になっていくようなのが、普遍に続くことを考える。

 司会…「文明と文化」に幅を感じる、多数者には文明しかない。普遍的な少数者には文化がある。文化なしに人間の心の安定は得られない。バスク人は、特殊性に精神の安定を得る。 磯田…城の上の火除けに、シャチホコを飾るか、消火器を置くか。消火器は文明の利器、人工知能につながる。司馬さんは、違うものを、違うものとして、一つずつ拾っていく、これがいい。 岸本…『街道をゆく』が始まった昭和46年は、日本各地で文化が失われていく時期で、それを拾う最後のチャンスだった。俳句をやるので「歳時記」をよく見るが、いろいろの習わしが昭和30年代に、さかんに途絶えていく。そういう危機感が司馬さんにはあった。 磯田…病院で生まれた人(安全な出産)と、家でお産婆さんで生まれた人の、時代の違い。 岸本…産業構造重視。 磯田…私は、NHKの「新日本紀行」を重視している。 今村…日本人らしさ。最近は、多様性と言われるが、「秋茄子は嫁に食わすな」と言うとコンプライアンスの問題になる、嫁が鼠説など、いろいろな意味があるのだが。今の時代に合わないと、潰される。文明が、文化の顔をしてやってくる。受け取り役、読み取り役のぼくらが劣化している。『21世紀を生きる君たちへ』は、小6だった。今、司馬さんは何を言ってくれるのか、自分の中の司馬さんに問いかけている。                               (つづく)

磯田道史・今村翔吾・岸本葉子各氏のシンポジウム2024/02/16 07:06

 第二部はシンポジウム「『街道をゆく』―過去から未来へ」、磯田道史・今村翔吾・岸本葉子(エッセイスト)各氏、古屋和雄さんの司会だ。 まず『街道をゆく』について。 今村…司馬さんの小説を読んだ後、中学2、3年で全部読んだ。小説を補完しようとして届かなくなり、また小説に戻った。 岸本…散策だ、頭での、足での。司馬さんと一緒に歩く。 磯田…中学以上で読んだ。紀行文がおいしかった。取材が足元から崩れていく、その差分の感じがいい。

 司会…司馬さんの旅は45歳から25年間、自然条件、山川草木の中に立ってみる、天、風の匂い。 岸本…「モンゴル紀行」が、みずみずしい。ビジュアルブック・シリーズの取材で、司馬さんの30年後に行った。司馬さんは、少年の心に帰って、沢山の体験をし、昔習ったモンゴル語で喧嘩の仲裁などしている。 磯田…「周辺」がポイント。3つか4つに分けられる。海外、古い核、境目A、境目B。海外では、オランダ、アイルランド、干拓地だ。古い核は、葛城、三輪山。境目Aは、薩長。境目Bは、糸満。『街道をゆく』ではないが、『ロシアについて』が出色。 今村…ウォッカについて、さんざんけなす、怨みでもあるのか。人生の「周辺」で蓄えられた知識。ダンスの教師をしている時、滋賀の高島に教室があって、毎週行っていたが、司馬さんはそこらへんのおばちゃんに声をかけて、聞いた逸話にちゃんとふれている。朽木の風を、的確に文章にしている。それを文章に入れると、仏像に目を入れるようになる。それは小説ともリンクしている。 磯田…直木賞の「梟(ふくろう)の城」、御斉峠(おとぎとうげ)の炭焼きのおじさんの顔が見える。司馬さんは「愉快である」が口癖。天文13年の鉄砲鍛冶、もぐさ屋はみな亀屋とか、井伊直政は家臣に関ヶ原のことを語るのを禁じたが、石田三成の領地だったから。新しい「人国記」「風土記」として読める。

 岸本…司馬さんは、五感で感じている。ゴビ砂漠に、司馬さんの30年後の2004年に行ったが、背の低い草が生えていて、良質のオリーブオイルのような香りがした。司馬さんはモンゴルのウランバートルへ三日がかりで、イルクーツクでビザを得て入ったが、今は成田から直行便がある。南ゴビは空気がいい。『草原の記』のツェヴェクマさんは周縁に生きる運命の人、人に書かれた歴史がある。 磯田…単色じゃない、画素の細かい絵。オホーツク人、アイヌ以前の。資料と旅に出て五感で感じるのが、車の両輪。糸巻のように、無意識の塊ができる、そこから雫が落ちる集中力。 今村…空気の中から、水を取り出す。書く前に、一回忘れるのは、かまわないと思う。残ったものが、小説の核になる。日本人は、「人国記」が好き、対話に入っていける。『童の神』は、土の匂いまで憶えている、ノートを放り出して行く取材が多い。                                        (つづく)