柳田國男、松本烝治の南方熊楠訪問 ― 2026/08/21 07:17
柳田國男が田辺へ南方熊楠に会いに行ったのは、松本烝治さんに誘われたからだと、秋山加代さん、小泉妙さんご姉妹にお話することができたのは、私がその頃、南方熊楠に興味を持って、何冊か本を読み、「等々力短信」に書いていたからだった。 それを読んだら、面白いので、再録したい。
お梅と令息 <等々力短信 第731号 1996.3.15.>
熊楠のエピソードには面白いものがいくつもある。 前に和歌浦から汽船で来たと書いた大正2年柳田國男の突然の来訪時もそうだ。 この時柳田は、高校時代の親友松本烝治と一緒だった。 余談だが、松本烝治は小泉信三さんの姉千と結婚した義兄にあたる。 商法の権威で帝国大学教授、小泉信三さんが「頭脳の明晰さは日本一」「叡知を特別ゆたかに備えた人」(小泉タエ『留学生小泉信三の手紙』)と信頼していた人だ。
そこで、熊楠だが、家を訪ねて来た二人にすぐ会わない。 宿をとった旧田辺城内の旅館、錦城館にあとから伺うと帰してしまう。 さんざん手紙をやりとりしていながら、内弁慶で照れ屋の熊楠は、まず銭湯へ出かけて身ぎれいにし、帰りに二軒の居酒屋で酒をひっかけて景気をつけた。 錦城館に着いても帳場で飲んでいて、すっかり出来上がってから、ようやく顔を出す。 お気に入りの老妓を呼び、「歓迎の宴」だからと大酒して、嘔吐するという失態を演じる。
翌朝、柳田が挨拶に行くと、顔を出したってしかたがない、話さえできればいいだろうといって、掻巻(ドテラの、綿を薄く入れたような夜着)の袖口をあけて、その奥から話をした。 熊楠47歳のことである。
熊楠家のお手伝いさんは、代々「お梅」と呼ばれた。 田辺在住の郷土史家中瀬喜陽さんによると(雑誌『太陽』90年11月号)、だいたい一年か二年で交代したから、30人以上の「お梅」が熊楠の日常を助けた勘定になるという。 昭和10年頃のお梅は、白浜町庄川(しゃがわ)出身、本名も湯川うめさんだったが、恥ずかしいさかりの二十の頃に、えらいものと対面させられている。 ことの顛末は、新聞「日本」に熊楠が書いた「令息漫筆」に詳しいそうだ。
台風で瓦が飛び、雨漏りするようになった屋根の修理をしたら、ネズミの死骸が出た。 それから一家は家ダニに悩まされる。 松枝夫人はフマキラーがいいと聞き、買ってきて噴霧した。 ようやく家ダニの害はおさまったが「しかるに不幸にしてその一疋が小生の尿道に侵入し、痒痛堪うべからず」という大変な事態になった。 家ダニ退治にはフマキラーが一番だというので、お梅に「件の薬」フマキラーを持ってこさせた。 お梅がフマキラーを持ってうろうろしていると、松枝夫人が「お梅、お吹き」と命じた。 あわれ花も恥じらうお梅は、熊楠の腫れた一物に対面する羽目になったのである。 しかし「男根が包皮炎を起こし、径一寸五分ほどに膨れまことに困り切り」ついに「医師方」に行くことになる。
コメント
_ 轟亭(フマキラー) ― 2026/08/23 11:08
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