「丸屋商社之記」と商売の極意 ― 2007/03/11 06:57
ハガキ時代の「等々力短信」に、「丸屋商社之記」についても書いているのを、 見つけた。 1978(昭和53)年11月5日の130号と、1979(昭和54)年2 月5日の136号で、とびとびに連載した「福沢諭吉と商売」というシリーズの 5回目と7回目だった。 当然というか、『福澤諭吉全集』二十巻にある「丸屋 商社之記」を福沢のものとして書いている。 時代が出ているので、いかにも 若書き(満37歳)だが、この二つもそっくり引いておく。
「等々力短信」130 1978.11.5. 先日の「登阝」小平副首相の記者会見は大変面白かった。 中国はもっと教 条主義で、画一的な答が出るのかと思ったら、柔軟で率直な発言で感心した。 中国は現在遅れているが、今世紀末にはその時の先進国の水準に追いつく目標 を立てた。 だから進んだ日本の科学技術を学びたいとはっきりいう。 明治二年、福沢諭吉は丸屋商社(現在の丸善)設立の趣意を述べた「丸屋商 社之記」の中で、日本は鎖国の睡眠中に、西洋の諸国に水をあけられた。 外 国人が日本に来るのは貿易がしたいからである。 今貿易の権を外人に握られ ては国の独立が危い、商売こそ「至重至大の急務」だといった。 福沢はやがて『文明論之概略』(明治九年)で、まず文明の精神を取り入れて 人心を改革し、ついには有形の文明に至るべし、とした。 「登阝」氏が外形 の科学技術に終始したのは、精神に自信があるからなのだろうか。
「等々力短信」136 1979.2.5. 明治二年の「丸屋商社之記」(『福澤諭吉全集』二十巻22頁)の中で、福沢 諭吉は商人の目をつけるべき要点を述べている。 「合衆国貨幣の銘に曰く、 合すれば即ち立ち散(わかる)れば即ち斃(たお)ると。ユーナイテッド・ウ ヰ・スタンド、セパレーテッド・ウヰ・フォール。又西洋の古語に曰く、徐々 に急ぐ可しと。メーキ・ハスト・スローリー」「又或る老人の咄しに、世間の商 家一廻の商ひに万金を得るものは屢々あれども、十年にして万金を残す人は稀 なりと。」 この時、福沢は数え年36歳、もちろん商売の経験もない。 なのにこの短 い文章の随所で商売の本質とも思えるものにふれているのを読むと、やはりこ の人の洞察力のすごさを感ぜずにいられない。 藤原銀次郎氏の『福沢先生の 言葉』という本にも引用され、強い影響を与えたことがわかる。 「凡(およ)そ人の生業は世間の不足不自由を達し吾(わが)不足不自由を 満足せんとするの外ならず。 他の不自由を達するの大なるものは吾幸福を得 るも亦従て大なり」
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