錦高倉市場の危機を解決する ― 2025/07/10 07:06
十日後、源洲の案内で錦高倉の会所にやってきた中井清太夫、風貌は貧弱だったが、一通り話を聞くと、「分かりました」と妙に断定的な口調でうなずいた。 奉行所は両者の冥加銀の申し出に関し、賄賂と受け止めて躊躇し、煮え切らぬ事態になり、長引いているのではないか。 この蔬菜出荷者の一覧に壬生村があるが、ここにはご公儀の蔵がある。 この村から代官所に、市で作物が売れねば収入が減り、年貢が納められぬと愁訴させたらどうか、ご公儀には市の難儀より年貢の方がはるかに大事だから、と。 この迅速な決断に、若冲たちは顔を見合わせた。 これまで市側の苦衷を訴えるのに精一杯で、出荷者である百姓から働きかけるなど、まったく思いもよらなかったからだ。
壬生村の庄屋は承知し、請願は多いほうがよいと、洛南の村はもとより、洛東三村にも呼びかけ錦高倉市場存続を出訴した。 代官所は、錦高倉と取引のない洛東三村からの上訴を却下、そればかりか出訴した各村の惣代が呼び出され、糾問が行なわれる事態になった。 その裏には、錦高倉の動きを察知した五条問屋町の、特に明石屋半次郎の働きかけがあったと知れた。 また親戚の半次郎か、若冲は町年寄を辞し、平の身で動くことにした。 中井は、実際に取引のある七村だけで願書を再提出するように指示してきた。
解決しないまま春となり、大坂で多忙な中井に言われ同役の若林市左衛門がやってきて、もともとの冥加銀の額が間違っていた、百姓から受け取っていた店賃の一部も上乗せして上納すると申し立てろと言う。 そうすれば、表向きは何の不自然もなく、五条問屋町の銀三十枚を上回る冥加銀が納められる。 銀三十五枚で、公認の市場とのお墨付きの裁可が下りた。 錦高倉の町役たちは大変喜んで若林に感謝したが、若林は実は中井の案だったと明かした。
お志乃が隠居所に飛び込んで来た日からほぼ二年、絵筆を放りっぱなしの年月だった。 引き受けていた仕事は皆断ったが、中にはどれだけ先になっても待つという奇特な客もいる。 騒動に片がついたら、一日も早く仕事に戻らねばなるまい。 そういえば、関目さまは結局、君圭に絵を描かせはったんやろか。 あまりに長期間絵から離れていたため、以前の勘がすぐに戻るか、甚だ心もとない。 だがそれでも君圭の絵を目にすれば、心の底に埋もれていた熾火がかっと燃え立とう。
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