令和七年『夏潮』「雑詠」掲載句2026/01/01 07:59

明けましておめでとうございます。 12月30日の全国高校ラグビー二回戦、慶應志木高は31対17で鹿児島実業に快勝して、まことに目出度く年を越した。 今日11時55分キックオフで、何度も優勝した東福岡高校と対戦する。 初出場でジャイアントキリングなるか、期待したい。

元日の恒例になった昨年の『夏潮』「雑詠」掲載句を、お笑い草にご覧に入れることにします。

    一月号
老い二人言葉なくとも衣被
一瞬の摩周の湖面霧晴れて
よれよれの朝顔植ゑ手に然も似たり
    二月号
冷まじや月に浮かべる石舞台
冷まじや夕闇迫る古墳群
冷まじや村の外れの土葬墓地
   三月号
炭住のがたぴし窓に厚目貼
枕許目貼してありスキー宿
曲家の北窓目貼馬眠る
   四月号
北風や北へ向ひて坂登る
「戦争と平和」の平和ペチカかな
白秋の恋もペチカも燃えてをり
   五月号
初仕事出掛ける靴の重さかな
振袖でモニター睨む初仕事
   六月号
寒見舞メメント・モリをつきつける
土佐文旦南国の春運んで来
   七月号
一冬を越すこと得たり春障子
ひろしさん明雀さんよ春障子
厩出し目映い原へ驀地(マッシグラ)
   八月号
稚児の曳く象がたがたと花祭
園長が一人張り切る花祭
知に信を置かぬ人ゐて春愁ひ
   九月号
葉桜からたちまち桜繁りをり
灯点らぬ家の卯の花腐しかな
過ぎたるは古マンションの薔薇の門
   十月号
ゴミ出しや紫陽花日毎丸くなり
夏服の街頭写真父若し
夏服や君等の臍に脅かされ
   十一月号
駒草やたちまちガスに包まれて
駒草やコーヒー淹れて小休止
   十二月号
体温と同じ気温に日傘かな
温暖化異論封ずる暑さかな

「ポインセチア」と「虎落笛(もがりぶえ)」の句会2025/12/18 07:03

ポインセチア貧しき部屋に赤灯す
 11日は『夏潮』渋谷句会だった。 兼題は「ポインセチア」と「虎落笛(もがりぶえ)」、「虎落笛」は、冬の烈風が柵・竹垣などに吹きつけて、笛のような音を発するのをいう。 私は、つぎの七句を出した。

漱石の胃病見舞や猩々木
ポインセチアライトアップの丸の内
ポインセチア貧しき部屋に赤灯す
中天の月は尖りて虎落笛
引越の日を忘られぬ虎落笛
虎落笛やつて来た来た寒太郎
外階段手摺冷たし虎落笛

 私が選句したのは、つぎの七句。
ポインセチア弥撒待つ静寂白ベール    照夫
待ち人来たらずポインセチアの夜      和子
昏れてなほ帰港せぬあり虎落笛      英
老猫の寝息不規則虎落笛          耕一
虎落笛日本海背に良寛堂          作子
仮眠所のベッドの小さき虎落笛       耕一
菅浦の四足門抜け虎落笛          作子

 私の結果。 <漱石の胃病見舞や猩々木>を英主宰と耕一さんが、<中天の月は尖りて虎落笛>を伸子さんとさえさんが採ってくれた。 主宰選1句、互選3票、計4票と、相変わらずの鳴かず飛ばずであった。

 <漱石の胃病見舞や猩々木>だが、歳時記の「ポインセチア」に「猩々木」という傍題があって、思い出したことがあった。 漱石の手紙に、漱石が胃腸病院に入院している時、見舞に猩々木をもらったという話があったのを、記憶していたからだ。 『漱石全集』第十七巻『索引』で「猩々木」を探すと、『漱石全集』第十五巻『續書簡集』の18頁3行目にあることがわかった。 書簡番号1238、明治43(1910)年大患以後の12月27日(火)午前10時-11時、鈴木三重吉宛書簡。 麹町區内幸町胃腸病院より、千葉縣成田町在押畑鈴木三重吉へ。 「歳晩寒く候田舎は一層と存候病院にて越年珍しく覚え候支那水仙猩々木薔薇など飾り居り候寒梅をかぐ丈の風流も無之候」とあった。 私はおそらく、この手紙を読んで記憶していたのではなく、「ポインセチア」を扱った本かテレビで、この話を知ったのではないかと思われる。

「神在月」の出雲(その3)(その4)2025/11/06 07:07

     「神在月」の出雲(その3)<小人閑居日記 2016.11.14.>

 私は『夏潮』に連載させてもらっていた『季題ばなし』の第16回に「神無月」を取り上げた(平成23(2011)年11月号)。 そこには、こんなことを書いていた。 出雲に来た神々が、「十月晦日、または十一月朔日に出雲から帰られるのを「神還(カミカヘリ)」、お迎えすることを「神迎(カミムカヘ)」という。本来、里に来た田の神が、収穫が終わり山に帰るのを送った祭で、この神去来の信仰が出雲信仰と習合したものといわれている。」

 「大国主命は国作りの神、開拓、五穀の農耕守護神であったが、中世には大黒天信仰と習合、近世以降一般庶民の間では福の神、男女の良縁を取り持つ縁結びの神、平和の神、農耕の神として、全国的に親しまれている。 神話では、高天原を追われた素戔鳴尊(スサノオノミコト)は出雲に降り、八岐大蛇 (ヤマタノオロチ)を退治してこの地方を治め、その裔大国主命はさらに国土を経営したが、天孫降臨の前、その国土を譲れという天照大神の命に応じて政権を離れて隠退したという。かつて弥生時代を、九州を中心とする文化圏と、畿内を中心とする二つの文化圏の対立の時代と見る見方があった。第二次大戦後、瀬戸内海地方など各地で発掘が進み、その主張は難しくなる。一九八四(昭和五十九)年夏、島根県簸川郡斐川町神庭の荒神谷遺跡で弥生時代の銅剣三百五十八本(過去の出土総数を大量に上回る)のほか、銅鐸・銅鉾など多数の青銅器が発掘され、銅鐸が畿内、銅鐸・銅鉾が九州地方に分布するという従来の学説を覆した。そして弥生時代後半に島根県の斐川流域を中心に一定期間続いたとされる出雲王朝の存在に、再び光が当たることとなった。」

 『夏潮』では、私の『季題ばなし』の後、会員で考古学がご専門と聞く石神主水さんが『時を掘る』を連載されている。 その第4回、平成24(2011)年11月号が「神在月」だった。 そこで石神さんは、『日本書紀』が天皇家と国家の歴史を対外的に示す役割を果たしたのに対して、『古事記』には神話の世界をありのまま伝えようという意思が見て取れ、「出雲神話」の存在は『古事記』特有のものだとする。 その記述の多くが『日本書紀』に全く現れて来ない点から、ヤマト王権とは異なる、「滅ぼされた」イズモ「王権」の存在が見え隠れしてくる、というのだ。 日本全国の神社に坐す八百万の神々が「神無月」に、なぜ出雲に集い出雲は「神在月」となるのか。 「日本書紀では、オホクニヌシが作り上げたアシハラノナカツクニ(葦原中国・日本)を、天降りしたニニギ(瓊瓊杵尊)に戦わずして「国譲り」することになります。その折、現世のまつりごと「顕露(あらわに)の事」はニニギが行い、神の世界のこと「神事(かみごと)」はオホクニヌシが行うこととされたため、神々は出雲に集うのです。」という。 上記の斐川町神庭(かんば)荒神谷遺跡の大量の銅剣や銅鐸のほか、一九九六年には雲南市の加茂岩倉遺跡から三十九もの銅鐸が出土した。 また出雲の旧家木幡家所有の銅鐸と佐賀県吉野ヶ里遺跡出土の銅鐸が、同じ鋳型で作成された兄弟銅鐸であることも明らかになった。 石神さんは、こうした考古学的発見からは、弥生時代の九州、山陰地方とのつながりや、日本海域を中軸とした出雲の存在感がいかに高いものであったかを思い知らされるとし、記紀にある「国譲り」の有無は謎のままだが、出雲の力がヤマト王権を脅かすものであったことは確かだろう、とするのだ。

     「神在月」の出雲(その4)<小人閑居日記 2016.11.15.>

 2015年5月放送の『ブラタモリ』「出雲」「出雲はなぜ日本有数の観光地になったか?」では、意外な事実を知った。 出雲大社は、江戸時代まで杵築大社(きづきのおおやしろ)という名で呼ばれ、けして全国的に知られるような神社でなかったというのだ。 今では年間800万人が訪れるという出雲が、にぎやかになったのは250年前頃の江戸時代後半からだそうだ。 60年に一度、遷宮が行われ、修繕されるが、今の本殿は延享元(1744)年の遷宮で建てられた。

 出雲の町の屋根瓦には、大国様の像が見られる。 玉を持つのは大国様、打出の小槌を持ち米俵に立つのは大黒様だという。 国と黒、大国様と大黒様の違いを、知らなかった。 農業神である主神の大国主命(大国様)と、仏教の大黒天(大黒様)とを習合して、一般に農作・福徳・縁結びの神としての出雲大社の信仰を広めたのには、出雲御師(おし)の存在があった。

 蕎麦屋の青木屋に、御師の布教道具なるものがあった。 板木が、「大切」「大切」と書かれた段ボールのカートンに、三箱もあった。 タモリが、長年やっている職人になりきり、湿し十年とか言いながら、その板木で摺ってみる。 「蕎麦預かり」券、蕎麦のクーポン券なのだった。 裏には、その年の大小暦、申(さる)年で猿が大の月と小の月を書いた笹竹をかついでいる絵がある。 参拝客は、それを持って蕎麦を食べに来たのだろう。

 商人街の立派な屋敷の藤間(とうま)家は、廻船問屋だったそうで、18代目の藤間亨さんが、古文書を見せてくれる。 この史料で、「杵築の富籤(くじ)」の実態がわかったという。 売上の三割を大社に納める。 松江藩は財政が厳しく、富籤を許したのだという。 3月と8月に、祭礼が7日間あり、8日目に富籤が行われ、9日目から換金が行われる。 その間、お祭り騒ぎが続くことになる。 出雲や松江藩の人は富籤は買えず、外から来た参拝客だけが買える。 一回の富籤で、今の金額で22億円を売り上げたとか。 参拝客は、ずっと出雲の御師の家(宿坊)に逗留することになるから、お金を落す。 一大観光産業のシステムである。

 明治45(1912)年に鉄道、大社線が通じ、大正13(1924)年に大社駅が出来る。 商店街が二か所に分かれてあったので、出雲大社から2・5キロ離れた所に駅がつくられ、メインストリートが整備された。 この駅舎は重要文化財、(駅舎の重要文化財は、他に二つ、赤煉瓦の東京駅と、門司港駅)。 昭和40(1965)年代には100万人が利用したが、平成2(1990)年に大社線は廃止された。

 10年前には、神門通りはシャッター通りのようになり、3分の2に落ち込んだ。 8年前の平成20(2008)年、「平成の大遷宮」に合わせ、「縁結び」を前面に出して、スイーツの店を展開、若い女性を呼び込んだのが成功し、今や年間800万人の人が出雲を訪れている。

 出雲では、遷宮のたびに、遷宮をきっかけに、町がもう一度、よみがえっているのだ。 それは伊勢神宮でも同じで、近年のおかげ横丁の例を見ればわかる。

レインボーブリッジを歩いて渡る2025/10/19 07:40

 10月5日(日)に第581回の三田あるこう会があって、レインボーブリッジを歩いて渡ってきた。 ゆりかもめ台場駅、10時半の集合。 新橋から久しぶりにゆりかもめに乗ったが、どこへ行くのか、けっこうインバウンドの人が多い。 話題になった丹下健三設計というフジテレビの社屋を見て出発、「自由の炎」像や「自由の女神」像があるのを知らなかった。 27mの「自由の炎」像は、1998年にあった「日本におけるフランス年」を記念してフランスから贈られた。 ニューヨークの7分の1大、11m9トンの「自由の女神」像は、同じ「日本におけるフランス年」事業の一環としてパリの「自由の女神」像が1年間設置されたのが好評だったので、そのレプリカ製造をフランスの許可を得て2000年に常設したもの。 「自由の女神」像には、ニューヨークの「自由の女神」像が、1876年にアメリカ建国100周年を祝してフランス政府がニューヨーク市に贈り、その返礼にパリ在住のアメリカ人たちの組織「アメリカ・パリ会」がフランス革命100周年を記念してパリの「自由の女神」像を寄贈した(1889年に除幕式)という歴史があったという。

 フジテレビ前からお台場学園前までバスに乗り、第三台場(台場公園)横の港区台場1丁目1番地の台場口から、いよいよレインボーブリッジ下層の遊歩道、ゆりかもめと臨港道路の外側のサウスコースを歩きはじめる。 首都高速11号台場線は、上層になる。 自転車で渡る場合は、台車が用意してあって、それに後輪を載せ、牽いて歩く式になっている。 遊歩道は、4月から10月までは9時から21時まで、11月から3月までは10時から18時まで。 レインボーブリッジ自体は長さ798mだが、遊歩道は全長1.7㎞、最初は昇りになり、真ん中の第六台場がよく見えるあたりで、もう大汗。 ヘロヘロになっても、途中でやめるわけにもいかず、幸い下りになったので、芝浦口まで何とか辿り着いた。

 昔、久保田万太郎が宗匠で、渋沢秀雄、徳川夢声、小島政二郎、宮田重雄、戸板康二などがメンバーの「いとう句会」が、お台場に吟行に出かけたことがあった。 帰りがけに、ダジャレの好きな戸板康二さんが、「おだいば見てのお帰り」と言った。 私はその話を思い出し、お台場を見ながら、近くの方に話したのだった。

 芝浦ふ頭駅から汐留駅まで、ゆりかもめに乗り、宮崎駿デザインの日テレ大時計のからくりが1時に動くのを見物して、カレッタ汐留46階の「響」で昼食をした。

「肌寒」と「薄紅葉」の句会2025/10/18 07:33

 10月9日は『夏潮』渋谷句会だった。 兼題は「肌寒」と「薄紅葉」、気候が季題と合わない感じがして、私はようやく何とか、つぎの七句を出した。
肌寒や短パンのままコンビニへ
肌寒やなかなか来ないバスを待つ
安宿の手水に立てば肌寒し
肌寒やトートバッグに葱の束
東福寺通天橋の薄紅葉
薄紅葉閻魔の御堂取り囲み
植木屋の手は行き届き薄紅葉

 私が選句したのは、つぎの七句。
躙り口に入る一膝肌寒し      真智子
肌寒や思はずさする己が腕    なな
肌寒や始発のバスに吾一人    盛夫
薄紅葉に葛の蹂躙ゆるむなく    英
頬ぽつと染めたるほどの薄紅葉  美保
先駆けて櫨のまとへる薄紅葉   幸枝
飾り了へ菊師一礼して去りぬ    作子

 私の結果。 <肌寒や短パンのままコンビニへ>を英主宰、<肌寒やトートバッグに葱の束>を真智子さんと美佐子さん、<植木屋の手は行き届き薄紅葉>を伸子さんが採ってくれて、主宰選1句、互選3票と、ごく薄紅葉の肌寒だった。 拙句への主宰の選評は、勇ましい恰好、最近引越して前は遠かったコンビニがすぐ近くにあるので、ちょいと行くことがある、面白い句。

 私の選んだ句で、主宰選にもあった句の、主宰の選評。 <躙り口に入る一膝肌寒し 真智子>…様子がわかる、茶室の中の張り詰めた晩秋の空気。 <飾り了へ菊師一礼して去りぬ 作子>…なるほど。菊矢来の穏やかで整った様子。