矢野誠一著『新版 落語手帖』の「代書屋」 ― 2025/08/09 07:10
矢野誠一さんの『新版 落語手帖』(講談社・2009年)、「落語事典の決定版!」を愛用している。 全274席を、梗概・成立・鑑賞・藝談・能書で、解説している。
7月11日の第685回TBS落語研究会で聴いて、戻ってきた権太楼の「代書屋」<等々力短信 第1193号 2025(令和7).7.25.>に書いた「代書屋」を、見てみよう。
『代書屋』だいしょや
【藝談】わたしの師匠4桂米團治が、まだ米之助を名乗っていた1938年頃の新作です。いろんな人が演りますが、うちとこでは『代書』いう題にしています。 桂米朝。
【成立】4桂米團治(中濱賢三)作。その後桂米朝、桂春團治、桂枝雀などが演じ、東京には立川談志が移植。
【梗概】代書屋に、就職用の履歴書をたのみに来た男、目に一丁字もないうえに、二人いた兄貴が死んだから長男になったとか、誕生日と旅順陥落の日を混同したり、とんちんかんなやりとりで代書屋を悩ませ、訂正だらけの妙な履歴書ができあがる。署名だけは自分でするようにいったのだが、それも書けないというので、「自署不能ニツキ代書」と判をおしてやる。
去年から中気のかげんで手がふるえて字が書けないという老書家が、結納の受け取りをたのみに来るが、墨が悪いの看板の字が気にいらないのと、けちだけつけて帰ってしまう。ぼやいている所に、先程の老書家の所から、なにがしかのお邪魔料を丁稚がとどけにきて、受け取りを書けという。代書屋が署名すると、やれ肩があがりすぎだとか心棒がゆがんでいると、丁稚がけちをつけるので丁稚に書かせると、これが達筆。「ほな、この下に判だけお願いします」と丁稚にいわれ、「おおきに」と判をおそうとすると、名前の横に小さな字で、「自署不能ニツキ代書」。
等々力短信 第1193号は… ― 2025/07/25 20:40
<等々力短信 第1193号 2025(令和7).7.25.>戻ってきた権太楼の「代書屋」 は、7月22日にアップしました。 7月22日をご覧ください。
戻ってきた権太楼の「代書屋」<等々力短信 第1193号 2025(令和7).7.25.>7/22発信 ― 2025/07/22 07:06
戻ってきた権太楼の「代書屋」<等々力短信 第1193号 2025(令和7).7.25.>
7月11日の第685回TBS落語研究会、仲入後の食いつき、柳家権太楼は、「やっと戻って参りました」と始めた(拍手)。 暮から、ものが食べられない、食べたものは戻す、明けて1月10日に食道がん、ステージ4と診断された。 抗がん剤の苦しい治療を続け、3月下旬に手術もした。 駄目かなと思うことが、二度あった。 でも、それを思っちゃいけない、何が何でも、研究会の高座に上がりたい、と思っていた(拍手)。 次の日から入院する1月15日が落語研究会で、「ぜんざい公社」をやった。 訃報で最後にやったのは「ぜんざい公社」と書かれるところだったので、今日来ました(拍手、まだまだ!の声)。 それで「代書屋」にする。(柳家権太楼の「ぜんざい公社」<小人閑居日記 2025.1.22.>https://kbaba.asablo.jp/blog/2025/01/22/)
デイショ屋さん。 代書屋です。 デレキショ、持って来いって、言われたんだ。 履歴書。 隣の竹に貸してくれって行ったら、兄ィすまねえ、この前まであったんだが、おつけの実にして食っちゃった、てんだ。 デイショ屋さん、書いてくれ、デレキショ。 代書屋、履歴書、覚えなさい。 あんた、そこにかけて。 すぐ、かけなさい。 何で、走るの、座りなさい。 フンドシ、ちゃんと締めて、はみ出してる。
本籍は? ハア。 生まれた国。 日本。 場所は? 確か家の奥の四畳半。 町屋。 荒川区。 2丁目26番地、風呂屋の隣。 現住所は? ハア。 源公、わっしの友達、警察に捕まったんで、行ったら、泣くんだ。 右に同じ、と。 お名前は? ヒデ。 それは、通称。 ヒデキ。 親父が、お前の名前はヒデキだって言って、カクッと死んだ。 オデキって、顔だ。 姓は? 五尺三寸。 山田とか、松本とか。 湯川です。 冗談言っちゃあいけない、あんた湯川秀樹……。 難しい言葉で、一石二鳥。 同姓同名でしょ。 同じようなもんだ、漢字が四つ。 湯川秀樹、偉い先生だ、ノーベル賞取った。 わっしは、こないだ天皇賞取りました。
生年月日は? 面目ねえ、覚えていない。 歳はいくつ。 28。 どう見ても40過ぎてる。 親父がカクッと死んだ時、お前は28だって言った。 何年前? 20年経ってる。 48、もう少ししっかりしなさい。 学歴、何ていう所、小学校の名前? 学習院かな。 町屋2丁目から、同地区内の小学校を卒業? 一年半で、中途退学。 まあ、除籍よりいいでしょ。(大拍手)
職業。 千住駅前で饅頭商を営む。 家賃が高くて止め、一行抹消、ハンコ。 露天商、下駄の減り止め。 履物附属品、二時間で止め、一行抹消、ハンコ。 賞罰。 去年の暮、町内饅頭大食い大会で。 やんなっちゃった。 しばらく振りの「代書屋」でごさいます。 そろそろと下りる権太楼に、拍手が鳴り止まなかった。
東京駅八重洲口前に 阪急が1300席の新劇場 ― 2025/06/27 06:56
世田谷美術館「東急 暮らしと街の文化」展<小人閑居日記 2025.1.26.>
小林一三、私鉄経営モデルの原型を独自に創る<小人閑居日記 2025.1.27.>
小林一三は、三田の山から“初めて”海を見たのか?<小人閑居日記 2025.1.28.>
小林一三の資料保存と、小説家になる志<小人閑居日記 2025.1.29.>
小林一三の、三井銀行大阪支店、名古屋支店時代<小人閑居日記 2025.2.4.>
79歳で明かした小林一三の結婚の事情<小人閑居日記 2025.2.5.>
小林一三が創業した阪急電鉄と宝塚歌劇団について、最新のニュースが6月3日に出た(朝日新聞朝刊・細見るい記者)。 「東京駅前 阪急が新劇場」「宝塚公演など 29年度開業予定」という見出しだ。
宝塚歌劇団を傘下に持つ阪急電鉄は、JR東京駅前に約1300席の劇場を新設する。 開業は2029年度を予定し、同歌劇団の自主制作公演のほか、ミュージカル、コンサートなどでの利用を見込む。
新劇場は東京駅八重洲口と地下で直結し、徒歩3分の場所につくる。 鹿島や住友不動産、阪急阪神不動産など6社と再開発組合が建設中の複合高層ビル(地上43階、地下3階)の3~6階部分に入り、2階層分の高さを持つ構造にする。 運営は阪急子会社の梅田芸術劇場が担う。 多様な演出ができるよう最新の技術をとり入れる予定だという。
別の鉄道会社でも、新人に駅員や車掌を経験させるか ― 2025/06/26 07:08
23日発信の、小林一三の「平凡主義礼賛」<等々力短信 第1192号>に、「私の会社に入ると、工学士、法学士、電気技師も、一遍は必ず車掌運転手をさせられる。 自らが平凡な民衆の一員となって働かねばならないということが、阪神急行のモットーである。」と、書いた。 家内が中学のクラス会で、同級の男性が大学卒業後、東急電鉄に入って、戸越公園駅でホームの掃除をしていたのを、同級の女性に目撃されたという話を聞いていたので、このことも小林一三が阪急で始めたことが、東急その他の鉄道会社にも波及したのかと思った。
それで大学の同級生で、等々力短信の読者、LINEの仲間でもある、かつて帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)に就職した友人に、駅員や車掌運転手をさせられたかどうかを、聞いてみた。 すると早速、返信があった。
「もちろん、駅員、車掌、運転手を、半年位の間に、経験させられました。 当時、駅に、簡易ベッドも無く、机の上に、蒲団を敷いて、寝させられました。」 「正社員に成ってから、(ということは、教育研修期間は正社員ではなかったのか)、簡易ベッドを設置させました。 食事当番も大変だったので、弁当造りの事業もさせました。」「懐かしい想い出を蘇えらせてくれた、等々力短信有難う」と。
新入社員から、待遇改善の提案をするまで、どのくらいの時が経ったのかわからないが、実行力のある優秀な社員だったことは、確かだろう。 その提案と実施が、小林一三式の「提案したのを、上役が自分の説にしたら、それを実行する。」だったかどうかは、わからないけれど。
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