「卯の花腐し」と「薔薇」の句会 ― 2025/05/13 06:54
灯点らぬ家の卯の花腐しかな
ゴミ屋敷垣は卯の花腐しかな
豆腐屋への路地卯の花くだしかな
過ぎたるは古マンションの薔薇の門
洋館の窓に麗人バラの園
王様に嫁ぎピンクの薔薇となり
バラの庭開きて主鼻高高
私が選句したのは、つぎの七句。
卯の花腐し上り框で足袋を脱ぎ 千草
墓了ひの話卯の花腐しかな 照男
薔薇のやうな女(ヒト)でありしよ幼なより 英
風に佇てば薔薇の香りの通ひ来る 和子
人集り薔薇は紅色名はアイコ 真智子
薔薇えりて十一本をつつましむ 盛夫
ジプシーや一本の薔薇咥へたり 庸夫
英主宰は、選評にあたり、最近「コスパ」だの「タイパ」、タイム・パフォーマンスとか言うけれど、「タイパ」から一番遠いのが、俳句会。 今日も、「薔薇」という字をいくつ書いただろう、「薔薇」を何個書いても腹が立たない、「薔薇」が書けるようになる、無駄な時間のようだが、披講で同じ句が何度も耳に入ることで、どういう句がいい句なのか、身につくことになる。 字を覚える、長時間で楽しむのが、句会なのだ、と。
私の結果。 <灯点らぬ家の卯の花腐しかな>を英主宰と照男さんが、<豆腐屋への路地卯の花くだしかな>を耕一さんが、<過ぎたるは古マンションの薔薇の門>を英主宰が採ってくれた。 互選段階でたった2票だったが、主宰選に2句が入って、なんとか救われた。
主宰の選評。 <灯点らぬ家の卯の花腐しかな>…しんみりした句、ずっと空き家になっているようで、夜になっても灯が点らない、喪うものが迫って来る。寂しさ、不安、つらさを感じる。 <過ぎたるは古マンションの薔薇の門>…「過ぎたるは」という言葉、かつての豪華マンション、20年から40年経って、古色蒼然となり、アーチだけは薔薇のアーチがある、長いスパンの時代を見せてくれる。
知らなかった言葉や読めなかった字 ― 2025/05/12 07:07
くだかけを春立つ空に放ちけり
「立春当日、小金井の貫井神社を歩いていたら、男の人が、にわとりを空に向かって何度も放っていました。何故やっているのかは聞きませんでしたが、不思議な出来事なので、この句が生まれました。」 句集『くだかけ』を頂いた時、私は「くだかけ」が分からず「朝早く鳴く鶏をののしって言う語だという」と書いていた。 今回ネットを検索したら、「ニワトリの古名」と出た。
近江牛食べたや水の澄める日は
「おかずで一番好きなのは「牛肉」です。ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶなど何でも好きです。神戸に勤務した時には取引先の牛肉屋で肉を安く分けてもらい土産に持ち帰りました。サ高住の今は牛肉はめったにお目にかかれません。」 「サ高住」は、サービス付き高齢者住宅。
翻車魚を食らへば梅雨の海荒るる
「沖縄で翻車魚を食べたことがあります。味は覚えていませんが感激するようなことはありませんでした。あんな可愛い形の魚を食べてはいけないと思います。海が怒るのも無理はないと感じます。」 翻車魚は「まんぼう」。
こぼるるも垂るるも水に榛の花
「何故か榛の花がやたらに好きです。神代植物公園に水生植物園があり、その一樹を私の榛の木と決めています。花は冬には下がり始め、春には落ちます。水辺を好む木ですから、水に落ちる花も沢山あります。」 榛の花は、「はんのはな」、ハシバミ。
初山河羈旅への思ひ新たなり
「この句集『羈旅』を出版した平成の頃は毎月のように国の内外を歩いていました。今は透析で旅もままならぬようになり、あの頃しっかり歩けたことは本当に有難かったとしみじみ思っています。」 「羈旅」は「きりょ」、「たび。旅行。また、旅人。」「和歌・俳句の部立(ぶたて)。旅に関する感想を詠じたもの。」
花を仰ぎ一日は我も飫肥城主
「飫肥には三度行きました。宮崎句会の皆さんと「花」の盛りにも行きました。城主の部屋があり、ご自由にお座りくださいとあったので、脇息に凭れてひと時の城主気分を味わいました。」 飫肥は、「おび」。 「宮崎県南東部、日南市の中心地区。もと飫肥藩伊東氏五万石の城下町。」
金堂の磚のゆるびや冬日差
「京都の常照皇寺です。ここの金堂の床が不安定で、訪ねるたびに少し歩きにくいように感じます。寺の奥には北朝初代の光厳天皇の陵墓もあります。毎回お参りしていましたが、参拝者は少ないようでした。」 磚は「せん」、中国で煉瓦のこと、土を焼いて方形または長方形の平板とし、敷瓦・壁体化粧材などに使用。日本では主に飛鳥・奈良時代に敷瓦として使われた。
『自句自解 名和未知男の百五十句』 ― 2025/05/11 07:24
句集『羈旅(きりょ)』もある名和未知男さんは、世界中をよく旅をした方である。 その句と、自解は、こうなる。
慶州にキムチ嫌ひが悴める
「三十数か国を歩き中国のように十数回も訪ねたところもありますが、隣国の韓国は一度しか旅をしていません。ニンニクが嫌いなのも一因です。しかし慶州の仏像と王墓だけは見たくて出かけました。美しい仏様でした。」
雪嶺の泣けとばかりに晴れわたる
「二十代、三十代はさかんに山に登りました。北アルプスの主要な山は踏んでいます。ある時期から高山は眺めるだけの存在になりました。遠い雪の稜線を眺めるたびに、昔を思い出し泣きたくなります。」
亀鳴くや名のみ残して日吉館
「奈良の博物館の前に「日吉館」がありました。大学生の頃に知り数知れずお世話になりました。仏像などのファンが集まる宿で、大学の大先生の話などを横で聞くことも出来ました。後年「日吉館のおばさんに感謝する会」にも入会しました。葬儀には行けず――。」
文月や般若心経うろ覚え
「小学六年生時に金沢に集団疎開をしました。名刹大乗寺です。毎朝「般若心経」を唱え、歴代天皇の名前を暗唱しました。それから八十年、般若心経はテキストがないと唱えられなくなりました。天皇の名前も二十数人しか思い出せません。」
草矢打つ生死不明の友思ひ
「小中高大と学友は沢山いますが、一番会いたいのは集団疎開に一緒に行った大阪の小学仲間四十数人です。学校が戦災に遭い、再建されなかったのと私が転居したので連絡が取れなくなりました。後年大阪勤務時に懸命に探したのですが、一人も見つかりませんでした。」
春雷の怪しく起こり百閒忌
「内田百閒、安藤鶴夫、福原麟太郎の三人が私の文章の先生です。勿論全集も持っています。よく読んだという意味では百閒さんが第一です。『阿呆列車』などは何度読んでも飽きることがありません。『贋作吾輩は猫である』もお勧めです。」
惜春やダークダックス同世代
「ダークダックスの四人はゾウさんとゲタさんが上級、マンガさんは同級、パクさんは一年下でした(マンガさんだけは一度会いました)。まさに同世代です。それだけに四人には常に親近感を抱いていました。」
酒井抱一、風雅に遊ぶ自由を得る方法<等々力短信 第1190号 2025(令和7).4.25.> ― 2025/04/25 07:20
酒井抱一、風雅に遊ぶ自由を得る方法<等々力短信 第1190号 2025(令和7).4.25.>
大岡信編『日本の色』朝日選書139(1979・朝日新聞社)に、丸谷才一さんの「花野」という酒井抱一を書いた一文があった。 丸谷さんの生家に、抱一という落款の枕屏風があった。 銀地に秋草を描いた、というと豪勢なものに聞こえるが、これがニセモノだということは、幼い丸谷さんにも判ったし、父上も同意見で値段の割には楽しめるじゃないかと言っていたという。 丸谷さんは、抱一が好きなのはもちろん、その絵と発句が気に入っているためだが、もう一つ伝記的興味もあるという。
酒井抱一は、姫路の殿様の第二子として生まれながら、武士であることを見事に避けてしまった男なのである。 その逃げ方はすこぶる念が入っていて、というよりもむしろ仰々しくて、何もこんなに凝らなくたっていいのにという気がするくらいだ。 彼は寛政5(1793)年、37歳の年、病気のため西本願寺の徒弟となって京都に住みたいと願い出た。 酒井家ではこれを許し、千石五十人扶持を給することになる。 10月18日、折から江戸に下っていた西本願寺文如上人によって得度、権大僧都に任ぜられる。 そのときの句。 <遯(のが)れ入る山ありのみの天窓(あたま)かな> 季語は、ありの実、まるめた頭(つむり)を梨に見立てたわけだ。
11月3日、京へ向けて出発、抱一自筆の日記に「霜月三日、其爪、古櫟、紫霓、雁々、晩器などうちつれて花洛の旅におもむく」とあるから、京に住まう気は最初からなく、要するに俳諧仲間を引き連れての京見物だったにちがいない。 <布団着て寝て見る山や東山>、<島原のさらばさらばや霜の声>は、このときに成ったもの。
京にあることわずか12日。 12月14日、江戸に帰って、<鯛の名もとし白河の旅寝哉>などと呑気に吟じるあたり、すべては自由の身になる計略だったと断じて差し支えないようだ。 以後、「前権大僧都」は文晁、鵬斎と並んで江戸の文人を牛耳り、勝手気儘な晩年を送ったのである。 句集『屠龍之技』の序は亀田鵬斎、跋は大田南畝である。 ここはやはり、もって文界における抱一の勢威と名望を知るべきであろう。
なお、当時の文人の常として吉原通いにせっせと励んだし、それに千石五十人扶持は相変わらずついてまわった上に、画料も入ったろうから、「隠君」の遊びはすこぶる景気のいいものだったらしい。 得度以前の、<湯豆腐のあわただしさよ今朝の霜>、<寝やと言ふ禿まだねずけふの月>も、得度以後の、<ほととぎす猪牙の布団の朝じめり>、<市分けてもの言ふ花やをみなへし>、<傾城のふくさ捌きや大晦日>も、すべてこういう粋な研鑽の賜物にほかならない。 彼は逃避を一個の芸術品と化した、旦那芸の最上のものと言って差支えないであろう、と丸谷才一さんは締めている。
「花祭」と「春愁」の句会 ― 2025/04/17 07:15
稚児の曳く象がたがたと花祭
園長が一人張り切る花祭
知に信を置かぬ人ゐて春愁ひ
春愁や贔屓チームのまた負けて
氷山の消えて白熊春愁ひ
唐突の転勤辞令春愁ひ
郵便の配達減りて春愁ひ
私が選句したのは、つぎの七句。
奥武蔵山気降り来ぬ仏生会 照男
御詠歌のもるる灌仏日和かな 作子
花祭五色の幡のひるがへり 裕子
春愁のなかなか暮れぬ窓辺かな 礼子
御仏の眉間に宿す春うれひ 美保
春愁や残業嵩む部下のゐて 祐之
春愁やふらつと一人湖西線 作子
私の結果は、<稚児の曳く象がたがたと花祭>を和子さん、照男さん、さえさん、正紀さん、そして英主宰が、<唐突の転勤辞令春愁ひ>を千草さんが採ってくれた。 主宰選1句、互選5票の計6票だった。 まずまずというところか。 英主宰の<稚児の曳く象がたがたと花祭>の選評は、賛同者の多かった句、恰好の良くない現実に、写生の目が行き届いている、と。
英主宰は、「春愁」という季題について、難しい、わけのわからない憂鬱な気分、得体の知れない憂い、不快感、と。 私も選句した<春愁のなかなか暮れぬ窓辺かな 礼子>を、こういうのが「春愁」、原因がない方がいい、微妙さが面白い、と。
なお、私の句の<氷山の消えて白熊春愁ひ>だが、少し前にX(旧ツイッター)で白熊が岩山の上に背中を見せて座っていて、前に広がる海と前方の岩山を眺めている“I can remember all this was ice”というNature is Amazing(@AMAZINGNATURE)さんの投稿があった。 その背中が哀愁に満ちていたのを面白く思いLINEの仲間に拡散したのだった。 地球温暖化の対策に各国の協調が必要なのに、<知に信を置かぬ人ゐて春愁ひ>は、誰でしょうか? 大きな問題を、敢て俳句にしたつもりだったけれど。
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