茂右衛門の伊藤若冲、町年寄となる ― 2025/07/09 07:08
ここで伊藤若冲についての、事実関係と年代を確認してみたい。 「ウイキペディア」には、「齢40となった1755年(宝暦5年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宗巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する(当時、40歳は「初老」であった)。1758年(宝暦8年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌59年10月、鹿苑寺大書院障壁画を制作、1764年(明和2年)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進する。このとき若冲は死後のことを考えて、屋敷一箇所を高倉四条上ル問屋町に譲渡し、その代わり、問屋町が若冲の命日に供養料として青銅3貫文を相国寺に納めるよう契約した」とある。
「ウイキペディア」は、その後、「町年寄若冲の活躍―錦市場をめぐって―」として、この一件を大きく取り上げている。 それは、「隠居後の若冲は、作画三昧の日々を送っていたと見るのが長年の定説であった。ところが、1771年(明和8年)、枡屋があった中魚町の隣にある帯屋町の町年寄を勤めるなど、隠居後も町政に関わりを持っており、更に錦高倉市場の危機に際して市場再開に奔走していた事が分かった。」と始まり、最終的に1774年(安永4年)に解決するまで、「確実にこの時期に描かれたことが解る作品は殆ど無い」とした。
澤田瞳子さんの『若冲』に戻ろう。 お志乃が、三兄の新三郎の見舞いに行った時、当主の次兄・幸之助が二人だけになって、縁談の相談を持ち掛けた。 相手は五条問屋町の明石屋半次郎、同業、年は三十、後妻を探しているという。 五条問屋町は天正年間に開設された常設蔬菜市場の一つ。 錦魚市場に付属する形で発生した錦高倉市場より歴史が古く、奉行所から得た定札を楯に、独自の株制度を敷いていた。 明石屋は、代々町年寄を仰せつかるほどのお店だという。 お志乃は、縁づく気など、さらさらない、と答えた。
『動植綵絵』を相国寺に寄進して六年が経った。 師走の二十日、若冲のところに、内裏の口向役人(勘定方)の関目貢が訪ねてきて、明年二月末期日の二曲一双の屏風絵を頼みたいと言う。 若冲が、いま仕事が詰んでいるので、四条麩屋町の円山応挙に頼んだらというと、関目は今回は少々違った趣向の絵を望んでいるので、こうなると若冲の贋作作りを得意としている市川君圭に頼むしかないか、と言う。 若冲は、頭をがつんと殴られた気がした、(弁蔵……あいつ、京にいてたんか)。
関目を弟子の若演に見送らせると、血相を変えたお志乃が飛び込んで来た。 鉄漿(かね)に光る歯をのぞかせ、「あ、兄さん、大変どす。うちの人がえらいことを……」と、堰を切ったように泣き伏した。 明石屋半次郎を筆頭とする五条問屋町の店々が、東奉行所に官許を持たぬ錦高倉市場の営業差し止めを求める願い書を提出したのだ。 認可を受けた際の書き付けは、六十年前の宝永の火事で焼失していて、証拠がない。
噂が広がると、錦市場の客足は激減、悲観的な気配が西魚屋町・中魚屋町・貝屋町・帯屋町の四町に漂い始めた。 沢治屋伝兵衛が茂右衛門に帯屋町の町年寄になってくれと頼みに来た。 相手は禁裏や大寺御用の威光を笠に着て、ありとあらゆる所に布石を打っている。 それに対抗するには、相国寺などの寺社仏閣に縁故のある絵師伊藤若冲の協力が必要だというのだった。 別に、明石屋半次郎が、四町を裏切れば錦市場がなくなった後も枡源だけは商売できるようにしようと言って来たのは、断然拒絶、お志乃はこのままこっちに引き取ると言い渡す。 しかし、茂右衛門が町年寄を引き受けて、町役たちと連日鳩首しても、良策は何一つ浮かんでこない。
盆を過ぎ、神経をすり減らしたのか、茂右衛門は三貫目も痩せ、若演に言われて源洲に診てもらうと、ただの疲労、心労との結論だった。 源洲が引き合わせたい人がいるという。 源洲は河内樟葉村の出、そこの郷士の次男坊が江戸で幕府財政を一手に掌握する勘定所の下役、勘定役になっている。 幕領の租税徴収や訴訟など多くの事業に携わる彼らは、この国の根幹を支える有能な官吏であった。 ことに三年前に老中役となった相良城主・田沼意次は、悪化する財政を立て直すべく、多くの勘定役を重用、彼らの献案を元に、株仲間の奨励や拝借金制限など数々の改革を断行している。 近年は全国の年貢米が集まる大坂の商人相手に、大鉈を振るっているそうだ。 源洲の知っている中井清太夫、三十一歳も、そんな老中の意を受けて来坂しているだろう。 姪が嫁いでいるので、時折京にも来る、一度相談だけでもしてはどうか、というのだった。 源洲の提案を、沢治屋伝兵衛ら町役に伝えると、さっそく頼みたいということになる。
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