ハーフの父の国、母の国2017/10/20 06:56

 9月25日の<等々力短信>『R.S.ヴィラセニョール』のまくらに、ハーフの アナウンサーやタレントが多くなったと書いた。 そして、国山ハセン、ホラ ン千秋、滝川クリステル、葉山エレーヌ、加藤シルビア、政井マヤ、ローラ、 ベッキー、トリンドル玲奈。 スポーツでも、高安、御嶽海、ダルビッシュ有、 オコエ瑠偉、山崎康晃、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウン。 そんな名前を挙 げた。 これを見て、DeNAの抑え投手、山崎康晃はどことのハーフですか、 と聞かれた。 彼の母はフィリピンだそうだ。 そういえば、DeNAでクライ マックス・シリーズのファースト・ステージ、阪神との第2戦の7回に桑原か ら代打でスリーランを打ち、昨日のファイナル・ステージ広島戦でも5回二死 満塁に代打で2点タイムリーを打った「ラッキーボーイ」乙坂智は、印象的な 顔をしているが、父がアメリカ人だという。

 そこで、上の短信を書いた時に、興味本位で調べた親の国を書いておく。 国 山ハセン…父・イラク、ホラン千秋…父・アイルランド、滝川クリステル…父・ フランス、葉山エレーヌ…母・フランス、加藤シルビア…母・ポーランド、政 井マヤ…父・メキシコ(スペイン系)、ローラ…父・バングラデシュ・母…日 本とロシアのクォーター、ベッキー…父・イギリス、トリンドル玲奈…父・オ ーストリア(ドイツ系)。 高安…母フィリピン、御嶽海…母フィリピン、ダ ルビッシュ有…父・イラン、オコエ瑠偉…父・ナイジェリア、ケンブリッジ飛 鳥…父・ジャマイカ、サニブラウン・アブデル・ハキーム…父・ガーナ。

 それ以外でも、多彩だ。 市川紗椰…父・チェロキー族の血を引くアメリカ、 春香クリスティーン…母・スイス(ドイツ系)、山内あゆ…父・ベトナム、山 本モナ…父・ノルウェー、シェリー…父・アメリカ(イタリア(シチリア)系)、 森泉・星(ひかり)…母・アメリカ(イタリア系)、藤田ニコル…父・ポーラ ンドとロシアのハーフ、中条あやみ…父・イギリス。 ディーン元気(やり投 げ)…父・イギリス、九里亜蓮(広島カープ)…父・アメリカ、松島幸太郎(ラ グビー)…父・ジンバブエ。

 閑人でないと、こういうことはできない。 と、思ったら、昨日19日の夕 刊から朝日新聞で「フィリピン花嫁をたどって」という連載コラムが始まった。

福澤諭吉協会の先生方のご恩2017/09/26 07:15

 21日から23日に書いた福澤諭吉協会の土曜セミナー、加藤三明さんの「キ ングス・コレッジ・スクールからキングス・コレッジ・スクールへ――幼稚舎、 横浜初等部とイギリスとの交流」だが、拝聴しながらいろいろなことを思い出 した。 加藤三明さんが、中山理先生、清岡暎一先生、土橋俊一先生、桑原三 郎先生、山口一夫先生、中川眞弥先生に、数多の励ましを受けたという話をさ れた。 実は私も、30代の前半から一番若い方のメンバーとして福澤諭吉協会 に参加していた。 当時から始め、来月1100号を迎える「等々力短信」につ いて、富田正文先生、土橋俊一先生、桑原三郎先生、山口一夫先生、中川眞弥 先生、西川俊作先生、飯田鼎先生、服部禮次郎さんから、数々のお手紙や励ま しを頂いたことが、今日までの「継続」の原動力の一つになったのであった。

 加藤三明さんが福澤諭吉協会の旅行で、清岡暎一先生と同室になった話では、 私も紀州か徳島への旅行で西川俊作先生と同室になった緊張を思い出した。  私は小尾恵一郎先生のゼミの出身なので、西川先生と小尾先生が同じような研 究をして、親しかったことを知っていた。 西川先生は、気さくに小尾先生の 想い出などを話して下さった。 私が江戸川区小松川でやっていた家業のガラ ス工場を畳んだ話をすると、西川先生も平井で呉服屋さんを畳んだことがある とか言われたので、救われた思いがした。 西川先生が墨田川高校(?)の頃 から野球、後に草野球をやっておられたとは想像もしていなかった、折から日 本シリーズのシーズンで、二人でテレビを見たのだった。

 とりわけ土橋俊一先生と、桑原三郎先生には、「等々力短信」に感想のお手紙 を、沢山に頂戴した。 土橋俊一先生が病気をなさってからの、先生が左手、 本字で書かれたお手紙は、特に心に沁みた。 加藤三明さんは時間の関係で、 桑原三郎先生とイギリスの関係に、言及されなかったのだろうが、幼稚舎とイ ギリスの交流には、桑原三郎先生の存在が大きかったのではないだろうか。 桑 原先生は、1965(昭和40)年慶應義塾から派遣され一年間、英国の公的な国 際文化交流機関British Council のVisitorとして英国に留学し、『イギリスの 義務教育』(慶應通信・1970年)をまとめた。 ウィルバート・オードリーの 絵本『きかんしゃトーマス』を、最初に『汽車のえほん』(ポプラ社)として翻 訳したのは、桑原先生と清水周裕慶應義塾大学名誉教授だった。 清水周裕教 授が幼稚舎で7年間、英語を教えていたこともあったのは、先頃、桑原・清水 両先生の『汽車のえほん』翻訳の真相・補遺<小人閑居日記 2017.7.29.>に 書いた。

 山内慶太さんが、キングス・コレッジ病院やキングス・コレッジ・スクール を見学した話は、交詢社が建替え中で日本橋の三井本館に間借りしていた2002 年3月30日(協会HPは20日になっているが)の福澤諭吉協会の土曜セミナ ー「福沢諭吉の見たロンドンの医療―新発見資料を中心に」や、2008年5月 17日「あるびよんくらぶ」英国文化研究会主催の慶應義塾創立150年記念セミ ナー「英国に学ぶ」という連続講演会で「福澤先生の英国体験」というのを聴 いていた。 <小人閑居日記>に書いていたので、明日紹介したい。

『R.S.ヴィラセニョール』<等々力短信 第1099号 2017.9.25.>2017/09/25 07:01

 夕方TBSテレビのニュース番組「Nスタ」を見ていると、井上貴博アナの左 右に国山ハセン、ホラン千秋が並んでいる。 ハーフのアナウンサーやタレン トが多くなったなと思う。 滝川クリステル、葉山エレーヌ、加藤シルビア、 政井マヤ、ローラ、ベッキー、トリンドル玲奈。 スポーツでも、高安、御嶽 海、ダルビッシュ有、オコエ瑠偉、山崎康晃、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウ ン。 昔は混血と言っていたが、あまり聞かなくなったのは、差別語の匂いが するからなのだろうか。 百科事典で「混血」「混血児」を見たら、「雑種強勢 という点からみれば、混血児は両親のそれぞれすぐれた形質を受ける可能性が 強い」とあった。 近代の西欧諸国の植民地支配が世界的に拡大した結果、白 人と黒人の間のムラート、白人とインディオの間のメスティソ、白人とインド 人の間のユーラシアン、西インド諸島のクレオールなどが生じた、ともあった。

 乙川優三郎さんの『R.S.ヴィラセニョール』(新潮社)の主人公レイは、メス ティソ(混血)だった。 母は市東(しとう)君枝、父リオはイロカノ族のフ ィリピン人だ。 リオは母や弟妹を養うためにダンサーとして日本に来て、ホ テル経営者の娘君枝と知り合って結婚した。 レイは、東京月島で育ち、大学 で染色の技法を学び、新宿区中井の江戸更紗の老舗に勤めた後、千葉の御宿海 岸に型染めの工房を持った。 美しい色と形を求めて、図案の発想も色彩も自 由になる、型染めと手描きを組み合わせ、いつか日本人が驚くような日本を染 めてみせるのだと思うのは、父の血かもしれなかった。

 御宿で草木染をしているロベルトと知り合った。 彼もメキシコから母の国 にやって来たメスティソで、日本の色を染めて、染織家や組紐屋へ納めている。  二人は互いに協力するようになり、レイはロベルトの染液で染めた真紅の羽尺 (羽織になるほどの反物、約9m)「母国」を工芸展に出品する。 売り込みを した銀座の老舗呉服店からも、レイの図案の試作を頼まれた。 そんな時期に、 大腸癌を抗癌剤治療中の父のリオが、半月のフィリピンへの帰郷を言い出す。  父は危険だからと母を一度も故郷へ連れて行ったことがなく、今回もそうだっ た。 父は体調を崩し、予定より早く帰国した。

 レイは工芸展で受賞。 死の近い父が、また故郷へ行きたがる。 リオのお かげで弁護士になった弟のフェルが来日、レイに重大な秘密を打ち明ける。 新 聞記者だった兄弟の父親は、マルコスの不正を追及し、妻を誘拐されて新聞社 を辞めたが、マルコスが大統領になって戒厳令を布くと、警察軍に連行され、 虐殺された。 一家の目的は復讐にあった。 私は、この真紅の本で初めて、 フィリピン現代史、アメリカとの関係、マルコスの利権と国家権力の掌握、暗 黒恐怖政治の実態を知ったのだった。

過去のブログの見方2017/09/16 07:16

 ある方に、「古いブログを読むには、どうすれば良いのですか?」と、訊かれ た。 そうか、自分では慣れていて、何も考えずにやっている。 ブログには 過去の題目と日付だけをたくさん出して、平気な顔をしていた。 ブログの右 欄外の説明も初期に書いたままで、親切に説明して来なくて申し訳なかったな、 と思った。

 その方には、こう説明した。

「ベオグラードに響いた信時潔の「塾歌」<小人閑居日記 2012. 6. 18.> のような古いブログを読むには、私のブログ 「轟亭の小人閑居日記」URL : http://kbaba.asablo.jp/blog を開け、右欄外の「バックナンバー」の一番下の << をクリックして、2012 年の6月をクリックすると、右欄外の「カレンダー」が2012年6月になりま す。 その18日をクリックすれば、読みたいブログが出ます。」と。

 なお、ブログを開けるのには、「轟亭の小人閑居日記」や「馬場紘二」(「紘」 の字は、「ひろこ」で検索すると出る)で、検索しても出る。

 ブログ「轟亭の小人閑居日記 馬場紘二」の右欄外の説明も、「過去のブログ の見方」として、こう書き直した。

〈過去のブログの見方〉 バックナンバーの一番下の〈〈 をクリックして出る、読みたい年月をクリック すると、その月のカレンダーになるので、読みたい日をクリックして下さい。

 と、いうわけで、わからないことがあったら、遠慮なくお尋ね下さい。 前に、こんなのを読んだけれど、何月何日だったかというのは、「カテゴリー」 の「索引」を見てみて下さい。

「ドーヴァーの白い壁」2017/09/14 06:59

 沼田篤良さんに、昨日のブログ「絵画展からイギリス王室の歴史へ」を読ん でもらって、いろいろなことを教えて頂いたので、補足したい。 ウィリアム 4世とキャメロン首相の関係を説明した出品作は、私に記憶がないのもそのは ずで、Bushy House ではなく、私も「崖」と書いていた「ドーヴァーの白い 壁」だったそうだ。 イギリスを象徴するものだったのだろう。

 そういえば、以前沼田さんから、こんな話を聞いていた。 沼田さんのパリ 駐在中にユーロトンネルが出来て、史上初めてイギリスは大陸と繋がってしま った。 開通の儀式を見ていて、英仏首脳の表情には興味深いものがあったと いう。 ミッテラン大統領は「やった!」と言う表情で「ついにブリテン島を 大陸に繋げたぞ!」と言わんばかりだったのに、エリザベス女王は「大陸に繋 がってしまったか」と言う浮かぬ顔だった。 歴史を紐解けば、トンネルを掘 ってイギリスを大陸に繋げて仕舞おうと、初めてトンネルを掘ったのはナポレ オンだった。 ヨーロッパの歴史の中で、ドーヴァー海峡が無ければイギリス 等と言う国は、とうに無くなっているだろう。 いや、そもそもイギリスと言 う国は出来なかっただろうし、海峡が無ければ第二次大戦でドイツにやられて いただろう、と。

 そこで、沼田さんによれば、ジョージ3世は、イギリス王室史の中では愛妾 を持たなかった稀有なる王だったという。 ドイツのメクレンバーグ・ストレ リッツ家のシャルロット・ストレリッツを娶り、彼女を愛して9男6女をもう けた。 このジョージ3世の治世には、アメリカの独立戦争とフランス革命が あったから、その時期のイギリスを導いた優れたキングであったようだ。 ジ ョージ3世の愛したシャルロット・ストレリッツの名前は、当時アフリカ喜望 峰で発見された新種の花「ストレリッツィア」にも受け継がれた。 わが国で は「ストレリチア」、「極楽鳥花」と呼ばれている花である。

 ジョージ4世が王位を継ぐけれど、放蕩の果てに死んだ時、「夫として、父 として、王として最悪の人だった」と"タイム"が書いたほど、史上最悪の酷い キングだったそうだ。 その後を継いだのがウィリアム4世、海軍に入り、父 ジョージ3世の「王族だから特別扱いしないよう」との命令で教育を受け、ネ ルソン提督に仕えるなど、実戦経験もへてSailor Kingと呼ばれる程イギリス 海軍に馴染み、お供も連れずロンドン市内を歩き回る私生活の中で婚姻も無い ままアイルランドの女優Dorothy Jordanとの生活を長く続けて居た。 兄王 の死により王室の慣習の中でウィリアムは新たな王妃と結婚し、ジョーダンの 家系にはFitzclarenceと言う貴族の家系が与えられ、それがキャメロン首相の 血筋となったわけだという。

 沼田さんは、イギリス王室の話はどの王朝も面白く、ジョージ3世のハノー バー朝も興味深いと言う。 現代のウィリアム王子が生まれた子供にジョージ、 シャルロット等の名前付けたのを見ると、ウィリアム王子の目はこのあたりの 御先祖を見ている様にも見えるそうだ。