バルトンとバートン(2)〔昔、書いた福沢112-2〕2019/09/13 04:31

             W・K・バルトンの父親

 なぜ私が没後百年のバルトン忌に参加させてもらったのか。 それは福沢諭 吉と関係がある。 『福澤手帖』95の有真広場で土橋俊一先生にご紹介頂いた ように、私は長く旬刊(毎月5日・15日・25日発行)の個人通信「等々力短 信」を出していて、その4年分を『五の日の手紙』という私家本にまとめたも のが、3冊になっている。 「等々力短信」のよき読者のお一人に都立墨東病 院脳神経外科医長の藤原一枝先生がおられる。 藤原先生のお友達で、稲場紀 久雄教授夫人の日出子さんが『五の日の手紙3』(1994(平成6)年)の「『西 洋事情』を読む」(「等々力短信」624号1993(平成5)年1月15日)を読ま れたことから、思わぬ展開が生まれた。 「『西洋事情』を読む」では、平成4 年11月・12月の福澤諭吉協会の「芳賀徹氏と『西洋事情』を読む会」に参加 させてもらったことを述べ、その中でつぎのように書いていた。

 福沢諭吉の『西洋事情』外編は「チェンバーズの『政治経済学』」の翻訳が主 体なのだが、この「チェンバーズ」は著者ではなく、この教育叢書を出してい た兄弟の出版業者で、近年ハーバード大学のクレイグ教授によって、著者はジ ョン・ヒル・バートン(John Hill Burton,1809-1881)というスコットランド 人であることが判明した。

 稲場日出子さんは、ご夫君の研究によって、W・K・バルトンの父親がジョ ン・ヒル・バートンという名前だと知っておられ、私の本の右の記述を読んで、 その一致に気付いて、驚かれたのである。

             親子で日本近代化に貢献

 藤原先生から連絡を受けた私は、稲場紀久雄教授の『都市の医師』181頁以 下の、W・K・バルトンの履歴と来日の事情に書かれていた、その父親につい ての記述と、『福澤諭吉年鑑』11(1984年・福澤諭吉協会刊)所収のアルバー ト・M・クレイグ教授の論文「ジョン・ヒル・バートンと福沢諭吉」を比較検 討した。

    『都市の医師』

 父親ジョン・ヒル・バルトンについて、オックスフォード大学出版局の英国 大人名辞典は「1809年8月22日アバディーンに生れた。父は陸軍中尉、彼の 誕生後ほどなく病気で退役。母は地主の娘。(中略)父は1819年逝去したが、 彼はその後も立派な教育を受け、奨学金を得てアバディーン市の大学に入った。 卒業後作家を志したが望みがかなえられなかった。そこでやむなくエジンバラ に出て弁護士の資格を得ることにした。母は、アバディーンに残されていた僅 かな財産を全て息子ジョンの勉学の資とした。彼は弁護士になったものの仕事 は少なく、生計は文学によって立てられていたが生活は安定しなかった。初期 の作品は評価されなかったが、次第に歴史作家として名をなすようになった。 1844年結婚したが、1849年最初の妻を亡くした。1854年監獄署の書記になり、 ようやく生活が安定したので、翌年(1855年)コスモ・イネスの娘と再婚した。 その後も彼の精力的な著作活動は続いた。1880年頃から病気がちになり、翌年 8月10日気管支炎のため逝去した。彼は、スコットランド第一の歴史作家とし て後世に残るであろう。」

    「ジョン・ヒル・バートンと福沢諭吉」

 「ジョン・ヒル・バートンは1809年、アバディーンに生れた。父は陸軍中 尉であったが、バートンが10歳の時に死んだ。かれは「まっとうな教育を受 け」、奨学生としてアバディーン大学に入った。卒業後「かれはある著作家に弟 子入りしたが」、「オフィスに閉じ込められるのが我慢できなくなって」エディ ンバラへ行き、「弁護士の資格を得ようとした」。かれは「弁護士となったが、 実務は決して大したものではなく、[その後]長期にわたって生活の資を文筆に よって稼がねばならなかった」。「1854年にバートンは監獄評議会(prison board)の書記に任命されて金銭面では自活しうるようになった」。その翌年に 再婚し、「もはや家計の補助は、必要ではないにもかかわらず、かれの執筆努力 は休みなく続いた」。かれは『スコッツマン』誌や『ブラックウッヅ・マガジン』 に寄稿し、『スコッティッシュ・レジスターズ』を編集し、本を出した。そのな かでは、1853年から1870年の間に出された『スコットランド史』はその史実 調べの正確さと語り口の面白さで、永く名声をもたらした。バートンの死は 1881年のことである。

 両者の一致を確認した私は、「等々力短信」第701号(1995(平成7)年3 月25日)に「バートンとバルトン」と題し、「明治日本の水道の先生W・K・ バルトンは、近代日本のシナリオとなった福沢諭吉の『西洋事情』に大きな影 響を与えた、ジョン・ヒル・バートンの長男だったのだ」「バートン(バルトン) は、親子で日本の近代化に貢献したのであった」と記した。

福沢索引『福澤手帖』拙稿一覧〔昔、書いた福沢109〕2019/08/27 07:26

 福澤諭吉協会の『福澤手帖』には、諸先生方のおかげで、いくつかの原稿を
書かせて頂いた、その一覧を出しておく。 私の私家本『五の日の手紙』や「等々
力短信」について、『福澤手帖』に富田正文先生と土橋俊一先生に下記でご紹介
いただき、大変励まされた。
第53号(1987(昭和62)年6月) 受贈文献紹介 富田正文
第95号(1997(平成9)年12月) 有真広場 土橋俊一

第73号(1992(平成4)年6月) 日本の「窓」ヨコハマ
第99号(1998(平成10)年12月) CD-ROM版「百科事典」で「福沢諭吉」を検索する
第102号(1999(平成11)年9月) バルトンとバートン
第108号(2001(平成13)年3月) 「世紀をつらぬく福澤諭吉没後100年記念」展を見て
第111号(2001(平成13)年12月) 和歌山・高野山・白浜を訪ねる 第36回福沢史蹟見学会
第115号(2002(平成14)年12月) 「徳島慶應義塾・内田弥八・子規と松山」 第37回福沢史蹟見学会
第122号(2004(平成16)年9月) 福澤諭吉の片仮名力
第127号(2005(平成17)年12月) 読書会「福澤諭吉の女性論・家族論」―西澤直子さんの話を聴いて―
第132号(2007(平成19)年3月) スコットランドにW・K・バルトンの記念碑建つ ―百七年目の帰郷―
第135号(2007(平成19)年12月) 福沢学・「耳学問」のすすめ 〔回顧 土曜セミナー〕
第144号(2010(平成22)年3月) 中津・小倉・下関・萩の旅  第44回福澤史蹟見学会
第146号(2010(平成22)年9月) 〔私にとっての福澤諭吉〕」 「福沢の威を借る」
第152号(2012(平成24)年3月) 『福翁自伝』の表と裏―松沢弘陽さんの読みなおし
第163号(2014(平成26)年12月) 青木功一著『福澤諭吉のアジア』」読書会に参加して

福沢索引「等々力短信」1001号~1114号〔昔、書いた福沢108〕2019/08/26 07:22

 昔、でもないけれど、その後昨年末までに書いた福沢を、索引として挙げて
おく。
第1019号 2011(平成23).1.25.  『福澤諭吉事典』を喜ぶ/50年かじった福沢が皆出ている
第1023号 2011.5.25.   熱海の雪崩/明治生命創業者・阿部泰蔵遭難の真相?
第1037号 2012(平成24).7.25.  鉄砲洲に始まる/車谷長吉著『妖談』(文藝春秋)と慶應義塾
第1038号 2012.8.25.  「元祖 下町タワー」の設計者/W・K・バルトン、細馬宏通著『浅草十二階 塔の眺めと〈近代〉のまなざし』(青土社)
第1044号 2013(平成25).2.25.  服部「ネ豊」次郎さん/福澤協会の旅行、『福澤諭吉かるた』、「『等々力短信』1,000号を祝う会」
第1061号 2014(平成26). 7.25. 福沢諭吉と歌舞伎/「芝居改良の説」、脚本『四方の暗雲(くろくも)波間の春雨』を書き下ろす
第1064号 2014. 10.25.「明治14年の政変」の共同研究を/大隈の会計検査院、統計院設立に、福沢は慶應義塾人材を紹介
第1066号 2014. 12.25. 戯去戯来/「ゆらチン!」、『超芸術トマソン』、戯(たわむ)れ去り戯れ来る、自ずから真あり            
第1074号 2015(平成27). 8.25. 竹田行之さんを悼む/短信のよき読者、その執拗な編集者魂のおかげで「バルトンとバートン」を書く
第1076号 2015.10.25. 慶應志木会・歩こう会/日本橋から築地鉄砲洲の慶應義塾発祥の地、越中島の明治丸まで
第1079号 2016(平成28). 1.25. 索引の有難さ/最近度々見る索引、桑原三郎先生の索引に感じる律儀、正直、親切なお人柄と深い学恩
第1087号 2016. 9.25. パソコンで聴くラジオ/佐藤春夫「私の自叙伝・詩文について」、江藤淳「文化講演会・福沢諭吉」
第1089号 2016.11.25.『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』/稲場紀久雄著(平凡社)、明治日本建設の情熱に共感し、若い力を発揮したお雇い外国人と妻たち
第1094号 2017(平成29).4.25.  大学の独立と自由/都倉武之さんの朝日新聞「耕論」、福沢諭吉「一国の独立は国民の独立心から湧いて出てる」
第1096号 2017.6.25. 人類史を切り拓いた鉄道/福沢の乗った蒸気車、パリ-東京間を走らせた沼田篤良さんの『オリエント急行と地政学』
第1100号 2017.10.25. 『文明としての徳川日本』/芳賀徹著(筑摩書房)、永い平和の持続と一国文化の変容との間の相互作用は、世界史上のさまざまな大問題を考えてゆくためのデータの宝庫、智恵の鉱脈、福沢諭吉と『蘭学事始』、「敢為の精神」と達意明快な文章
第1110号 2018(平成30).8.25. 犬養毅、「話せばわかる」時代だったか /5月、犬養が主筆をした「秋田魁新報社」へ、保阪正康『昭和の怪物 七つの謎』の五・一五事件、犬養道子の証言「まあ急くな」「いつでも撃てる」「靴でも脱げや、話を聞こう」
第1113号 2018.11.25. 福沢諭吉と西郷隆盛/互いに人物を認め敬慕の情、『明治十年 丁丑公論』、141年後、政府の専制に対する日本国民の抵抗の精神は、福沢の意に適うか
第1114号 2018.12.25. インターネット文明論之概略/「未来はオープンだ、アイデアで変えられる」、村井純さん三田演説会、あらゆるものをデジタルデータとして処理できるコンピューター技術と、ネットワークの結婚、 慶應と日本の貢献、地球の課題に一人一人が参加し、知恵を合せる

『ベアテの贈りもの』<等々力短信 第1122号 2019(令和元).8.25.>2019/08/25 05:42

 上野の国際子ども図書館(国立国会図書館の支部)をご存知だろうか。 ここは幕末三 度洋行した福沢諭吉が西洋列強の「ビブリオテーキ」を紹介し、明治政府の文部官僚永井 久一郎(荷風の父)が近代国家には国立図書館が必要だと奔走し、曲折を経てようやく明 治39(1906)年に開館した「帝国図書館」の理念と建物を受け継いでいる。 中島京子さ んの小説『夢見る帝国図書館』(文藝春秋)は、何度も図書館の費用が戦費に食われ、リベ ラルアーツと国威発揚的国策が衝突する、苦難の歴史を背景にして描かれた。 アメリカ 占領下の昭和21(1946)年2月4日、ジープを駆ってGHQ職員のアメリカ人女性ベアテ・ シロタ(22)が「憲法関連の本」を探しにやって来る。 マグナ・カルタから始まる一連 のイギリスの本、ワイマール憲法、北欧諸国の憲法を始め、ありったけの憲法関連書籍を 借り出す。 以後の運命の9日間で、日本国憲法の「GHQ草案」を作り上げた25人の民 生局員にとっての、最重要参考文献だった。 中島京子さんは、これは帝国図書館にとっ て、最後にして最大の仕事だったかもしれない、と書く。

実はベアテ、隣の東京音楽学校でピアノ教授をしたレオ・シロタの娘で、5歳から15歳 まで日本で暮していた。 シロタといっても、日系人ではなく、ウクライナ出身のユダヤ 人だ。 昨年6月に亡くなった藤原智子監督にドキュメンタリー映画『ベアテの贈りもの』 (2004年)がある。 レオ・シロタは全ヨーロッパの楽壇で「フランツ・リストの再来」 と言われ、世界的ピアニストとして演奏会を展開していたが、1926(昭和元)年満洲に赴 き、そこで会った山田耕筰に誘われて日本公演、一年間滞在する(ベアテは5歳)。 これ を機会に1929(昭和4)年、東京音楽学校教授として招かれ、17年間、井口基成や園田高 弘など名ピアニストの育成と演奏活動で、日本の楽壇に貢献した。 演奏家としても日本 で人気が高く、またユダヤ人迫害でパスポートを剥奪されたため、夫妻で戦後の1946(昭 和21)年まで日本に留まった。 戦争末期は外国人強制疎開で軽井沢にいた。 ヨーロッ パに残ったレオの兄弟は、悲劇的な最期をとげる。

 この間、娘のベアテは15歳でアメリカに渡りオークランドの全寮制女子大学ミルズ・カ レッジで学び、卒業の1945(昭和20)年アメリカ国籍を取得、12月、GHQ民間人要員と して来日、大戦中音信不通だった両親と再会できた。 ベアテは日本国憲法草案作成の一 員となり、昭和初期の日本で、女性たちの抑圧された状況を目の当りにして育ったことも あって、人権に関する14条と男女平等に関する24条の原案の一部を書いた。 第二次世 界大戦後の74年間を、日本人が平和とそこそこの繁栄の内に過ごせたのには、日本国憲法 の存在があったことを忘れてはならないだろう。

福沢索引「等々力短信」952号~1000号〔昔、書いた福沢107〕2019/08/25 05:39

 2005(平成17)年5月25日の「等々力短信」第951号からは、インターネットの朝日ネットのブログ「轟亭の小人閑居日記」http://kbaba.asablo.jp/blog
に配信することにしたので、以後「等々力短信」に〔昔、書いた福沢〕は、そちらで読んで頂ける。 福沢に関する「等々力短信」を、まず1000号まで索引として挙げておきたい。

第952号 2005(平成17).6.25. 『蝶の舌』/ファシズムとスペイン内戦の影、福沢に対する探偵報告書
第954号 2005.8.25. 『語り手としての福澤諭吉』/松崎欣一著、日本近代化の根底を築く「演説の法」
第960号 2006(平成18).2.25. たった5年目、明治5年/維新の気分満つ、福沢『改暦弁』『学問のすゝめ』
第968号 2006.10.25. 福沢諭吉「心訓小説」/清水義範『心訓小説 福沢諭吉は謎だらけ。』
第970号 2006.12.25. 107年目のスコットランド帰郷/エジンバラにW・K・バルトンの記念碑建つ
第974号 2007(平成19).4.25. 『交詢社の百二十五年』/竹田行之著「知識交換世務諮詢の系譜」
第986号 2008(平成20). 4.25. 安政5年・1858年/幕末の動乱始まりの年、福沢塾も始まり、創立150年
第987号 2008. 5.25. 平山洋著『福澤諭吉』の挑戦/「新たな福沢像」と論争の期待
第988号 2008. 6.25. 『広辞苑』の【福沢諭吉】/小尾ゼミOB会「紫陽花ゼミ」で話す
第994号 2008. 12.25. 幕末外交の真相/萩原延壽・藤田省三『瘠我慢の精神』
第995号 2009(平成21). 1.25. 未来をひらく 福澤諭吉展/もう一つの福澤山脈、散歩党松永安左エ門
第998号 2009. 4.25. 桑原三郎先生のお手紙/「短信」のよき読者、筆まめは敬愛する福沢先生ゆずり
第1000号 2009.6.25. 保養地・沼津へ行く/静浦・保養館と内浦・三津浜