予告編を見ると、また映画館に行きたくなる ― 2012/04/13 03:48
映画を観に行くと、予告編を見て、また観に来たくなるのだが、忘れてしま うこともある。 ロバート・デ・ニーロとモニカ・ベルッチの『昼下がり、ロ ーマの恋』も、そうだった。 先日、家内の友人(子供の学校の母親同士)が、 『昼下がり、ローマの恋』を観た。 ベッド・シーンの多さに辟易して、映画 館を出ると、前を、杖をついたお爺さんが歩いていた。 腰の曲がり方が半端 じゃなくて、ほとんど直角のお爺さんが、これからどうするのだろう、と思っ た、という。 「クオ・ヴァディス」(いずこへ行きたまう)である。
『アーティスト』を観たTOHOシネマズ六本木ヒルズの予告編で、ちょっと、 観てみたいのが二本あった。 新聞にも、まだ出ていないので、先取りする。
ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』、5月26日公開。 ウ ディ・アレン、こんな奇想天外なことをよく思いつくものだ。 2010年夏、ハ リウッドの売れっ子脚本家ギルが、婚約者と憧れのパリにやって来る。 どこ か満たされない彼は、本格的な作家に転身し、ボヘミアンな人生を送ることを 夢見ている。 そんなギルが、深夜0時を告げる鐘の音に導かれ、迷い込んだ ところが、活気あふれる芸術や文化が花開いた1920年代、ゴールデンエイジ。 ギルが夜ごと会うのは、高名な人物たち、ヘミングウェイ、フィッツジェラル ド、ピカソ、ダリ、ロートレック、ゴーギャン、そして官能的な美女アドリア ナ。 その舞台となるのは、セーヌ河岸、オランジュリー美術館、ロダン美術 館、ジヴェルニーのモネの庭園、ヴェルサイユ宮殿、マキシム・ド・パリ。 主 演は『戦場のピアニスト』のエイドリアン・ブロディ、『ミザリー』のキャシー・ ベイツ、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』のマリオン・コティヤール。
もう一本は、『幸せの教室』、5月11日公開。 トム・ハンクスの製作・監督・ 脚本・主演。 仕事が大好きなのに、学歴を理由にリストラされたトム・ハン クス、再就職のためのスキルを身につけようと、短期大学に入学する。 そこ のスピーチの教師が、ジュリア・ロバーツ。 結婚生活の破綻からアルコール に依存し、教えることがイヤになっていた。 初めてのキャンパスで、年齢も 境遇も違うさまざまな人々に出会い、充実した毎日を送り始める男と、そんな 男との交流を通じて、自分と向き合い始める女。 はたして二人は、この教室 で、幸せな未来を見つけることが、出来るのか? それは、観てのお楽しみ。
どうです、ちょっと観たくなるでしょ。
映画『アーティスト』 ― 2012/04/12 03:34
映画『アーティスト』を観た。 ご存知、今年のアカデミー賞の、作品、監 督(ミシェル・アザナヴィシウス)、主演男優(ジャン・デュジャルダン)、衣 装デザイン賞、作曲賞の5部門を制した。 フランス人の監督と主演男優に、 ハリウッドがしてやられた恰好だ。 それを認めたのは、偉い。
母や父がモガ・モボだったのかどうかは知らないが、母や父に観せたい映画 だと思った。 私は子供だった戦後の、『ニュー・シネマ・パラダイス』のトト と同じ時代、ミュージカル映画の全盛期に、映画を観始めた。 チャーリー・ チャップリンやフレッド・アステアやビング・クロスビーやジーン・ケリーは、 両方の時代をまたいでいたので観ていたが、ルドルフ・ヴァレンティノやダグ ラス・フェアバンクスやグレタ・ガルボやディートリッヒは、名前を聞くだけ だった。 ミシェル・アザナヴィシウス監督って、いったい幾つなんだと思う。 1967年生れっていうから、44、5歳だろう。 映画好きの白黒、無声映画への オマージュであり、CGや3Dなどの新技術駆使の映画への皮肉でもある。 1924年頃から29年頃までの、サイレント時代最後のアメリカ映画を、それこ そ徹底的に研究したに違いない。
ヒロイン、ペピー・ミラー役のベレニス・ベジョは監督の夫人だそうだ。 タ ップ・ダンスの経験がまったくなかった。 6か月かけて特訓したが、大変だ ったという。 とても困難なことであったが、すばらしい仕事をしてみせて、 ミシェル(監督)を喜ばせたかった、と話している。 監督も、ベレニス・ベ ジョの良いところを、知りつくしていて、それを引き出して見せた。 白黒な のに金色銀色を感じさせる衣装も素敵だった。 夫婦合作とダンス、周防正行 監督と草刈民代の『Shall weダンス?』を思い出す。 そういえば、『ダンシ ング・チャップリン』を、観落としていたな。
映画には、名脇役が大切だ。 私はそれを、ジョン・フォード監督作品のウ ォルター・ブレナンで学んだ。 『アーティスト』では、クリフトン運転手を 演じたジェームズ・クロムウェルが、圧倒的だ。 顔がいい。 1940年生れ、 一つ年上だった。 クリフトンでなく、ペピー・ミラーが運転して、ジャン・ デュジャルダンのジョージ・ヴァレンティンの所へ駆けつけるシーン、映画定 番のスリルを、ちゃんと取り込んでいる。
ジョージの愛犬アギーのことは、みんなが書いているが、外せない。 サイ レントだから、トレーナーがいろいろ指示できたことを割り引いても、パルム・ ドッグ賞の受賞にふさわしい快演だ。 落ちぶれゆくスターの、少しやりきれ ない物語を救ったのは、実にアギーだったからである。
パンを二人で分け合う幸せ ― 2012/03/04 04:43
映画『しあわせのパン』に出て来るパンも料理も、なんとも美味しそうだ。
夏の客は、沖縄旅行を彼氏にすっぽかされた東京のOL(デパート勤務?)カオ リ(森カンナ)と、地元の鉄道で働き北海道を出られないトキオ(平岡祐太)。 湖 を望むテラスで、サプライズのカオリ誕生日祝いでは、クグロフというフラン スやオーストリアのクリスマスに欠かせないドライフルーツや木の実入りのケ ーキのようなパン、夏野菜のバーニャカウダ、なすとズッキーニのラザニア。
秋の客は、バス停で佇んでいた少女未久(八木優希)と、未久のパパ(光石研)。 「あったかいごはん、作ってます。お腹が空いたら来てください。マーニ」と いう手紙をもらって、来店。 家を出て行ったママの得意料理だった、かぼち ゃのポタージュ。 ユリネときのこの小さなコロッケ、目玉焼きのココット、 ブロッコリーとカリフラワーのチーズ焼きを、ワンプレートに。 常連阿部さ んの、中身が謎のトランクには、アコーディオンが入っていた。 みんなが温 かい気分になった、その演奏のお礼は、林檎のはちみつパン。 阿部さんは「私 は辛党なんですよ」と言いながら、それを美味しそうに食べ、「今夜はワインも」 と言う。 秋は栗のパンもある。 生栗を皮のついたまま半分にしてオーブン で焼いて、粗くつぶし、パン生地でつつんで焼き上げる。
冬の客は、阪神大震災で風呂屋と娘を失い、思い出の月浦に死ぬためにやっ て来た史生(ふみお・中村嘉葎雄)とアヤ(渡辺美佐子)。 パンは食べられないと、 ご飯を炊いてもらったアヤだったが、小豆と青えんどう豆を使った豆の白パン を食べてみて、「おいしい。お父さん…私、明日もこのパン食べたいなぁ」と元 気になる。 じゃがいものラクレットチーズがけ、ローストチキンのローズマ リーのせ、スペインオムレツ、そして根っこの冬野菜のポトフは、人参、玉葱、 じゃがいも、結わいた肉を、ストーブにかけたダッチオーブンでコトコト煮込 んだもの。
この映画で、繰り返し描かれるのは、パンを二人で分け合うシーンだ。 焼 き立てのパンを手で半分に割ると、ふわりと湯気が立ちのぼる。 笑顔になっ た二人が顔を見合わせる。 歳を取ると出来なくなることばかり、なのではな く、「最後の最後まで、変化し続ける」自分を信じて、明日を生きていく。 パ ンを分け合える、大切な誰かと一緒に。 映画のその主題のシンボルが、カン パーニュという大きなパンだ。 「はい」とか「そうです」、日頃の饒舌とは違 う水縞くんの大泉洋が、「カンパーニュ」は仲間 (カンパニオ)だと、珍しく説 明する。
「一人じゃなかったらできますよ。誰かと一緒にだと、できることがあるん ですよ」
夕飯に私はご飯を、家内は帰りにASANOYAで買った「カンパーニュ」を食 べていた。 私は「ちょっと、ちぎってよ」と、つい言ったのであった。
暗い夜道を照らす月のような映画 ― 2012/03/03 03:21
目から自然に、温かいものがこぼれる。 映画『しあわせのパン』(三島有紀 子監督・脚本)を観た。 北海道は洞爺湖のほとり月浦の丘の上で、水縞尚・り え夫妻(大泉洋・原田知世)が営むオーベルジュ式のパンカフェ「マーニ」、一年 の物語である。 オーベルジュというのは、料理を楽しむことを主体にした、 宿泊施設のある郊外レストラン。 月のきれいな月浦の、雄大な自然、夏から 秋、厳冬、そして春、それは花鳥諷詠と四季、俳句の世界であった。 2月19 日の『夏潮』新年会で、本井英主宰が、昨年の大震災を経験したわれわれが、 もっとこの日本の山河を愛すること、季題の宿るこの山河を大事にすることを 説かれたことを思い出す。
水縞くんが焼くおいしいパン、りえさんが淹れる挽き立てのコーヒーと季節 の野菜の料理。 「マーニ」には、いろんな人が来る。 地獄耳の消息通だが、 ひょいと新作を置いていってくれる硝子作家のヨーコさん(余貴美子)、中身が 謎の皮の大きなトランクを提げた阿部さん(あがた森魚)、りえさんはきれいで すねと繰り返す郵便屋さん(本多力)、採れたての野菜を供給してくれる子沢山 の広川夫妻(中村靖日・池谷のぶえ)。
そして季節ごとに、心に問題を抱える人たちがやって来る。 その人々に温 かいものを与える、幸せそうな水縞夫妻も、実は影を抱えていた。 東京の生 活に疲れて心を閉ざしたりえさんを、札幌出身の水縞くんは月浦で暮そうと誘 ったのだった。 「りえさん、ここで無理して笑うことないよ」と。
三島有紀子監督は「人には誰だって人生が止まってしまう時があります。 そ んなとき、夜空を見上げると、月はいつもそこにあって、暗い夜道を少しだけ 照らしてくれる。 そんな月のような映画を作りたいと思いました」「ちょっと 心が欠けている人々が、この風景のなかで満たされていく映画」を、と書いて いる。 監督はそれを見事にやりとげて、鬼じゃない、お爺さんの目にも涙。
「終わりの始まり」でも、必要なもの ― 2011/12/12 04:59
宮崎駿さんの『本へのとびら― 岩波少年文庫を語る』の結論。 宮崎駿さん は、映画『借りぐらしのアリエッティ』の原作『床下の小人たち』(ノートン作、 ディアナ・スタンレイ絵、林容吉訳)を語ったところで、今の時代について、こ う言っている。 「みんなが小人になっちゃったんですよ。世界にたいして無 力になって、一円でも安いほうがいい、なんていうつまんないことのために右 往左往している。見ている範囲もほんとうに狭くなってきた。歴史的視野とか 人間のあるべき姿とかの大きな主題が、健康とか年金の話にすりかえられてし まいました。煙草をやめるとか、メタボがどうとか、どうでもいいことばかり です。」(メイキングを見ると、宮崎駿さんはヘビースモーカーだ。)
昔の挿絵が素晴しかった話から、挿絵が、映画になり、テレビになり、そし て携帯で写した写真を転送して…となって、映像が個人的なものになってきて しまった。 すると現実に対するアプローチの仕方はどんどん脆弱になってい く、「目」が脆弱になった、という。 「画一的になっていくのが人類の運命で しょうか。滅びるようになっているんだと思う。」
「今の世の中全体のことで、政治がどうとか、社会状況がどうとか、マスコ ミがどうのこうのということじゃなくても、自分でできる範囲で何ができるか って考えればいいんだと思います。それで、ずいぶんいろんなことが変わって くるんじゃないでしょうか。」
「この20年間、この国では経済の話ばかりしてきました。」「そして、突如 歴史の歯車が動き始めたのです。生きていくのに困難な時代の幕が上がりまし た。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。おそらく大 量消費文明のはっきりとした終わりの第一段階に入ったのだと思います。」
「風が吹き始めました。」「おそろしく轟々と吹きぬける風です。死をはらみ、 毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。」
「僕らは、「この世は生きるに値するんだ」という映画をつくってきました。」 「風が吹き始めた時代の映画は、(カレル・ポーチュラクの『ぼくらはわんぱく 5人組』のように)机の抽斗にかくさなければならない作品かもしれないという 覚悟がいります。」「原発や、処理不能の借金を子孫にこれ以上残さないことも 含めて、僕らはためされているんでしょうね。」
そんな、ペシミスティックなことを言った後で、宮崎駿さんはこう書く。 「こういう状況においても、本を読むことを必要とすると思います。本は必 要です。」「要するに児童文学というのは、(中略)「生れてきてよかったんだ」 というものなんです。」
前のほう132頁にも、「このややこしくも複雑な世界で生きていくには、い っぱいはいらないけど、本があってほしい。」とあった。
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